三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

科学と宗教のアヤシイ結びつき

2007年12月28日 | 問題のある考え

ニューエイジ系宗教の本を読むと、量子力学がどうしたこうしたとか、遺伝子がなんたらとか書いてあることが多い。
教義の正しさをを科学によって証明しようとして、逆に墓穴を掘っている。


先日、私の家の郵便受けに「陽光ライフ」№204が入っていた。
面白い。
前文引用したいが、長いので半分ぐらい引用。
「三次元世界から高次元世界へ
二十世紀、素粒子物理学は飛躍的進展を遂げました。湯川博士の中間子論が認められノーベル物理学賞を受賞したことをはじめ、原子核を構成する陽子や中性子が、もっと小さなクォークからできていることが解明されています。さらに理論上では、ヒッグス粒子の存在が考えられていますが、仮に発見されないとすれば、クォークなどにさらに内部構造がある可能性があることも否定できなくなり、素粒子物理学は未来への分岐点に立たされていると言えるでしょう。今まさに、見えない世界の入り口にさしかかった、すなわち三次元から四次元以上の高次元世界の入り口に一歩足を踏み入れたと言えるのではないでしょうか。
このように最先端科学は物質を探求し、極微の世界へと踏み込んでまいりました。
一九六〇年代前半、ヒッグス粒子はおろかクォーク理論も提唱されていない時代に、崇教真光の初代教え主・岡田光玉師は「物質を追求していくと原子から素粒子の世界に入り、ついには量子力学では捕まえることのできない真空の世界に到達するであろう」と説かれ、真空の世界にこそおそるべきパワーが秘められており、その力界こそが霊界であることを示されたのです。
物理科学の領域はどんどん目に見えない世界へ突入し、素粒子の世界が物質の世界に影響を与えていることが明らかになっております。素粒子の世界の奥には霊の世界が存在することに、やがては到達することでしょう」
(略)
「人間の細胞の核にある遺伝子には、わずか一グラムの二千億分の一という極微の空間に、百科事典千冊分に相当する膨大な情報が書き込まれているというのです。これは人間の意志で書かれたものではありません。人間は神様のつくられた最高の芸術品なのです。その人間の身体は霊魂が抜けてしまうと、生命が止まってしまう儚いものなのです。
万物の源泉は霊の世界にあり、人間の場合も霊魂が心や身体に対して主体的な働きをするといった強い影響力をもっています。この霊の世界が実は、人間の幸・不幸への重大なターニングポイント(分岐点)を握っていると言っても過言ではないのです。
 幸福へのミチしるべ
そこで、幸福とは「健」と「和」と「富」の三つをそろえることが最も基本的要件となってまいります」
(略)
「このように「健」と「和」と「富」の三つがそろっている家庭が少ないのが現状ではないでしょうか? ほとんどの人が、あるいは家庭が、病気で苦しんでいる、経済的不安で困っている、争いごと等、何かしら悩まされています。
 真光の業で霊障解消へ
その真因は何かというと「霊障」(霊的障害)にあります。霊は、恨みや憎しみ、または頼みごとや戒めなど、さまざまな感情や理由で人に憑依します。そして、憑いた人の心や肉体を自由に操って苦しめ悩ましめ、生活に悪影響を及ぼします。これを「霊障」と言っています。憑かれた人は、まずその人自身の行動を左右されるようになります」
(略)
「実は、現代人の八十%以上は、さまざまな霊的な障害に侵されて不幸になっているのです。幸福になるには、まず霊障を解消することが何よりも大切になってくるわけです。その霊障を解消する業が、手のひらから高次元の真の光を放射し、一切を浄め、あらゆる悩みや問題を解消していく「真光の業」であるのです」

この文章の流れから言うと、原子は素粒子でできており、さらに素粒子は霊によってできている、というふうに読める。
それが正しいかはともかくとして、どうして「この霊の世界が実は、人間の幸・不幸への重大なターニングポイント(分岐点)を握っている」ということになるのだろうか。
「人間の幸・不幸」とは「健」と「和」と「富」、つまり貧病争だが、貧病争の苦しみと素粒子とがどう関係しているのだろうか。

ま、こんな突っ込みするのも恥ずかしいぐらいだが、誰もが考えるであろう、そのあたりの論理の飛躍に、信者の方は「あれっ」と思わないのか、不思議である。
少なくとも「陽光ライフ」を我が家の郵便入れに入れた人は、是非このすばらしい教えを読んでもらいたいと思っているのだろう。
次号も是非いただきたいと思う。

柿田睦夫『霊・因縁・たたり』よると、「手かざし(浄霊)」には二つの系統があるそうだ。
・世界救世教系 手のひらからでた霊光が相手に伝わり、あらゆる不幸の根本原因となる霊の曇りを解消する。それにより浄化作用がすすみ、病気や不幸、災難を解消する。そうして、この世から貧病争をなくし、地上天国を建設する。
・真光系 貧病争などの不幸は憑依霊の霊障だから、手かざし(真光の業)をほどこすことで、なぜとりついたのかが解明し、悪霊を鎮める。

これにしても、「あらゆる不幸の根本原因となる霊の曇り」や「貧病争などの不幸は憑依霊の霊障」といったことは科学的に証明されているのだろうか。
信者であり、手かざしをしている人たちは病気にならないのだろうか。etc

とにかく疑問が次々にわいてくるのだが、こうした疑問に対する返答は、「コインの表が出れば私の勝ち。裏が出ればあなたの負け」的なものだと思う。

たとえば、健康食品をやめさせない屁理屈(やめれない理由でもある)。
・風邪をひかなくなった→この健康食品のおかげだ
・相変わらず風邪をひく→この程度の風邪ですんでいる
・一年間飲んでいるが効果がない→急に効くものではない、長い目で見なくては
・健康食品をやめたい→飲んでいるから健康を保っている、やめれば今より悪くなる

あるいはこういう言い方。
「水子は成仏しにくいから、特別の秘儀を行わねばならない」(梅原正紀『宗教に未来はあるか』)
あるいは、
「献金や布施をするのは自我を捨てるためだ。大切なもの(特に金)を捨てることで我執を離れることができ、誠意を示すことができる」(柿田睦夫『霊・因縁・たたり』)
これは現世利益を謳わず、逆に執着を離れよと言っているので妙に説得力がある。

法の華三法行の足裏診断もそうだし、「波動」「場のエネルギー」「マイナスイオン」といった言葉を使う宗教、エセ科学と結びつく宗教はあやしいと考えていいと思う。

コメント (6)
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