三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

インチキ宗教のだまし方

2007年12月04日 | 問題のある考え

米本和広『教祖逮捕』に、法の華三法行の福永法源について書かれてあった。
福永法源が詐欺罪で逮捕されたのが2000年、ずいぶん昔の話という気がする。
詐欺ということは、最初からだまして金を儲けようとしたということである。


福永法源が考えたシステムは「本」「脅し」「特訓」だ、と米本和広は言う。
本を次々に出して、全国紙や一流週刊誌に広告を載せる。
悩みを抱えた人は全国紙に広告が載っているのだからと信用して本を買い、アンケート葉書を投函する。
その人たちに電話をかけ、面談するよう勧める。
福永法源は相談者に対して不安を煽り立て、特訓に参加させる。

面談者へのマニュアルにはこういうことが書かれてあるそうだ。
「足裏を見てこのままでは絶対にいけない、とにかく今すぐ何とかしないと、という気持にさせる」
「まず第一声を吐いて相手をびっくりさせる」
etc

そして、こういうふうに脅す。
「あなたは一生独身ですよ」
「あと二ヵ月で倒産するよ」
「病気でずうっと苦労する」
etc

特訓とは二泊三日とか一週間の研修である。
特訓の狙いは、粗末な食事、睡眠不足、休みなく大声を出し続ける過呼吸、何時間も目隠しをするなどの修行をさせることによって、自我を一時的に解体し、異常な心理状態に陥って神秘体験を経験する。
そうして福永法源の言葉を信じ込んでしまうようになる。

法の華三法行がやっていたことは目新しくなく、ありふれたやり口だと思う。
まず「本」だが、蓮如の『御文』が文書伝道の最初かもしれない。
大がかりに本を出版して布教活動したのは出口王仁三郎『霊界物語』(全81巻)からだそうだ。
そして、大本の信者だった谷口雅春は『生命の實相』(全40巻)を次々と出す。
大川隆法や福永法源もこの手法を真似たわけである。

悪徳商法も本を出しては全国紙に広告を出している。
一時、アガリクス関係の本の広告が毎日のように載っていた。
この手の本の著者・監修者は大学教授や医学博士がほとんどで、この人らは詐欺に手を貸していることをどう思っているのだろうか。

「脅し」は古来からどの宗教もしていることだ。
脅しはアメとセットになっていて、一向一揆の「進むは往生極楽、退くは無間地獄」がその好例。
「地獄に堕ちるぞ」という脅しはいまだに有効なようで、オウム真理教や親鸞会も使っている。

福永法源はどういうアメを与えていたのか、『教祖逮捕』ではもうひとつわからない。
神秘体験もアメだが、信じさせるための手段であって、目的ではないだろう。
法の華三法行では、病気治しなどの現世利益がやはり一番のアメということなのだろうか。

たいていの新興宗教は、最初は現世利益を説くが、それだけでは行き詰まる。
そこで、生きがいというアメを与えるようになる。
「世のため人のため」というのもその一つで、難民のためにとか、地球のためにとか言って、金集めをさせたり働かせたりさせる。
「人を救う」ということは「信者を増やす」とイコールになる。

中には、終末論と一緒になっている「世のため人のため」もある。
天理教の終末論と「世直し」思想、あるいは大本の「三千世界の立て替え、立て直し」がその例で、ヤマギシ会、オウム真理教も同じ。
終末が脅しで、世直しがアメ、というわけである。

そして「特訓」だが、これは自己啓発セミナー体験記の二澤雅喜,島田裕巳『洗脳体験』ヤマギシ会の特講体験記である米本和広『洗脳の楽園』に詳しい。

高橋紳吾氏によると、真光の二泊三日の研修に参加して精神的な病気になってしまう人もいる。
「真光あたりから始まったのは、一般の者が真光のわざを学ぶことによって霊能者になるというシステムができたんです。ところが、きちんとした訓練を受けていないために、精神的な病気になってしまったりする例がたくさんあります。
そもそも霊能力なんて、あるのかどうかということが問題で、病気が暗示作用によって治った気がするだけなのに、教団の持っている霊能力で治ったんだという錯覚にとらわれて、そこで縛られてしまうことがあるわけです。
だけども、手かざしなんてことをやっていると、自分がとてもいいことをしているような、熱い気持ちになれるんですね。自分は価値のない人間だけど、真光のわざによって人のお役に立てるという気持ちになって、自分の存在が認められて、とても生き生きとしてくる。
カルトに入っている間は熱くなっていって、それである種の快感を得ているわけです。人を救うとか、仲間と一体化するとかいうのは、ちょうど恋愛でもしたようないい気持ちになっていくものですから、そこを取り去られると、心が全く空虚になって、生きていく現実がなくなったりしてしまいます。
そしてもう一つ、カルトに入る時には、何かを求めてカルトに入るんだけれども、やめる時にその問題が解決しないまま残っているんです。これをカルトのマインド・コントロール後遺症といいます」

ということで、福永法源の法の華三法行が特別なことをしていたわけではない(だからといって問題がないと言ってるわけではないのはもちろんである)。
似たようなことをやってるとこはいくらでもある。
どこまでがOKで、どこからダメなのか。
米本和弘のカルトの定義は
「カルトとは、組織や個人がある教えを絶対であると刷り込み、それを実践させる過程で人権侵害あるいは違法行為を引き起こす集団」
だが、カルトかどうかの線引きは微妙だと思う。

では、なぜ福永法源は逮捕されたか。
短期間に何千万円もむしり取るといったやり方があまりにもあくどすぎたからだと思う。
法の華三法行の特訓を受けた人は2万人を超え、平均すると1人あたり約500万円を払っているそうだ。
金を出すことを躊躇すると、「自殺者が出る」「ガンで死ぬ」「借金がふくらむ」と脅すので、修行者の4割が言われるままにお金を出したという。

悪徳商法で逮捕された社長たちにしてもそうなのだが、このままではいつか行き詰まるとは考えなかったのだろうか。
1994年、統一教会の信者たちが福岡市内の高齢の女性二人に「献金しないと先祖の祟りがある」と言って、計3700万円献金をさせたという事件で、
福岡地裁は「3700万円を返せ」と命令を出している。(1997年に最高裁で確定)
他の宗教だって似たり寄ったりのことをやっている、だから大丈夫、と思ったのか。
それとも単に、簡単に金を奪い取ることができたので、マヒしてしまっただけのことなのだろうか。

コメント (16)
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