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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

スタッズ・ターケル『「よい戦争」』1

2013年03月27日 | 戦争

宮城顗先生の講話の中で、原爆投下後の長崎に入った米軍兵士の話が紹介されていた。
その話は、スタッズ・ターケルが第二次世界大戦についていろんな人にインタビューした『「よい戦争」』(1984年刊)に載っている。

題名の「よい戦争」というのは、アメリカ人は第二次世界大戦をファシズムに勝利した「よい戦争」と考えてきたから。

しかし、「よい」と「戦争」は言葉としてなじまないとスタッズ・ターケルは言う。

原爆に関わるインタビューから、いくつか紹介しましょう。
まずは宮城先生が話されたビクター・トリー「全米原爆復員兵協会」を。

海兵隊員だった。
「1941年に戦争がはじまったとき、私の暮らしはまったくアメリカの夢そのものだったよ。白いくいがきの小さな家、小さな女の子、優しい妻、それに立派な職業だ。29歳で、熱烈な愛国者、好戦派だった。海兵隊に入ったんだよ」

広島に原爆が投下されたときにはサイパン島にいた。

「我われは歓声をあげ、かっさいし、だきあい、とびあがった。たぶん、このいまいましい戦争は終わりになって、我われ日本本土に進攻しないすむってね。みんなそう思ったんだ」

若い中尉から「我われは長崎を占領しに行く」と指示される。
「百年たたなければ誰も入れないといわれてるのに、どうやって長崎を占領するのでありますか」と質問すると、中尉は「海兵隊員、心配することはなにもない。科学者がすでにはいっている。きわめて安全だ」と答える。

9月23日に長崎の港に入り、次の日、長崎の街を見に行く。
「墓場にはいりこんだようだった。完全に静まりかえっている。あたりは、死のような臭いがする。ひどい匂いなのさ」

ある日、合州国科学探検隊と船側に書いてある船が入ってくる。

「おれたち二週間ほどここにいたことになるじゃないか。いまごろになってこの科学部隊を送ってきやがって。安全かどうかを調べようってんだぜ。おれたちはたぶん子どもができないってわけさ」
みんなで冗談を言い合って笑った。
深刻に考えたことはなかった。
しかし、口には出さなかったが、心のどこかでだれもが気にしていた。

この原子爆弾は何をしたのか。
「ある日相棒たちからはぐれてしまったことがある。見知らぬ街にひとり。敵兵だよ、私は。ちいさな日本人の子どもたちが道で遊んでいる。アメリカ人の子どもたちとまったく同じように遊んでるんだが、私はオーイといって手を振ったんだ。こっちをみると、海兵隊だろ。みんな逃げる。ひとりだけ逃げない子がいて、私はその子に近づく。英語がわからない。私も日本語がわからない。しかし、なんとなく通じるんだ。基地に帰ろうとしてるんだということを伝えようとする。彼が、ワイフが私に送ってくれたこのブレスレットに目をつけるんだ。
なかには、娘ふたりとワイフの写真があるんだ。彼はそれを見て指さすので、私はそれをあけて写真を見せる。彼の顔が輝いて、とびはねるんだよ。自分の住んでいる二階のほうを指さして、「シスター、シスター」というんだ。身ぶりで姉さんが腹ぼてだっていうのさ。
このちびさんが家にかけあがっていって、父さんをつれておりてくる。たいへんいい感じの日本の紳士だ。英語が話せる。おじぎをして「おあがりになって、お茶でもごいっしょにできれば光栄です」というんだ。それで、この見ず知らずの日本の家にあがりこんだんだよ。炉だなみたいなところに若い日本兵の写真があるので、「息子さんですか」ってきいてみた。「これは娘の夫で、生きているかどうかわからない。何も聞いていないのです」というんだ。
彼がそういった瞬間、私たちと同じように日本人も苦しむんだってことがわかりはじめたんだ。彼らは息子たち、娘たち、親類を失ってるんだ、彼らも苦しむんだってね。
日本人には軽蔑しかなかったんだよ。日本人が残酷だっていう話ばかり聞いてね。私たちは日本人を殺す訓練をうけた。敵なんだ。パールハーバーで連中がしたことを見ろ。しかけたのは連中だ。だからこらしめてやるんだ。この男の子と家族にあうまでは、それが私の気持だったんだよ。姉さんがでてきて、おじぎをする。ものすごく大きな腹をしてる。あの瞬間を私は忘れないよ」

ビクター・トリーは広島長崎復員兵委員会に加わる。
異常に多くの復員兵が、癌、白血病、多発性骨髄腫、その他の血液の病気などにかかっていることがわかる。
「私は政府を信じてた。ルーズベルトのいうことは何でも、神にかけて――いやルーズベルトが神様だったけどね――信じたのさ。(略)いまじゃ、私は疑うことができる。政府を疑っているんだよ。アメリカ人はみんなそうするべきだ。(略)
大統領だろうが誰がなんといおうがだめだよ。私は自分で考えなけりゃならないんだ。そして、みたものは、みたんだ。
私たちは、あのふたつの原爆を軍事施設に落としたんじゃない。私たちは、女たち子どもたちの上に落としたんだ。私がとんだりはねたり、相棒とだきあって、得意になってたその瞬間に、道路に幼い赤んぼがころがっていて、黒こげに、焼かれて、生き残るチャンスがない。七万五千人の人間がいて、生きて、呼吸して、食べて、生きたがっていた。それが一瞬にして黒こげにされてしまった。これはアメリカが永遠に背負わなければならないものだ、と私は思う」

アメリカ軍は、日本兵は夜でも目が見えるなどと信じていたという。
日本にしたって、
鬼畜米兵、女は強姦されて殺されると、自分たちがやってたから、そうされるものだと思い込んでいた。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではないが、知ることの大事さを思う。


「預言者侮辱」に抗議 領事館襲撃で駐リビア大使ら4人死亡

2012年09月13日 | 戦争

米国で制作された映画がイスラム教の預言者ムハンマドを侮辱しているとして、リビア東部ベンガジの米領事館に11日、抗議に押し寄せた群衆の一部が対戦車砲を撃ち込み、ロイター通信によると、駐リビア大使と職員3人の計4人が死亡した。米メディアによると、公務中の米大使が殺害されるのは1979年以来という。
 オバマ米大統領は同日、「非道な攻撃だ」と強く非難した。エジプトの首都カイロにある米大使館前にも11日、数千人が集まり、一部が敷地内に侵入して米国旗を引きちぎった。米国への抗議が他のイスラム諸国に飛び火する可能性もある。
 問題となっているのは昨年、米国で制作された映画「ムスリムの純真」で、俳優が演じるムハンマドは強欲で好色な人物として描かれている。
 偶像崇拝を禁じるイスラム教では、一般的に神や預言者の姿を映像化することはタブーとされており、インターネットの動画投稿サイトに掲載されたこの映画のアラビア語版の一部が今月、テレビで紹介されたことなどからイスラム世界で強い非難を呼んでいた。
 米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)などによると、映画はイスラエルと米国の二重国籍を持つビジネスマンがユダヤ人から500万ドル(約3億9千万円)の寄付を募ってプロデュースした。一昨年9月にイスラム教の聖典コーランを焼却すると宣言し物議を醸した米フロリダ州のテリー・ジョーンズ牧師も宣伝に関わっていた。産経新聞9月13日

ムハンマドを侮辱する映画を作れば、イスラム教徒がどういう行動を取るかわかっているはず。
それなのに、わざわざ映画を制作するのは確信犯である。
だからといって、アメリカ領事館を攻撃していいという理屈にはならない。
それで思ったのが、石射猪太郎『外交官の一生』に書かれてある事件である。

石射猪太郎(明治20年~昭和29年)は外交官として

『外交官の一生』は昭和25年に出版された。

石射猪太郎の上海総領事時代、中国の週刊誌「新生」が「日本、イギリスの各皇帝は骨董品」という記事を書いたことに対して、不敬事件だとして上海の邦字紙が書き立てた。
イギリスの対応はどうかというと、「イギリス皇帝にも悪口をあびせているにもかかわらず、イギリス人社会は静まりかえって音もたてない」
イギリス総領事は「イギリス国皇帝の地位はわれわれイギリス国民が一番よく了解している。外国人がどんな批評を加えようと問題でない。『新生』の記事なんか、イギリス国民の神経には少しも感じないのである」と語ったという。

石射猪太郎「私は過去の事例で、不敬事件や国旗侮辱事件を騒ぎ立てるほど逆効果を来す馬鹿げたことはないと思っていた。(略)政治家・右翼が事件を利用し、言論機関がきまってこれに迎合し、事を大きくするのが、いつも取られるコース」

中国大使が乗っている公用車の国旗を奪った事件に対する日本政府の対応は手ぬるいと、私は思ってた。
しかし、石射猪太郎が書いている国旗侮辱事件がどういう事件だったのかわからないが、「騒ぎ立てるほど逆効果を来す馬鹿げたことはない」という文章を読み、頭を冷やされた思いがした。

石射猪太郎によると、霞ヶ関正統外交は「国際協調主義」「平和主義」「対華善隣主義」である。
ところが、幣原外交は軟弱外交として非難され、政党や国民は強硬外交を喝采した。
「一時、国民外交が叫ばれた。国民の世論が支柱となり、推進力とならなければ、力強い外交は行われないというのだ。それは概念的に肯定される。が、外務省から見れば、わが国民の世論ほど危険なものはなかった。政党は外交問題を政争の具とした。言論の自由が暴力で押し潰されるところに、正論は育成しない。国民大衆は国際情勢に盲目であり、しかも思い上がっており、常に暴論に迎合する。正しい世論の湧こようはずがないのだ」


一例として、1940年1月に起きた浅間丸事件(浅間丸が房総半島沖でイギリス軍艦の臨検を受け、ドイツ人乗客が連れ去られた)について、石射猪太郎はこのように書いている。
「イギリス軍艦としては、国際法上認められた権利を行使したまでのことであったが、日本の強硬論者が騒ぎ立てた。たとえ領海外の臨検であっても、いやしくも富士山の見ゆるところでのこの権利行使は許しておけないと怒号し、合理的に問題を解決しようとする政府の態度を軟弱外交だとして責めた」

石射猪太郎が「国民大衆は国際情勢に盲目であり、しかも思い上がっており、常に暴論に迎合する」は国民を愚民視するもので賛成できないが、吉林総領事時代のこんな経験をしているからかもしれない。

満州事変が起き、「長春から鉄路三時間かかる吉林は、一朝擾乱する時は孤立無援となる。居留民の不安がるのも無理はなかった」
「わが居留民も動揺し始め、民団幹部がやって来て、せめて居留民と婦女子だけでも吉長鉄道が通じている間に長春方面に移したいという」
日本機が飛んできて、第二師団が吉林に向かって進軍中だとわかる。
「今まで脅えていた居留民はこの瞬間から強気になり、中には日本刀を腰にして寄らば切るぞと肩で風を切る者もいた」
「居留民は第二師団進駐の瞬間に、私から離反した。事変前の総領事は、居留民の生命財産の保護者として彼ら社会の中心をなしていたのであるが、今や吉林省官民が軍の威力の前に屈従している以上、総領事の存在は居留民の必要とするところでなくなったばかりか、軍に接近して総領事を非難することが、彼らの利益となってきた」

先日、某氏と話してて、「尖閣諸島を国が買っても、中国や台湾が認めるわけがない」と言うので、某氏を対中強硬派と思ってた私は驚いた。

国有地になることによって、外交上、何かプラスがあるのだろうか。
浅間丸事件や国旗侮辱事件と、尖閣諸島や竹島の問題とを同一に論じることはできないが、強硬な態度を取れば国民は喝采し、話し合いで解決しようとすると非難するのは、今も昔も同じ。
お互いがエスカレートしたらどうなるかは、今回のおバカ映画騒動を見ればわかるというものである。


戦争と死刑と脳死移植と安楽死

2012年08月23日 | 戦争

憲法9条第二項に「国の交戦権は、これを認めない」とある。
ダグラス・ラミス『要石:沖縄と憲法9条』は、交戦権についてこのように説明している。
「交戦権は侵略権ではない。軍事行動を行う権利なのである。つまり、戦争で人を殺しても、殺人で処罰されずにすむ権利である」

「交戦権というのは、兵隊が人を殺しても罪にならないという権利です。つまり、戦場で兵隊がやることは、普通は犯罪です。私たちがやれば殺人犯になる。あるいは、兵隊みたいにたくさんの人を殺せば、クレイジーだと思われて精神病院に入れられるかもしれない。だけど、兵隊は、交戦権があるからこういうことをやっても犯罪にならない、罪にならない。
罪にならないということは二つの意味があって、逮捕されない、法的に罪にならないということと、もう一つは罪悪感を感じる必要がない」
つまり、交戦権を持たないということは「戦場で人を殺す権利はありませんという意味」なんだそうだ。

なるほど、そうか。

たとえば、日本への無差別爆撃による焦土化作戦を立案したカーチス・ルメイ将軍からしたら、無差別爆撃を非難される筋合いはないことになる。
だからというわけでもないだろうが、ルメイ将軍は、日本から勲一等旭日大綬章をもらっている。

交戦権という考え方は、脳死による臓器移植とか安楽死とかにも通じる。

以前は脳死による臓器移植は認められていなかったし、安楽死をしたとして逮捕された医師がいる。
罪悪感を感じるかどうかはその人によるけど。
だけど、法律が作られると、罪に問われない。

死刑も同じ。

死刑制度がない国で処刑すると、リンチ、もしくは虐殺ということになり、当事者は処罰される。
死刑が法律で認められると、関係者が罰せられることはないし、罪悪感を持たなくていい。
もっとも、死刑の場合、執行に立ち会う刑務官は罪悪感を持つように思う。

「フォーラム90」Vol.124に、小川秀世弁護士の「袴田事件の現状と展開」という講演録が載っている。
警察・検察の証拠捏造、証拠の非開示はひどいものである。
たとえば、袴田さんは事件を起こした時に着ていた服を味噌樽に隠したとされた。
その服は袴田さんには小さすぎるし、1年2カ月も味噌に漬かっていたのに白いままなど、捏造されたことは明らかである。
ところが、証拠として採用され、袴田さんは死刑になってしまった。

小川秀世「我々は気楽に今、捏造と言っていますけれども、これ、重大事件ですよね。死刑になるような強盗殺人事件、放火事件、そういう事件で証拠を捏造したっていうのはどういうことなんですか。

しかも、僕は警察官がやったと間違いなく思っているわけですけれども、これって袴田さんが死刑になるかもしれないということがわかっていながらやっているわけでしょう? これって殺人じゃないですか。殺人の実行行為でしょう」

証拠を捏造した人(警察官?)は逮捕されないし、たぶん悪いことをしたとは思っていないだろう。
再審が開始されたら、殺人未遂罪で告発したいと、小川秀世弁護士は言っているが。

死刑制度を認めることは、証拠を捏造し、無罪の証拠を開示せず、そのことで無実の人が死刑になっても、証拠を捏造したり、証拠の開示を拒む人は罪には問われず、罪悪感を感じる必要がないことも認めることである。
死刑制度の廃止を求めることは、ただ単に死刑をやめろということだけでなく、どんな人の命であっても命を奪う権利は誰にもない、と訴えることだと思う。

追記
冤罪なのに死刑が執行され、後に冤罪だとわかっても、裁判官や法務大臣は殺人罪には問われないんでしょう(国家賠償はあります)。
でも、おかしいと思いませんか。

こんな記事がありました。
「足利事件」菅家さんを獄中に突き落とした最高裁判事たちの豊かな老後
最高裁の判事も人間だから間違いは犯します。
間違えていたことを知ったならば、「ごめんなさい」ぐらい言ってもいいのではないでしょうか。


戦争とギャンブル

2012年08月19日 | 戦争

小さな船は小回りが利くが、大きな船は障害物を避けたり、停止するのに時間がかかる。
身近な小さい世界でも流されてしまいがちなのに、組織が大きくなると細かな動きが取りにくくなる。
みんなが「危ない」と思いながらもどうすることもできず、タイタニック号のようにぶつかって沈没してしまうこともしばしば。

そのいい例が戦争で、一度動きだすととまらない。
とまらないどころか、どんどんと拡大していって、負けていても、とことん行かないと終わらせることができない。
自国に有利なうちは利得権益を増やそうと思い、押されてくると、せっかく手に入れた利得権益を手放したくないので、一発逆転をねらう。
泥沼状態になると、引っ込みがつかなくなり、状況を打開するために強硬策を取る。
そうしてますます動きが取れなくなり、悲惨な結果を招いてしまう。

臼井勝美『新版 日中戦争』によると、日中戦争の第一期は1933年6月から1937年7月まで。

「中国政策については34ヵ月(68パーセント)にわたって外務次官を勤めた重光が主導権をとっているので、広田・重光の時期といったほうがよい」

重光葵は外務次官(1933年5月復職)として中国に対しては、現地軍と同じ強硬策を主張している。

「東亜の指導者としての自覚をもつにいたった日本はその使命である東亜の平和と秩序を維持するために中国以外の欧米諸国と責任を分かつ必要もなく協議する必要もない」
欧米の中国援助に反対する「天羽声明」は、重光葵が出した有吉明公使宛の訓令なんだそうだ。

林銑十郎内閣の佐藤尚武外相は中国との関係修復を図る。
しかし、林内閣は4カ月で総辞職し、近衛内閣が成立した。
「きわめて困難ではあるが絶望とは言えない日中関係正常化への展望を捨て去ったのは林内閣を継いだ近衛首相であり、再登場した広田外相であった」

1938年5月、宇垣一成が外相になる。
宇垣一成は「中国統一の象徴としての国民政府、蒋介石を高く評価していた」そうだ。
宇垣外相は和平工作を行うが、近衛首相は協力せず、強硬論の陸軍に同調したので、外相を辞職した。
それからはずぶずぶと泥沼にはまり、さらには対英米戦に突入する。

1943年5月、アッツ島の守備隊が玉砕する。
田中伸尚『昭和天皇』に、昭和天皇の蓮沼侍従武官長へのこんな発言が載っている。
「こんな戦をしては「ガダルカナル」同様敵の志気を昂げ、中立、第三国は動揺して支那は調子に乗り、大東亜圏内の諸国に及ぼす影響は甚大である。何とかして何所かの正面で米軍を叩きつけることは出来ぬか」(『戦史叢書 大本営陸軍部〈6〉』)
昭和天皇の言葉は蓮沼から真田穰一郎作戦課長、そして杉山元参謀総長に伝えられた。

8月5日、杉山元は各方面の状況を「率直に」天皇に告げた。
御上 いずれの方面も良くない。米軍をピシャリと叩くことは出来ないのか。
杉山 両方面とも時間の問題ではないかと考えます(つまりダメだという意味―引用者)。第一線としてはあらゆる手段を尽くしていますが誠に恐縮に堪えません。
御上 それはそうとして、そうじりじり押されては敵だけではない、第三国に与える影響も大きい。一体何処でしっかりやるのか。今までの様にじりじり押されることを繰り返していることは出来ないのではないか。(『杉山メモ』)

昭和天皇は、このままではじり貧なので和平工作は難しい、少しでも形勢を挽回して好条件で戦争を終えたいと思ったのか、それとも戦争に勝つまではやめる気はなかったのかはわからない。
どちらにしても米軍をピシャリと叩くのは無理な注文でした。

1944年11月に重光葵外相は「対ソ施策のため中国のソ連(共産)化を積極的に容認しようとする姿勢」をとる。

考えを変えたわけである。
重光葵の変貌について臼井勝美氏はこう書いている。
「外務次官時代の積極的な内政干渉、対支新政策・大東亜宣言の主唱者(宣言は大東亜各国の自主独立、伝統の尊重を強調していた)、そして今共産化の容認、と重光の変貌には目を見張るものがある。そこに外交官としての情勢判断に基づく柔軟な適応性を見るべきであろう。一貫しているのは中国本来の自主性を粗略視している点である」
重光葵をほめているのか、けなしているのか。
そのころにはソ連は日本の和平工作なんて相手にしないのだが。

デービッド・ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』を読むと、ベトナム戦争が泥沼化していくのも同じパターンである。

最初は軍事顧問を派遣する程度だったのが、師団を送り込み、何千人が何万人、何十万人と増えていく。
ベトコンの動きを抑えるために北爆をし、北爆に効果がないことがわかっても、中止したら弱気になったと思われるのではと、無駄と知りつつ北爆を続ける。
交渉を持ち掛けるのも、負けを認めることになるからできない。
そこで、相手を叩いて、そうして交渉を切り出そうとする。
ところが、情勢は悪くなる一方なので、和平工作は難しい。
それでまた軍隊を増員することになる。

ギャンブルの心理といっしょだと思う。
もうけているときにやめればいいのだが、それができる人はまずいない。
もうちょっとと欲を出し、損をしだすと、このままではやめれない。
そうしてどんどんエスカレートして、借金してまで突っ込んでしまう。

アメリカはベトナムへの介入が深まるにつれて軍事費が増大し、1967年度は98億ドルの赤字だったのが、1968年度は270億ドルの赤字に増えている。
自軍が優勢だという情報は信じるが、慎重な意見、不利な情勢分析には耳を傾けない。

1968年1月のテト攻勢。
「軍の代表が、テト攻勢中、敵の蒙った損失は死者四万五千人であると、説明した」
アーサー・ゴールドバーグが「テト攻勢開始時の二月一日段階で、敵の兵力はどの程度か」と質問したら、「16万から17万5千と推定されます」と答えた。
軍は敵の死者対負傷者比率は1対3.5という数字を使っているので、ベトコン側の負傷者数は4万5千人の3.5倍という計算になる。
「ということは、敵はもはや戦闘能力ある兵力を持っていないということになるね」とアーサー・ゴールドバーグは言った。
どの国でも大本営発表をしているわけだし、それを信じている人もいるのである。

アメリカはアフガニスタンやイラクなどでも同じことを繰り返している。

人は歴史から学ぶことが少ないらしい。


福島と沖縄 3

2012年08月15日 | 戦争

福島の犠牲ということ。
高橋哲哉氏は「戦後の日本が高度成長によって経済大国になるために、原発という犠牲のシステムを必要とし、福島はいわばその一つの象徴になったわけです」と語る。
原発は経済大国になるためだけでなく、実は軍事目的と密接な関係があるのだ。

高橋哲哉「福島の場合には、あからさまな軍事目的というのは隠されています。(略)日本は経済大国になろうとした。そしてなった。その経済大国日本を支えるためのエネルギーとして、一応平和利用という形で原子力発電を国策として進めてきた。実は裏側に軍事利用がくっついていたわけですが。そういう表と裏の二重の意味で、原発は国の根幹なのですね」

日本国憲法は核兵器の保有を禁じているのか。
高橋哲哉氏によると、「日本国政府の見解では、核兵器の保有は憲法上禁じられていない」そうだ。
「これは、60年代70年代あたりから内閣法制局の見解として、たびたび国会出だされてきています。それは、安全保障上、日本の防衛上必要最低限度の防衛力の範囲内であれば、核兵器の保有も憲法の禁じるところではない、という見解なんですよね。最近では、安倍内閣の時、それから麻生内閣の時に、議員の質問主意書に対する政府の回答という形で、そういうことが確認されています」
むむむ、知らなかった。

1969年「わが国の外交政策大綱」に、
「核兵器については、NPT(核不拡散条約)に参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的技術的ポテンシャルは常に保持する」とあるそうだ。
つまり、「核兵器製造の経済的技術的ポテンシャル」を保持するために原発は必要なわけである。
原発があるかぎり、日本はいつでも核兵器を製造できる能力を持っていることになる。

石破茂自民党政調会長「脱原発で原発を止めると、潜在的核抑止力を失うことになる、それでもいいんですか」
原発再稼働は電気が足りないからではなく、こっちのほうが目的じゃなかろうか。

では、犠牲になるのは誰か。
かつて久間章生防衛大臣は「長崎に原爆が落とされたのはしょうがない」と発言して辞任した。
「国のために命を差し出せなどとは言わない。しかし、90人の国民を救うために、10人の犠牲はやむを得ないという判断はあり得る」と言っていたそうだ。

久間章生氏や家族が、率先して犠牲になりましょう、福島の浜通りか、沖縄の普天間基地の隣に引っ越します、ということであれば、美談となります。
誰が犠牲になるのか、それを決めるのは誰か。
高橋哲哉「久間さんは、自分は犠牲になるほうだとは思っていないわけです。そして、「やむを得ないね」と言う一般の市民の人がもしいるとすれば、自分は犠牲にならない、9割のほうに入ると思っているから、たぶんそう言うんですね」
私を含めて、自分が犠牲になるとは考えていない人が99%だと思う。

高橋哲哉「わたしは、犠牲のシステムを続けて原発を維持したいと言う人は、誰が犠牲になるのか責任を持って言う義務があると思います。誰を犠牲にするのか。自分が犠牲になるのか。米軍基地も同じです。米軍基地は必要だと言う人は、それでは誰が犠牲になるのか、沖縄を犠牲にするということを、あなたはなぜ、どういう資格で、どういう権利で言えるんですかと、こういうことに答えられない限り、犠牲のシステムをもうこれ以上続けさせてはいけないと、わたしは思っているわけです」
自分が快適で、便利で、安全な生活をするために、どこかの誰かが犠牲になったとしてもやむを得ない。
原発を認める人はそう思っているのではないか。
正直なところ、私もそういう感情があることを否定しません。


福島と沖縄 2

2012年08月12日 | 戦争

沖縄の犠牲について、高橋哲哉氏は「憲法から問う原発という犠牲のシステム」という講演で次のように語っている。
「戦後日本の安全保障の国策と言えば、日米同盟、日米安保体制ということになります。これは、わたしにはやはり犠牲のシステムだったというべきだと思います。沖縄にその犠牲が集中させられてきたということです」

戦後すぐに沖縄は切り捨てられた。
「昭和天皇が1947年にマッカーサーに出した「沖縄メッセージ」というのがあります。米軍が沖縄の軍事占領を25年ないし50年ないし、それ以上にわたって継続してくれることが、アメリカの利益になり、また日本を守ることにもつながると、こういう提案を昭和天皇がマッカーサーに申し出ています」
現在も事態は変わらない。

ダグラス・ラミス『要石:沖縄と憲法9条』の「要石」(Keystone)とは、アーチの最頂部に差し入れて、全体を固定する楔形の石のこと。
要石があることで、石の柱が崩れ落ちようとする力をアーチを支える力に変える。


中国大陸を海から抑えるように台湾~琉球諸島~九州の弧が連なっている。
その中心(要石)が沖縄島である。


アメリカが日本にある基地を撤退するわけはない。
佐伯啓思「アメリカの軍事力は、むろん、アメリカを守るためのものですが、さらに言えば、アメリカと同様の考え方をする同盟国を守るためのものでもあり、もっと言えば、世界秩序を守るためのものであります」(『自由と民主主義をもうやめる』)
沖縄の基地は中国の覇権主義を抑えるために必要であり、ひいては世界秩序を守ることになる、という理屈である。

沖縄に基地があるのは安保条約で決めたからであって、沖縄の基地と安保はセット。
だけど、今は沖縄の基地問題を訴える人も安保には触れない。
ダグラス・ラミス氏は、東京の中年女性から「九条を世界遺産にする話があるが、その可能性はあると思うか」と聞かれて、「いや、日米安保条約がある限り無理じゃないですか」と答えた。
すると女性たちは「えっ、日米安保条約をなくすのですか。日本を無防備にするのですか。だってほかの国には軍事力があるんだから怖いんじゃないですか」と言った、という話を紹介している。

沖縄は日本全体の0.6%の面積であるにもかかわらず、日本にある米軍基地の75%が集中している。
米軍基地の存在を認めるのだったら、沖縄県外に基地を移転することに賛成してもよさそうなものである。
だけど、自分の家の近所に基地ができるのはいやだ。
安全、快適、便利な暮らしをしたい、だけども危ないものはよそに。
原発やゴミの処理場なども同じで、過疎地に押しつけている。

これをNIMBY(ニンビー)と言うことを『要石』で知った。
Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあって欲しくない)の略で、施設の必要性は認識するが、自らの居住地域には建設してほしくないとする住民たちや、その態度を指す言葉である。
ダグラス・ラミス「米軍基地が日本にあるということはアメリカの押しつけがかなり入っているんですけれども、沖縄にあるということはアメリカの押しつけでも何でもないんですね。それは日本の押しつけですね」

高橋哲哉「憲法上、国民の負担は平等にするのが本来の形だと思います。それでは、全都道府県で基地の犠牲を平等に負担するとなると、これはそうはいかない。どこかに持っていこうとすると、必ず反対が起こります。なぜ沖縄にみんな押し付けているのか。いずれにしても、沖縄の犠牲があって、日米安保体制というのがこんにちまで来ているわけですね」


福島と沖縄 1

2012年08月09日 | 戦争

某氏より高橋哲哉「憲法から問う原発という犠牲のシステム」という講演録をいただく。
これは2011年12月に行われた愛知県宗教者九条の会でのお話をまとめたものである。
高橋哲哉氏は『犠牲のシステム 福島・沖縄』という本を上梓していて、たぶんこの本の内容を要約した話だと思う。

高橋哲哉氏は、福島と沖縄には関係があると説く。
福島・沖縄は戦後日本の国家体制として不可欠の犠牲のシステムを象徴する。
「原発は、戦後日本国の経済を支える犠牲のシステムだった。沖縄は、戦後日本国の安全保障を支える犠牲のシステムだった」

原発は犠牲のシステムだということ。

原発には四つの犠牲が重なり合っている。

 ・第一の犠牲 苛酷事故

福島原発の事故は途方もない大事故である。
苛酷事故が起こる可能性は千年に一回、一万年に一回と想定されているみたいだが、現実にはスリーマイル島、チェルノブイリ、そして福島と、十年、二十年くらいに一回、苛酷事故が起きている。

「事故が起こらなければそれでいいじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、しかし事故は想定されているんです。(略)
原発で苛酷事故が起こるということは、実は想定内であります。想定されているからこそ、原発は人口の少ない地域を選んで作られているわけです。これは、ちゃんと法律になっています。原発立地地域は、まず中心部分に人が住んでいない、非居住地域であること。周辺部分は低人口地域であること。さらに、周辺も含めておしなべて人口過疎地帯であること。こういうことが、原発の立地指針として、すでに1960年代に定められています。(略)
一部80年代に改定されて、正式な名称は「原子力発電立地地域振興に関する法令」というものがありまして、こちらの方では、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸、こういった大都市とその周辺には原発を立地しない、というふうになっています」
今回の事故を想定していたにしては、お粗末な対応でした。

 ・第二の犠牲 被曝労働者

苛酷事故さえ起こらなければいいのか。
「そうではない。事故が起こらない通常の運転中も、定期点検が義務付けられていますが、それはすなわち原発はそもそも危険なものだということを、政府も電力会社も認めているわけです」

原発労働者の被曝は平常時でも常に発生している。
「原発は通常の運転中にもしょっちゅうトラブルを起こして、そのために被曝労働が不可欠になってしまうんですね。事故の時はもちろん、通常の時も原発は原発労働者の犠牲なしには回らない」

福島原発の事故を収束させるために作業をしている人たちは一万人を超えているそうだ。
原発作業員は年間の被曝線量の上限が100ミリシーベルトと定められているのだが、福島原発の事故が起こってから、政府は上限を250ミリシーベルトに引き上げた。
白血病やガンになっても、累積放射線量が200ミリシーベルトでは労災になりませんよ、ということである。

日本では原発が動き始めてから40年間に、被曝労働者は45万人いると言われているが、その多くは孫請け、ひ孫請けで働いている作業員である。

原発の労働者が被曝で病気になったり、死亡したりして、労災の認定を受けた人は10人しかいない。
安全だからその程度の人数だというわけではなく、闇に消された被曝労働者が大勢いるらしい。
この10人の中で100ミリシーベルト以下の人が9人。
ということは、3月11日から福島原発で働いた作業員たちから白血病やガンで亡くなる人が次々と出てきてもおかしくない。

 ・第三の犠牲 ウラン供給側の労働者

「ウラン鉱の採掘労働に従事した周辺住民の被曝線量が高くなる。それからウランを採ったあとのウラン残土というのが放置されていて、これが非常に放射線量が高くてどこにも持っていくことができない」
森瀧春子氏が、インド唯一のウラン鉱山があるジャドゥゴダでは先住民が働かされ、土壌や地下水が汚染され、ガンや異常出産・先天性障害が多発し、新たな「ヒバクシャ」が生まれていると話されていた。

 
・第四の犠牲 放射性廃棄物の問題
放射性廃棄物をどう処理するか。
「日本政府は基本的には地層処分というので、要するに土の中に埋めてしまうということを考えている。埋めても地震があってそこに大きな断層ができたらどうなりますか。何しろ、放射能の半減期は百万年単位のものもあります。何百万年の間には、地震ばかりでなく、もっと大規模な地殻変動で陸が隆起したり、海底に沈んだりということがしょっちゅうあるわけです。地下何百メートルに埋めたから安全だ、などということは、全然通用しません」
つまり、解決策を見出していない。
それなのに「見境なしにどんどん原発を作ってしまった」わけである。

第一の犠牲は福島原発の事故で身近になった。
でも、第二の犠牲はまだまだ他人事。
まして第三、第四の犠牲となると、遠くの国や百万年後の話だから縁遠い。
で、犠牲は続くわけである。


国民が主役

2012年08月06日 | 戦争

日本国憲法で最も重要な言葉は「われら」だと、ダグラス・ラミス『要石:沖縄と憲法9条』は言う。
「われら」という言葉から「主権在民の憲法だということが読み取れる」わけである。
国民が主役ということが主権在民。
「今の憲法は、形として、国民からの政府に対する命令です」

大日本国憲法は「われら」ではなく、「朕」となっている。
「その憲法は、形としては明治天皇の命令であり、明治天皇が語っているわけです」
大日本国憲法では日本人は臣民だった。
臣民とは「言われたことに従う人間」である。

日本国憲法は「国民」という言葉が使われる。
憲法を新しく作ることは国民をつくり直すこと。
新しい憲法を、と主張する人は国民を臣民に変えようとしている。
このように説明されると、憲法とは何かがわかったように思う。

赤坂真理『東京プリズン』の書評に、「立憲君主制」とは「憲法にのっとった独裁」とある。
調べてみると、立憲君主制は英語でConstitutional monarchy。
monarchyとは、1 君主制,君主政治[政体];君主国 2 独裁[専制]君主権[政治,国]。
なにやら意味深です。

今の憲法はアメリカの押しつけだと言われる。
しかし「主権在民の憲法は、すべて押しつけ憲法」だとダグラス・ラミス氏は言う。
憲法とは政府の権力・権限を制限するだから、「押しつけないと主権在民の憲法はできない」
だから、「アメリカ占領軍と国民が一緒になってこの憲法を政府に押しつけた」わけである。

問題は、押しつけられた憲法の中身がどのようなものか、である。
筑紫哲也氏は、大学生に話した講義をまとめた『若き友人たちへ』の中で、
「日本国憲法には、世界で例のないことがいっぱいあります。みなさんよく知っている第9条、つまり戦争を絶対にしないということを憲法で謳っている国として、よく日本とコスタリカという中米の国があげられます。でもそれ以外にも、実はみなさんがあまり気づいていない条項があります。「男女平等」です。
日本国憲法はアメリカ人、占領軍が作った押し付け憲法だと、よく言われますね。ところがアメリカの憲法には男女平等の条項はないんです」
と語っている。

「あの当時、憲法起草を急げとマッカーサーに言われて作ったのは、アメリカでニューディーラーと呼ばれていた人たちで、アメリカを新しく建て直していきたいという意欲に溢れた若い連中でした。(略)
いわば理想主義者たちが占領軍に集まって、世界で最も理想的な憲法を書くとすればどういう憲法なんだろう、と議論して出来上がったのが日本国憲法の草案なんですね」

たしかに憲法はいかにも直訳風の硬い文章で、読もうという気が失せてしまう。
でも、なぜ変えないといけないのか。
筑紫哲也氏は「『菊と刀』に極めて予言的なことが書かれてあると言っている。
「戦争に負けた日本とドイツは、軍備をもつことは許されないだろうから、自分たちの生活向上のためにエネルギーを使うことが可能だと言っています。(略)
中国はやがて軍備増強に向かうだろうけれど、日本はそれをやらないことによって、平和の経済に力を注ぐことができ、遠からず東洋の通商貿易において、必要欠くべからざる国になるだろう。その経済を平和の利益の上に立脚せしめ、日本の国民水準を高めることができるだろう。そのような平和な国となった日本は、世界の国々の間において、名誉ある地位を獲得することができるだろう。そうも予言しています。(略)
せっかくそうやって手に入れたものを、なぜ投げ捨てて中国やアメリカのように軍備のほうへ金をどんどん移していって、「普通の国」にならなきゃいけないのか」
たしかにそうだなと思う。

「過去のことはもういい、戦後政治も清算して違うことを考えようなんて話を、田原総一朗さんなんかも言う。人間で言えば還暦、もう別のところへ行っていいんじゃないかと。でも、そう簡単じゃないんですよ。中国にだって、あの戦争でいろんな目に遭った人がまだいるでしょう。疎開をした少年にすぎない私でさえまだ生きているんですから。

それを簡単にチャラにして違う方向へ行こうというのは、これは無理です」

後藤田正晴氏も「どう憲法を変えてもいいけれど、今はまだ早い」と言っていたそうだ。
「将来、自衛権とかいろいろ書き直さなければならないかもしれない。しかしそのなかでも最後の一線がある。外へ出かけていっての武力行使は絶対にしないという一点を、どう憲法改正する場合でも入れるべきだ」と。

右翼の田中清玄氏も同じ発言をしているという。

田中愛治早大教授(田中清玄の息子)「実は父は、憲法は変えるべきじゃない、と意見を変えていました。父は戦後、アジアを歩き回るんですが、アジアの人たちと会って話しているうちに、アジアの人たちの信頼というものをまだ得られていないことに気づいたんです。それが得られないうちに憲法を変えてはいけないと思うようになったのです」
憲法を変えることで何か得する人間がいるんだろうなと邪推する。


アメリカの権利 2

2012年08月03日 | 戦争

ダグラス・ラミス氏は、アメリカは「第一は、先制攻撃を行う権利。次に、外国の政府を交代させる権利。第三に、一度もアメリカに入ったことのない外国人を逮捕・監禁し裁く権利」があると主張していると、『要石:沖縄と憲法9条』で言っている。

「外国人を逮捕・監禁し裁く権利」とはグアンタナモ基地のこと。
キューバの土地だからアメリカの法律は適用されないので、なぜ勾留しているかを説明しなくていい。

ダグラス・ラミス「基本的人権とは、いつ、どういう理由で、どういう手続きで処罰してよいのかということに関する権利だと思います」

「処罰」なんて、一般人には関係がないと思うだろう。
しかし、大日本国憲法にも人権条項があったが、「法律に反しない限り、秩序に反しない限り」という条件つきだった。
だから、小林多喜二が殺され、横浜事件という冤罪事件が起きても、特高は罪に問われない。
いつ引っ張られても、「秩序を守るためだ」と言われたら文句は言えないわけで、「自由の裏には、逮捕・処罰の問題があるわけですね」というダグラス・ラミス氏の言葉に納得。

「処罰」について。
「アフガニスタン戦争で、象徴的なことが毎日のように報道されていました。それは、今日米軍は何人のテロ容疑者を殺したということです。容疑者を殺している。犯罪の場合、容疑者の段階で殺してはいけないのです。有罪判決が出ない限り、処罰してはならないのです。通常の戦争の場合、相手が軍服を着ているか、あるいは軍事行動をしているのであれば、殺すことは許されます。ところが、テロに対する戦争になると、あいつはテロリストらしいという理由で殺しても構わないということになってしまいます」

これを読み、渡部昇一氏に聞かせたいと思った。
というのも、南京虐殺で殺されたのは一般市民を装った兵士である便衣兵だと、渡部昇一氏は主張しているからである。
「ゲリラは一般市民を装った便衣兵であり、捕虜は正式なリーダーのもとに降伏しなければ捕虜とは認められない。虐殺といえるのは被害者が一般市民となった場合であり、その被害者は約40から50名。ゆえに組織的な虐殺とはいえない」と、渡部昇一氏は言ってるわけだが、便衣兵といえども裁判をせずに殺していいわけではないことをご存じないのか。

テロとは何か。

民間人を無差別に殺傷するなどして政治的要求を達成することであり、テロの主体は非政府組織、個人だとされている。
では、テロ行為を国家や軍人が行うなら、それはテロか、とダグラス・ラミス氏は問いを立てる。

オックスフォード英語辞典
「テロ(テロリズム)」とはもともと「一部の国民を無作為に殺害して国民を服従させようとして政府が用いた方法」
国家が無作為に暴力を加えることで国民を恐怖に陥れることが、テロの本来の意味である。
だから、空襲のような無差別殺戮もテロなのである。
「核兵器は民間人と軍事目標を区別する能力がまったくない。核兵器がテロであることは明々白々である」

米戦略司令部の1995年方針書で、「米国の核兵器は理性的な手に握られている」と確信している人に対し、そうではないと言う。
「米国が敵に対して何をするかについてあいまいさがもつ価値のゆえに、わが国が抑止しようとする行為が行われた場合、われわれを完全に理性的で沈着冷静な存在として表すのは有害である。
中には『制しきれなくなる』分子もいるように見えるという事実こそ、敵側で決断を下す者たちに恐れと疑念をもたせ、それをさらに強化するのに役立ちうる。この根本的な恐怖感が、実際の抑止力の働きである。米国にとって重大な利害が攻撃を受けた場合、米国は理性を失い復讐に走る可能性があることこそ、われわれがすべての敵に対して示すべき国家のありようの一部でなければならない」

アメリカは何をするかわからない、という恐れをアメリカ自身が世界中に持たせようとしているわけで、これがテロの本質である。


アメリカの権利 1

2012年07月31日 | 戦争

ダグラス・ラミス氏は『要石:沖縄と憲法9条』でこんなことを言っている。
オバマが大統領に就任して間もなくノーベル平和賞を受賞した。
しかし、パキスタンにいたビンラディンを裁判にかけることをせずに暗殺した。
アメリカは他国の主権を侵害できる、国際法を無視してもいいとしたブッシュ(息子)の行動にオバマは従ったと、ダグラス・ラミス氏は指摘する。

9.11以降、アメリカ政府は自分たちに三つの権利があると言い出した。
「第一は、先制攻撃を行う権利。次に、外国の政府を交代させる権利。第三に、一度もアメリカに入ったことのない外国人を逮捕・監禁し裁く権利」
この三つの権利に基づいてアメリカは行動している。
先制攻撃とは体のいい侵略戦争だし、政権交代の強制は「内政干渉」である。
ただし、9.11以前からアメリカは三つの権利を行使していた。


アメリカは反植民地主義の伝統があるというタテマエだが、その一方でアメリカにとって都合悪い政権(親ソと見なした政権など)が誕生するとつぶしにかかる。

「地歴高等地図」(平成19年度版)のアメリカ大陸中央部の地図には、「アメリカ合衆国のおもな介入(19~20世紀)」の矢印がある。

メキシコ 1913~18年

ホンジュラス 1903~25年 1983~89年
グアテマラ 1954年 1966~67年
エルサルバドル 1932年 1981~92年
ニカラグア 1912~33年 1981~90年
パナマ 1901~20年 1989~90年
キューバ 1898~1902年保護国化 1917~33年 1961~62年キューバ危機
グレナダ 1983~84年
ハイチ 1915~34年 1994~96年
ドミニカ 1903~04年 1916~24年 1965~66年

これらの国では、それ以外の年には民主的な政権だったかというと、もちろんそうではなく、親米独裁政権である。

どうしてフセインとカダフィとアルカイダがだめで、サウジアラビアなどの王国ならいいのか。
アフリカの独裁国家には目をつむるのはなぜか。
独裁者とアメリカ企業がもうかる仕組みだからである。

デイビッド・ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』にこんなことが書かれてある。
31年間、独裁体制で国を私物化したドミニカ共和国のトルヒーヨ大統領が1961年に暗殺された。
「ロバート・ケネディを頭としてマクナマラその他二、三の有力者からなるグループは、早急に、だが限定的な介入を計るべきだと考えた。彼らは、CIA諜報員から、介入があればそれに呼応し、然るべきドミニカ人を中心とした大衆運動を組織し共和国を共産主義者の手から守る、という連絡を受けていた。
国務長官代理を務めていたボールズは、彼らの企てが非合法であると感じ、そのような介入に反対した。彼らが、事は緊急を要すると主張したのに対し、ボールズは、いましばらく事態の推移を見守るべきだと論じた。ここに及んで、当時まだあの横柄な態度をとり続けていたロバート・ケネディは、ボールズが根性のない骨なし野郎だという軽蔑の言葉を、雨あられのように浴びせかけ、周囲の人びとの眉をひそめさせたのである」
ロバート・ケネディがこんな人だとはがっかり。

1965年4月、ドミニカ共和国の独裁政権に左翼勢力が立ち上がると、ジョンソン大統領は迅速な行動に出た。
「ドミニカの情勢が十分確認されていないにもかかわらず、アメリカ大使が暴動を大げさに報告し、反政府勢力は共産主義者が牛耳っているというまったく根拠のない情勢分析を伝えるや、ジョンソンは武力行使を即決した。政府首脳でこれに反対したものは一人もいなかった。また、第三国にアメリカが武力介入する法的根拠がないと主張するものも一人もいなかった。武力行使は徹底したものであった。海兵隊ばかりではない。空挺部隊も参加し、総兵力二万二千がドミニカに送り込まれた。反乱がどのような性格のものであったにせよ――アメリカ政府はその点について確実な情報を持っていなかった――それは鎮圧された。
アメリカの腕力がことを決したのである。もちろん、左翼からの抗議はあった。このような冒険に不安を感じる人びとも文句をつけた。だがジョンソンは、それらの声にまったく耳を傾けなかった。目的は達せられたのだ。暴動は鎮圧されたのだ」

ドミニカで起きたことはほんの一例である。
その国の国民の幸福のためではなく、アメリカ企業の利益を優先する。
「問題なのは、現地の人びとに何がよいことかという純粋な問いではなく、何がアメリカにとって都合よく、同時に現地でも受け入れられるかという発想をするところにあった」

それでも、1961年のキューバ侵攻作戦をフルブライトは道義的な理由から反対している。

「フルブライトは主張した。この種の隠微な行動に出ないところに、われわれが民主国家としてソ連との違いを誇りにできる点があるのでないか。「カストロ政権打倒のために、直接的行動に出るのは言うに及ばず、それを背後から支援することについても、もう一点つけ加えたい。そのような支援は、アメリカの国内法、およびアメリカが締結している諸条件の精神、そしておそらくその文言にも、抵触するものと思われます。たとえ隠密裡であれ、この種の行動に対する支持は、国連その他の場で常にアメリカがソ連について非難する偽善と冷笑的行為に他なりません。この点は、世界も見落とさないでしょうし、われわれの良心も黙視できないところであります」」
だけど、いまだに同じことが繰り返しているのはご存じのとおり。

グアテマラの独裁政権に立ち上がった先住民族たちの記録である、ジェニファー・ハーバリー『勇気の架け橋』を読んだのは十年ちょっと前だが、本当に感動した。
1954年、ユナイテッド・フルーツというアメリカのバナナ会社を保護するために、アメリカは軍事クーデターを起こして、政権を転覆させた。
チリのアジェンデ政権と同じことをしたわけである。
その後、グアテマラの親米独裁政権は何十年も富を独り占めし、国民を弾圧し、先住民を迫害した。
ゲリラと見なされた人は拉致されて拷問。
約800万人の人口のうち、20万人が虐殺されたという。
こんなひどいことが行われていたのを知らなかったことに恥ずかしい思いをした。

あるゲリラの言葉「自分はもっとも幸運な人間だと思う。もし、生きて戦いの最後を見届けられなくても、自分には達成感がある。自分や仲間たちは架け橋としての役割を果たしたのだから。ひどい過去から、ひどいことがもう二度と起きない未来への架け橋としての」

ジェニファー・ハーバリーには『エヴェラルドを捜して』という本もあり、いつか『勇気の架け橋』と合わせて紹介したいです。