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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

曾野綾子『老いの才覚』(2)

2021年01月14日 | 

曾野綾子さんは『老いの才覚』で教育についても語っています。

教育の問題も大きいですね。戦後、日教組が、何かにつけて、「人権」「権利」「平等」を主張するようになりました。その教育を受けた人たちが老人世代になってきて、ツケが回ってきたのだと思います。

曾野綾子さんは人権嫌いのようです。
独裁国家では、国民の人権や自由を認めず、国民を拉致し、拷問し、殺すなどします。
そういうのをどう思っているのか聞きたいです。

昔の老人には「遠慮」という美しい言葉がありました。私が小さい頃、母たちの世代はよく「お邪魔になるといけないから」などと遠慮したものです。
しかし今では、だれもが「それをする権利がある」と言う。戦後の教育思想が、「あの人は髪を洗ってもらっているのに、私は自分で洗わされた」「損をした」という貧困な精神の老人を作ったのです。
「損をすることには黙っていない」というのも日教組的教育の欠陥です。

精神の貧困の原因をこのように述べます。

なんでもかんでも権利だとか平等だとか、極端な考え方がまかり通る世の中になってしまったのは、言葉が極度に貧困になったせいもあると私は思います。言語的に複雑になれない人間は、思考も単純なのです。

そうして読書と作文を勧めます。
しかし、小説家である曾野綾子さんの論理は単純すぎると思うのですが。

人に頼るなと叱咤します。

老人といえども、強く生きなくてはならない。歯を食いしばってでも、自分のことは自分でする。(略)
人の好意に甘えると、どんどん依存心が強くなります。

しかし、曾野綾子さんが足を骨折したり、目が見えなくなって、それでも一人で旅行をし、時にはまわりの人に頼ることが必要だと自慢そうに言っています。
誰かと一緒に出かければいいと思いました。

国を信頼するなとも言います。

私は、最終的に国家さえも信じてはいけないような気がしています。ほんとうのことを言うと、私は年金制度など撤廃して、めいめいで老後に備えたほうがいいと思っています。その代わり、国は保険料をとらないようにして、国民が年をとってどうなっても責任を負わない。これは極論ですけれど、社会保険庁みたいないい加減なところにはもう任せられません。


新自由主義の信奉者なのか、こんなことも言っています。

あらゆる点で守られ、何かあれば政府がなんとかしてくれるだろうと思っているから、自分で考えない。してくれないのは政府が悪い、ということになるわけです。


大川隆法『信仰の法』に同じようなことが述べられていました。

「大きな政府」が行うような政策等に頼ろうとする気持ちはあまり持たないほうがよいということです。
結果的には楽になるところも多少はあるかもしれませんが、国民の最低賃金を政府が上げなければいけないような国は、ろくな国ではありません。これでは駄目です。すでに「自由が死んだ国」に入っています。

菅首相の「自助、共助、公助」です。
社会的弱者への冷たさが共通しています。

日本では、万が一、生活が保てなくなれば、生活保護を受けられます。しかし、国家に頼って人の税金で食べようという姿勢は、あまり感じがよくないですね。他人のお金をあてにしなければ自分の生活が成り立たないというのは、どこかおかしいと思います。
人はいきなり老年になるわけではありません。長い年月の末に到達するのですから、老後の暮らしに備えて、貯蓄はしておくべきでしょう。いまの日本人の間違いは、複るから「備えあれば憂いなし」と言われているのに、備えもしない人が、かなり増えたことだと思います。

この考えは、貧困は本人が努力しなかったからだという通俗道徳です。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%E9%80%9A%E4%BF%97%E9%81%93%E5%BE%B3

他にも突っ込みどころ満載ですが、一つ紹介します。

振り返れば、ひと昔前までは、人は死ぬまで働くのが当たり前でした。七十歳になっても八十歳になっても籠をしょって、石ころだらけの坂道を上がって畑に行っては仕事をし、取れた野菜を背負って帰ってくる足腰がしっかりした老人が多かったものです。

ひと昔前がいつなのかわかりませんが、戦前には70歳、80歳まで元気に生きる人は少なかったはずです。
昭和10年の20歳の平均余命は、男40.41歳、女43.22歳ですから。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/19th/gaiyo.html
それに、そんな年になってまで重労働をしなければいけない社会が生きやすいわけがありません。

江戸しぐさを賛美しているのも滑稽です。
https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20150626-00046971/

そんな曾野綾子さんですが、人間の弱さに寛容なんだそうです。

あとで間違ったと気づいても、信仰があると、私の眼がなかったとはあまり思わない。そういう誤差や人間の弱さを容認できるんですね。自分に対しても、人に対しても厳しくしなくなって、とても楽になれます。

できる人はできない人の気持ちがわからないんだと思います。

夫の三浦朱門さんは失言の大家ですが、曾野綾子も負けてはいません。

元を取るという発想は、商人の行為なんです。元を取ろうとしないのが、人間の上等な生き方だと思います。

商人は下等なんだそうです。

どんな人が『老いの才覚』を読むのかと思いますが、若い人は読まないでしょうから、「ガミガミ言われたい」老人なのでしょうか。
戦前の日本や日本人を美化する人は多いですが、実際はどうだったのか、大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』を読んでほしいと思います。


曾野綾子『老いの才覚』(1)

2021年01月08日 | 

武田砂鉄『紋切型社会』に、新書を中心に嫌中・嫌韓本が乱立する事態を考えるシンポジウムをレポートした『週刊金曜日』(2014年8月1日号)の記事が紹介されています。

ある書店の店長は、この手の本を「購入する客層や特徴は?」との問いに、「曾野綾子の読者層」と断言している。

年老いた大家にガミガミ言われたい読者と、隣国への雑言を共有したい読者はリンクしている、ということなのだろう。直接的ではなく本の中で間接的に先達から説教を食らう。一方で、自分には直接的な危害が加わらない海の外へ攻撃を加える。自身の安全が約束された形で説教を受け、攻撃を続ける。


武田砂鉄さんは曾野綾子『老いの才覚』から引用しているので、『老いの才覚』を読んでみました。
どんな説教をしているかというと、今の老人は・・・、戦後教育が・・・、昔の人は・・・、そして自慢話、です。

日本の年寄りは、戦前と比べると毅然としたところがなくなりました。

もちろん曾野綾子さんのことではありません。

才覚とはCMI(今まで得たデータを駆使して、最良の結果を出そうとするシステムのこと)のようなもの。

昔の人は、そのシステムが頭の中に入っていました。こういう状況の時、自分はどうすればいいか。もしこの方法がダメだったら、次はどうしたらいいか、と機転を利かせて答えをだした。それが、才覚です。
最近、地震災害などがあると、テレビに「頭が真っ白になって、何も考えられない」と話している被災者が必ず登場します。揺れている間は、頭が真っ白になって何も考えられなくても、揺れがおさまればどうにか考えられるものです。どうして、おにぎりやパンの配給があるまで、呆然となすところなく座っているのか、不思議でなりません。
戦争中なら、どこにも食料はありませんでしたが、今は、どこの家でもお米の一キロや二キロはあります。避難する時は持ち出せなかったとしても、揺れと揺れの間に家に入って持ちだすこともできましょう。
私なら、余震の間にどこかからお鍋を調達してきて、即席のカマドを作り、倒壊家屋の廃材や備蓄してある薪を使って、自分でご飯を炊く。同じくらいの大きさの石が三つあれば、鍋を置いても安定します。ブロックでも煉瓦でも、壊れた家から失敬してくればいい。その程度のものなら、非常時は無断借用する才覚も必要です。
若い人は、「頭が真っ白で何も考えられない」のが自然なのかもしれません。しかし、少なくとも、戦争を体験している世代は、戦時下では頭が真っ白になるような人は生き延びられなかったはずです。被災した時こそ、高齢者だという甘えを捨て、過去の経験を活かし、率先して行動すればいいのです。

揺れただけなら自宅に戻るだろうし、家屋が倒壊するほどの揺れだったら、米を持ち出したり鍋を調達することは無理でしょう。

どうして才覚のない老人が増えてきたのか。
原因の一つは、基本的な苦悩がなくなったからだと思います。望ましいことではありませんが、昔は戦争があり、食べられない貧困があり、不治の病がたくさんありました。家もお粗末でしたから台風が来れば必ず屋根が飛んだり山崩れがあったりして、自然災害もひどかった。そういう目に遭うから、ある程度は運命を受諾し、また災害を自分たちでどう防ぐか、他人や国に頼らず知恵を絞ったのです。
ところが今は戦争がないから、明日まで生きていられるかどうかわからない、という苦悩がない。医療が進んで結核で死ぬ人も少なくなったし、昔みたいに子供の五人に一人が死ぬということもない。食べられなければ、生活保護がもらえる。山崩れや津波も予知して防いでくれる。

つまりは「昔はよかった」ということです。
しかし、戦争や貧困が知恵を育み、精神を豊かにするのなら、シリアやロヒンギャの人たちは今の状態のままでいいことになります。
いつから山崩れや津波の予知をして防ぐことができるようになったものやら。

さらにこのようにも言っています。

よく「日本は経済大国なのに、どうして豊かさを感じられないのだろうか」と言われますが、答えは簡単です。貧しさを知らないから豊かさがわからないのです。今日も明日も食べものがあって当然、水道の栓をひねれば、水が飲める。飲める水を使ってお風呂に入り、トイレを流している。昔は日本人も水を汲みに行ったり薪を取りに行ったりしましたが、今はそういう生活が当たり前になった。もともと人間が生きるということはどういうことかを全然知らない、おめでたい老人が増えたのです。(略)
原初的な不幸の姿が見えなくなった分、ありがたみもわからなくなった。そのために、要求することがあまりにも大きい老人世代ができたのだと思います。


やまゆり園事件の植松聖死刑囚の手記に同じことが書かれています。

人間は〝高等な動物〟でしかなく、「ダメですよ」と言葉だけで理解できるほど優れた生物ではありません。「マズイ飯」を食べることも必要です。それは基本的、原始的不幸を体験したことのない人は、幸福を発見する技術を見失っている為です。(『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』)

植松聖死刑囚は「基本的、原始的不幸」という言葉を使っています。
曽野綾子さんに影響されたのでしょうか。


大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』(3)

2020年12月26日 | 

戦前は高齢者を大切にしたり、お年寄りに敬意を払っていたのかと思っていたら、大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』には、高齢者を虐待し、死に至らしめる事件が紹介されています。

親を置き去りにしたり、行政の担当者が保護を求めた老人を遺棄することもあった。
養老院の経営者が配給品や寄付を横領して暴利をむさぼる。

高齢者の自殺も多かったです。

我国自殺の特徴として、高齢者の自殺の夥しい高率という事実がある。六十歳以上の老人の自殺率は我国が何処の国よりも高い。(読売新聞1934年11月29日)


1940年に自殺で亡くなった65歳以上の高齢者は2054人、2000年の統計では7550人。
10万人当たりの死亡率では、1940年は59.5、2000年は34.3で、1940年のほうが高い。
1940年の自殺率は、全年齢層が13.7、80~84歳だと88.2、85歳以上は94.1と高齢になるほど高い。
戦前の日本が高齢者にとって住みやすい社会ではなかったことはこの統計からも想像できる。

核家族化の兆候は戦前から現れていました。
1920年の国勢調査によると、「夫婦+未婚の子」の世帯が約40%、「夫婦のみ」を含めると半数以上の世帯が核家族だった。
三世代同居の世帯は約23%を占めるにすぎない。
平均寿命が短かったため、三世代がそろう状況が生まれにくかったという背景もある。

「昔はよその家の子供でも悪いことをすれば叱っていた」と言われるが、子供のしつけが厳しかったわけではないそうです。

従来の風習として、我々日本婦人は他人の子供の悪いことをしているのを見た場合、彼等に対して決して親切な態度をとりませんでした。先ず悪戯をしている子供と何の関係もない者であると、子供の仕ている事が、いかほど悪いことであろうと、知らない振りをして通り抜けてしまって、蔭でその子の悪口をでもいう位のことです。もしまた、子供の家と自分とが親しい間柄ででもあると、心掛のよい人は偶々それを制すであろうが、先ず多くの人は、そうはしません。子供の仕ている悪戯が悪いことだと承知していながら、無用な遠慮心から、それを制することなく、妙な処に妥協して、そのままそれを黙過してしまいます。(帆足みゆき『現代婦人の使命』1929年)


かつての農村の家庭や都市部の下層から庶民層にかけての家庭では、親が子供を叱るのは、家の仕事や手伝いに関する場合のみで、社会的なマナー・モラルが厳しく教えられる機会はほとんどなかった。

正宗白鳥

日本では徳川時代にもその前の時代にも、特有の礼法が武士の社会にも町人の社会にも規定されていて、それを破るものは擯斥されていたらしかったが、維新後には次第に古い風習が廃れて、新しい行事作法は整わず、私などは不行儀無作法御免の時代に成長したような有様であった。(読売新聞1938年6月11日)


長谷川如是閑

維新前までの日本の教育で大いに重視されたもので、明治後全く無視されないまでも、極めて軽視されたのは「躾」の教育である。(読売新聞1940年4月5日)


明治維新を境に礼儀・しつけが廃れはじめ、戦後その傾向がさらに強くなり、そして現在、日本人の道徳は地に落ちたということになります。

しかし今は、裸体での外出、川にゴミを捨てる、他人の荷物からモノを抜き取るなどは罰せられ、子供や老人への虐待は処罰が下される。
実際は戦前の日本人よりも、むしろ今日の日本人の道徳心は戦前に比べて格段に高まっている。

日本人の他者に対する礼儀の欠如、公共の場における傍若無人な振る舞いについて、大倉幸宏さんはこのように論じています。

身内や仲間、知人には礼儀正しく、やさしさや思いやりを向ける一方で、見知らぬ人に対しては冷たい態度をとる。「ウチ」と「ソト」を区別する日本人の習性は古くから多くの論者が指摘してきました。(略)
昔のよかった面だけでなく、悪かった面にしても冷静に目を向け、先人たちがその悪い部分とどう向き合い、何を試みてきたのかを見極めることも重要です。そうした物事を複眼的にとらえようとする姿勢こそが、本当の意味で歴史から学ぶというに値するのではないでしょうか。一面的な歴史認識、恣意的な歴史解釈は、社会を誤った方向へ導く危険性を秘めています。


そして、道徳教育についてこのように指摘しています。
安倍晋三内閣のもとで、道徳の教科化に向けた検討が進められているが、本当に有効な施策なのか。
戦前は修身という教科があったが、人々の道徳心向上に寄与したかどうか疑問である。
社会の秩序は教育によってのみ高められるのではなく、さまざまな制度やシステム、環境を整えることによって構築されていく。

昔はよかったと言うことは、ただ単に現在のさまざまな事柄が気に入らないだけと思います。


大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』(2)

2020年12月20日 | 

大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』によると、戦前は商道徳が守られていたわけではないようです。
さまざまな不正が行われていました。

酒や牛乳に水で薄めて売る。
積み荷の抜き取りが横行した。
商品の重さや量をごまかす。
粗悪品が雑じる。
見本と現品が違っている、など。

米国へ向けた我国シャツの送荷が、先方で開封するとボタンが全部糊付けであったとか、送ったマッチにはマッチが入っていないで箱ばかりであった。(新愛知1921年1月3日)


医療の面でも信じられないことがたくさんあります。
患者を麻酔で眠らせて暴行する。
いい加減な診断を下し、薬を与え、注射をし、手術をする。

妊娠の初期において、胎児が死んでいると称して流産させ、その流産手術代、入院料等をとるのであるという。(東京朝日新聞1933年4月20日)


こんなヤブ医者もいました。

かねてから「人殺し医者」という風評があった(略)。同医師にかかった患者を片ッ端から調査してみると、去る昭和8年1月開業以来同人の手にかかった千百四人の患者中実に八十七名という死因不審の患者が現われた。そこで更に五十嵐警察署がこの死因不明の八十七人について調べてみると、死ぬのも道理、これが殆んどモヒ(モルヒネ)注射一天張りの治療を受けており。(読売新聞1935年12月10日)


医師免許を持ってない人を雇う診療所がありました。

立派な医師を雇う場合には普通百円から百五十円位はどうしてもださねばならぬ。これが代診が出来るとか称されるだけで免許を持っていない、いわゆるインチキ医師なら最高八十円位で雇いいれる事が出来るところから、営利を目的とする診療所で雇いいれるのである。しかもこれ等インチキ医師の紹介所までが本郷区内にあるというのであるから驚くべきである。(東京朝日新聞1933年8月15日)


教師による殺人、暴行、放火、横領、万引き、生徒に対する猥褻行為などの犯罪が報じられています。

小学校主席訓導松本信夫は、受持の尋常六年女性と十数名を裸体にし変態性欲行為があったことが発覚し、この程免職処分になった。(読売新聞1928年2月18日)

校長の職を得るために多額の金銭を視学に贈ることが習慣化していた。
親から金品を受け取って内申書を改竄する教師がいた。

児童虐待、ネグレクトもありました。
「継母が毎日弁当を詰め込むとき生きたミミズを御飯にいれているのです」と担任に訴える6年生の女児。

養育費を受け取って子供を譲り受け、その後に殺してしまうもらい子殺しが横行していました。

同人は他の婆々連二名と共謀し、始末に窮したる私生児を四、五十円の附け金にて貰い受け、三日も経たぬ間に絞殺または蒲団巻きにして殺害せる数十二、三名に達し、死体は夜陰に畑地または溝の中に深く埋めたる。(大阪毎日新聞1913年6月4日)

殺害した子供の数は二百人以上、明治31年から16年間にわたって犯行を繰り返していだことが捜査で判明した。
東京のある集落では住民多数が共謀して子供をもらい受け、多くの子供は放置されて亡くなっている。

児童労働は当たり前でした。
丁稚奉公、飲食店の給仕、サーカスの曲芸、そして障害児を見世物にすることまで行われていた。

幕末から明治にかけて日本に滞在した外国人の著作を読むと、日本の子供は甘やかされており、親が叱ることがないと書かれてあります。
実際は例外がかなりあったようです。

大倉幸宏さんはなぜ児童虐待があったのか、このように指摘しています。

昔の日本社会は近所付き合いが濃密で、近隣住民が互いの家の内情をよく知っていたと言われます。しかし、戦前の児童虐待事件のなかには、発覚するまでに長い時間を要しているケースが多々ありました。親しい近所付き合いがあれば虐待を防げる可能性は高いわけですが、実際はそうではない事例が多かったのです。虐待が行われていることに気付かなかった、知っていたが通報するのをためらった、しつけと認識していた、単に見て見ぬふりをしていたなど、近隣住民側の事情はさまざまですが、人間関係の希薄さが見えてきます。かつての地域社会に対する今日のイメージは、単に美化されているだけの部分が少なくないのかもしれません。

大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』(1)

2020年12月11日 | 

戦前はのんびりしていたとか、アメリカの押しつけ憲法と戦後教育のせいで日本人の道徳心は退廃したなどと言う人がいます。
大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』には、そんなことを言ってる国会議員の発言が引用されています。

2006年5月26日、衆議院の教育基本法に関する特別委員会での大前繁雄委員の発言

今の日本の国のモラルの低下というのは実に深刻なものがございますので、私は、戦前というのはいろいろ批判されますけれども、モラルという面では非常に水準が高かったと言われております。


2008年5月14日、参議院の国民生活・経済に関する委員会での佐藤公治委員の発言

僕は本当に今政治家になってつくづく思うことは、毎日のように痛ましい事件が起こる中、何かやっぱりおかしくなっちゃっている。教育基本法というのができたとき、もう御存じの方々もいらっしゃると思いますが、当時、戦中においては教育勅語というのがあった。親を大事にするとか、お年寄りを大事にするとか、兄弟、家族仲よくしていくということ、当たり前なことが当たり前に書かれていた。ほかの部分では問題があったかもしれません。しかし、そういった当たり前なことをあえて教育基本法に入れる必要はないというので、外して作ったのが教育基本法なんですよね。実際、その外したことが、当たり前のことが今当たり前にできなくなっちゃっている。


2011年10月27日、参議院の文教科学委員会での義家弘介委員の発言

親殺しや子殺し、虐待、そして、例えば親が亡くなったことさえ届け出ずに、その年金を当てにして生活する、そんな事件が相次いで起こっております。日本の根幹あるいは教育というものはどうなってしまったのか。これは多くの人々が感じていることであろうと思います。公共の精神の欠如、そして個人主義に入り込んで、自分さえ良ければいい、とにかく今楽しければいい、そういった傾向をまさにつくり上げてきたのがこの日教組教育であろうと私は思っております。

ウィキペディアの記事を信じるなら、義家弘介さんに教育問題を語る資格があるのかと思います。
せめて管賀江留郎『戦前の少年犯罪』を読み、「そんな事件」が戦前も多かったことを知ってほしいです。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%E7%AE%A1%E8%B3%80%E6%B1%9F%E7%95%99%E9%83%8E

日本人が伝統的に受け継いできた高い道徳心が、戦後の教育や経済発展のなかで失われてしまったという指摘は正しいのか。
実際はどうなのでしょうか。
大倉幸宏さんはたくさんの新聞、書籍などから引用して、道徳心の喪失は大正、そして明治でも言われていたことをあきらかにしています。

井上哲次郎『我が国体と国民道徳』(1925年)

我日本の道徳上の現象を観察して見ると、日露戦争以後大分悪化した形勢があるけれども、今日は中々それどころではない。世界大戦以後は余程ひどくなって来たのであう。あの時に比べて見ると十倍もそれ以上も悪化した形勢が見える。


加藤弘之『公徳養成之実例』(1912年)

我国の道徳の壊頽今日より甚しきはあらず。公徳私徳共に紊乱を極め、社会の風致まさに地に堕ちんとするの危機に際し、公徳養成の必要漸く四方に反響し来らんとするの風あるは、社会道徳の為大(おお)に慶ぶべき事と謂うべし。

さらに多くの事例を大倉幸宏さんは引用しています。

列車でのマナーのひどさ。
列車に乗るために整列せず、降りる人がいるのに押しのけて乗車し、席の奪い合いをする。
混んでいても座席に荷物を置いたりし、高齢者、傷痍軍人、女性に席を譲らない。
弁当、菓子、果物などのゴミを床に捨てる。
窓からゴミや空き瓶を捨て、線路の保安員にあたって重傷を負うという事件もあった。

期限切れの定期券の使用、他人の定期券の使用、使用済み乗車券の使用などの不正乗車が行われた。
また、組織的に偽造定期券を製造・販売、偽造乗車券を製造して駅の待合室で売りさばく事件もあった。

駅弁の比較的入手難な現今において、すべて旅行はニギリメシを持参するという現象の反面に、純米のオニギリなどが三等車はもちろん二等車までも、毎日相当量のものが投げ捨ててある。(秋田魁新報1943年10月19日)

食糧不足だったはずの昭和18年に食べ残しが問題にされていたとは驚きです。

電車での化粧は近年だけのことではありません。

電車の中や汽車その他人混みの場所で、ところ構わずコンパクトを出してはパタパタ顔をはたき、果ては衆目を浴びつつ口紅までも御念入りに塗っている人達をよく見受けます。(東京朝日新聞1935年6月18日)


道路や公園、川などにゴミを捨てる、痰唾を吐く、立小便をする。
公園の花を盗る、椅子を壊す、ゴミを捨てる、通行禁止のところに入る。
名所旧跡、神社仏閣で落書きをする。
花見客で賑わう飛鳥山公園で。

人波にもまれながら公園の入口に来た時、何ともいえない異様な臭気に胸が一杯になった。そればかりではない。見渡す限りの紙くずはたいしたものだ。(略)空きびん、むしろ、ミカンの皮などの上へ醜態極まりない酔いどれが正体もなくゴロゴロ塵にまみれて寝ていた。そして不潔な濁水が便所の外まであふれだしている。(東京朝日新聞1930年4月8日)


図書館の本を盗む、切り取る、書き込みをするというように、公徳心が低かったのです。
このように、戦前の日本人は公共の場でマナーがよかったわけではありません。


『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』(4)

2020年11月21日 | 

月刊『創』編集部編『開けられたパンドラの箱』で篠田博之さんはこのように危惧します。

弱者を排除しようとする排外主義的な気運が世界中に広がっていることと無縁ではないような気がする。


植松聖死刑囚の手紙(2017年10月)

トランプ大統領は事実を勇敢に話しており、これからは真実を伝える時代が来ると直観致しました。


「相模原事件 死刑確定でなにが失われてしまったのか」(「FORUM90」VOL.173)で、篠田博之さんはこのように語っています。

今の社会風潮の影響を強く受けていることは確かです。植松氏が施設の中でも障害者を否定する発言が目につくようになる2016年初めには、アメリカ大統領選挙を控えてトランプが連日のようにテレビに映されており、植松氏自身がそれに大きな影響を受けたと自分で言っているんですね。(略)今までの福祉重視みたいな社会とか、世界の在り方にトランプは暴力的に挑戦した。差別的な考えを隠さずに口にすることが許されるのだという風潮で、植松氏は世直しのためにそれが必要で、自分も社会のための救世主になるんだと論理を飛躍させていくんですね。(略)
そうやって彼が変わっていく半年なり1年というのは、世界中にある種の排外主義が広がっていった。彼はそれを自分の思想形成の中に取り入れていくんです。


渡辺一史さんの発言です。

もう一つあるのは「自己責任社会」です。とにかく助け合いや支え合いということにはコストがかかるだけで、最終的には自己責任で野垂れ死にするような人はすればいい、命の選別もやむなしというような風潮が高まる一方ですよね。(略)公の席ではなかなか口にしづらいようなことでも、あけすけに語ってしまうことが正しいことなんだというような、ポリティカル・コレクトネス批判というんでしょうか、簡単に言うと「キレイゴト批判」ですね。「障害者なんていらなくね?」「あいつら生きてる意味なくね?」というような、身もフタもないことを口にすることこそが正しいことだというような価値観。それらが2016年という時期に、色濃く植松氏の中でクロスして犯行に結びついたんじゃないかと思います。


『開けられたパンドラの箱』に、海老原宏美さんが談話を寄せています。
海老原宏美さんは脊髄性筋萎縮症Ⅱ型の障害があり、移動には車椅子を使い、人工呼吸器を日常的に使用しているそうです。

なぜその命が大事なのか。命が大事だということは、学校の道徳とかで習うけれども、なぜ大事なのかは習わないんですよね。そんなものは一緒に生きていくなかで感じとることだけれども、共に生きる環境がないから感じとれないし、誰も教えてくれない。その中で起きた事件なので、背景には複雑な環境があるのだろうけど、起こるべくして起きた事件なのかなと私は思っています。(略)
植松被告が本当に狂った人で、あんな危ない人を野放しにしておけないから、精神科病や刑務所に早く入れてほしいと思う人が多いんでしょうね。危ない人、よくわからない怖い人をどこかに隔離しておいてほしいというのは、重度障害者の人は接し方もわからないし、ケアも大変なので施設に入れておいてほしい、という考え方と全く一緒なんです。(略)
私が当事者として感じることは、良かれと思ってやってくれることがだいたい差別なんです。特別支援学校とかもそうですよね。送迎をつけて、保護者の負担を減らして、人手も増やして、学校の中で手厚く見てもらえる。
あたかもその子のためになっている感じがしますが、学校の中ではそれでよいかもしれないけれど、社会に一歩出たら障害を持った人のペースで社会は動いていないんです。あっという間に取り残されていくわけで、それをフォローする仕組みは社会にはないんです。
確かに同じペースの子しかいない環境ではいじめもないと思いますが、社会に出たらいじめられるんです。トロいとか、仕事ができないとか、挙げ句の果てに殺されたりするわけじゃないですか。それに対応する力は、特別支援学校では身につかないんですね。
そういうふうに良かれと思ってやってくれることが大概差別だという思いが私の中にあって、行政っていつもそういうところを勘違いしているなと思います。

海老原宏美さんの指摘にはうなずくばかりです。


新自由主義政策によって格差が拡大して貧困層が増え、弱者が切り捨てられています。
そんな中、死ぬ権利を主張する人は、イジメやパワハラ、経済問題などで「自殺したい」と本人が望むのなら認めるのでしょうか。
死にたいんだったら殺してあげようというのは間違っています。
安心して生きていける社会にするなどして、「生きる権利」を大切にすべきです。

海老原宏美さんはこのようにも語っています。

当事者として生きていて思うのは、周りが思っているほど私は大変じゃないんですよ。大変なことも多いですけど、結構面白いんですね。目の前に障害が治る薬があったら飲みますかと言われたら、私は多分飲まないと思うんです。障害と生きるって大変なことがありすぎて面白いんです。別に強がりではなくて、障害があることで、健常者にはない喜びを得られる機会がもの凄くたくさんあって、色んな人に出会えたり、指が動く、手が動くことをすごく幸せに感じられたりだとか、世の中の一個一個の現象に対してすごく敏感になるんです。
私は進行性の障害なので、いつどう死んでいくかわからない、いつまで生きられるか、いつまで体が動くかわからないという状態に置かれている。死ぬことが身近にあるんですね。だから逆に今やれることをやらなくちゃとか、生に対する、生きることに対する意識が健常者に比べると日常的に自分の中に湧き上がる機会も多い。1日1日を面白く楽しく生きていこうという思いがすごくあって、障害者として生きるってすごく面白いなと思うんですね。


最首悟さんの談話です。

今はまだ訪問介護などもお願いせず私たち夫婦で星子を見ていますが、もうそろそろそれも終わりかもしれません。心配はしていません。頼りになる人たちがいますから。

『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』(3)

2020年11月12日 | 

月刊『創』編集部編『開けられたパンドラの箱』刊行までの動きを、篠田博之さんが書いています。

ひとつは旧優生保護法のもとで、障害者に対して強制不妊手術が行われていた事実が、手術を受けた人たちの告発によって、次々と暴かれていったことだ。優生思想が背景にあるという意味では、相模原事件とも根はつながっているように見える。強制的不妊手術が、戦前といった昔の話でなく、20~30年前まで行われていたというのは、衝撃的なことだった。


植松聖死刑囚の手記には、優生思想と思われることが書かれています。

人間は「優れた遺伝子」に勝る価値はありません。


障害者の生きる権利を認めず、安楽死という名の虐殺をすべきだという考えは、強制的不妊手術の延長線上にあります。
渡部昇一は「神聖な義務」(『週刊文春』1980年10月2日号)で、血友病の息子を二人持つ大西巨人を名指しして、遺伝性疾患のある子供を産まないようにすることは「神聖な義務」であると主張し、ヒトラーの精神病患者、ジプシーたちの虐殺について肯定的な発言を引用しています。
http://www.livingroom.ne.jp/d/h003.htm

「ホロコースト百科事典」というサイトに、ヒトラーの「安楽死プログラム」について説明されています。
https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/euthanasia-program

1939年、ヒトラーは「安楽死センター」で治る見込みのないとみなされた病人に「慈悲による死」(Gnadentod)を与える命令を下した。
ナチスにとって「安楽死」とは、心身障害患者の組織的な殺害を目的とした秘密の殺人プログラムを意味する。
優生学者とその支持者が「生きるに値しない命」と考えた、重度の精神、神経、身体の障害を持つために、ドイツの社会と国家に遺伝子的・経済的に負担となる個人を排除する試みだった。
ヒトラーは安楽死作戦の企てを「T4」と呼んだ。
T4作戦員は6つのガス施設を設置し、1940年1月、安楽死プログラムに選ばれた患者を集中ガス施設に移送した。
安楽死プログラムは第二次世界大戦末期まで続き、高齢患者、爆撃犠牲者、および外国人強制労働者などにまで拡大され、20万人の命が奪われたと推定される。

「朝鮮人を殺せ」とヘイトスピーチをする人たちは安楽死プログラムを支持しそうです。
もっとも、植松聖死刑囚は優生思想を否定しています。

手紙(2017年8月2日付)

第二次大戦前のドイツはひどい貧困に苦しんでおり貧富の差がユダヤ人を抹消することにつながったと思いますが、心ある人間も殺す優生思想と私の主張はまるで違います。


篠田博之さんとの面会でも同じことを言っています。

植松「ヒトラーと自分の考えは違います。ユダヤ人虐殺は間違っていたと思っていますから」
篠田「じゃあナチスが障害者を殺害したことについてはどう思うの?」
植松「それはよいと思います。ただ、よく自分のことを障害者差別と言われるのですが、差別とは違うと思うんですね」

篠田博之さんによると、植松聖死刑囚には韓国人や中国人とか、障害者以外に対する差別意識はないそうです。

渡辺一史さんは「相模原事件 死刑確定でなにが失われてしまったのか」(「FORUM90」VOL.173)で次のように語っています。

彼(植松聖)はやまゆり園の入所者の人たちのことを、よく「犬猫」に例えるんですね。「ご飯だよ」と言えば、ご飯だとわかるけれども、それ以上の意思疎通は取れないから「人ではない」と。(略)
結局、植松氏は目の前の人たちを簡単に「意思疎通が取れない」と決めつけて、コスパですね、コストがどうこういうことをずっと考えていただけだという感じがします。


安楽死を行う理由は、社会にお金(医療費)と労力(介護)が無駄にかかるからです。
麻生太郎大臣の発言です。

政府のお金で(高額医療を)やってもらっていると思うと、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろ考えないと解決しない。(略)
(延命治療には)月に1千何百万だ、1千500万かかるという現実を厚生省が一番よく知っているはず。(しんぶん赤旗2013年1月22日)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-22/2013012201_02_1.html

2013年の麻生太郎財務相の発言は、社会にとって不要な人間は抹殺すべきだという植松聖死刑囚の考えと同じです。
植松聖死刑囚は個人の考えですが、麻生太郎さんは大臣として法律を作る立場にいますから、麻生太郎さんの発言のほうが怖いです。

渡辺一史さんはこのようにも話しています。

今の日本の財政状況は非常にひっ迫していて「大変らしい」というのは、今では小学生でも何となく感じていることだと思います。だからこし、社会のお荷物に思えるような〝犯人〟を見つけだしてバッシングする。それがある時は公務員だったり、ある時は生活保護受給者だったり高齢者だったりするわけですが、植松氏の場合は障害者だった。障害のある人たちがいることが財政難の元凶ではないかと考え始めたわけですね。


一人ひとりの命が粗末に扱われ、命の選別がなされるなら、植松聖死刑囚のような行動を取る人が再び現れるかもしれません。


『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』(2)

2020年11月01日 | 

最首悟さんの41歳になる重複障害者の娘さんは、障害1級で、目が見えず、しゃべらず、自分で食べず、噛まず、排泄は無関心、動くことをあまり好まない。
『開けられたパンドラの箱』の談話で、最首悟さんは次の指摘をしています。

オランダの安楽死が日本で紹介された時、非常に印象的だったのが、家庭医の苦しみでした。60ほどある段取りを一つでも抜かすと刑事罰、訴訟の致傷になるので、そのことだけでも大変だということはわかるのだけれど、それに加えて、人の死に携わるということ、自分が最終的に死を与えなくちゃいけないというのは非常に厳粛なことで、ふざけてはいられない。家庭や友達と楽しむことができない、いやそういう集いから外される。安楽死の患者を年間3人もつとしたら、本当にひとりぼっちになってしまう。(略)
植松青年の問題提起の先にあるものを考えれば、与死法ができて、お医者さんが条件を満たした意識のない人たちに死を与えていくということになるけれども、果たして若者はそういう職業に就きたいのか。


松村外志張さんが提案した与死とは、社会が一定の基準を満たした人に死を受容させるというもの。
守田憲二さんの「死体からの臓器摘出に麻酔?」というサイトに、「移植学会 脳死概念を放棄か 松村氏の「与死許容の原則」を紹介“社会存続・臓器獲得のため、社会の規律で生きていても死を与えよ”」という記事がありました。
http://www6.plala.or.jp/brainx/2005-4.htm#20050410

松村外志張「臓器提供に思う-直接本人の医療に関わらない人体組織等の取り扱いルールのたたき台提案」(2005年)という論文について書かれたものです。
松村外志張さんは医者の負担なんて考えていないようです。

臓器移植法が制定されたが、脳死者からの臓器移植が伸び悩んでいるので、死者の生前の意思表示より、遺族や親密な関係者の意志を優先して尊重すべき。
ドナーカードで拒否している死者からの移植臓器の摘出もありえる。
臓器移植といった課題に対応するために、三回忌が済んでからでは間に合わない。
緊急の場に悔いない判断をするためには、日常的な訓練によって冷静な判断に到達する時間を短縮できる。

生きていても死んだものとなんら区別なく平気で扱うこともまた、人間を対象とした場合にはともかく、動物を対象とした場合には、少なくとも私にとっては、しばしばあるのが日常である。
 飛び跳ねている魚や蝦を見て「うまそう!」と口走る者がいてもあまり驚かないだろう。その時これらの生物は、脳の中では生命が無視された存在であり、なんの感情もなく殺せる「虫けらのごとき」存在ということとなる。(略)
与死は殺害と類似して、本人以外の者(あるいは社会)がある者に対して死を求めるものであるが、ここで殺害と異なるのは、本人がその死を受け入れていることが条件であるという点である。与死が尊厳死とは異なるのは、尊厳死は、死を選択するという本人の意志を尊重するという考え方であるに対して、与死は、社会の規律によって与えられる死を本人が受容する形でなされる。(略)
「殺」意を完全に非倫理的な観念として否定することはできず、限定した条件においては 、現在においても生きたその必然性があるもの(と)見るのが冷静な判断なのではなかろうか。


死を「与える」なんて究極の上から目線です。
本人の承諾がない、あるいは本人が拒否していても、臓器提供すべきだと主張する松村外志張さんにとって、人間は「虫けらごとき」のものかもしれません。
江崎玲於奈さんの優生思想的教育論もそうですが、頭のいい人の言っていることが正しいとは限らないといういい例です。

守田憲二さんは以下のように批判しています。

・臓器提供意思表示カードの所持者が脳死ではないにもかかわらず臓器摘出にむけた処置を開始され、臓器獲得目的で法的脳死以前にドナー管理を推奨する医師が多数いるため、与死の許容が現実には臓器獲得目的の 一層の殺人奨励となることに認識がない。
・時代に合わせて国民が決める条件で与死を許容するならば、脳不全(脳死)患者だけでく、臓器不全患者(移植待機患者)も「高額な医療費がかかる」として与死が許容されるだけでなく、脳不全患者がさらされているのと同じ生命を短縮される環境におきかねない。


最首悟さんの批判です。

問題は、人間の条件というのを自分でつくっていること。そしてその条件にかなわない場合、その人を抹殺する、廃棄するというところまで行ってしまう。


冲永隆子さんも「「安楽死」問題にみられる日本人の死生観 自己決定権をめぐる一考察」(2004年)も問題点を指摘しています。

もし、この医師の手による「慈悲殺」が認められたとすれば、患者と利害対立が生じる可能性のある家族に患者の生死を判断する権利を認め、結果として「安楽死」は、格好な殺人の手段となってしまうのではないだろうか。この点は、「安楽死」反対派が最も恐れる問題点でもある。なお、容認派は「厳しい条件付け」を主張している。

https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/tokinaga24.pdf

ジョセフ・フレッチャー、太田典礼、松村外志張たちは、障害者、認知症・寝たきりの人たちへの安楽死(殺人)を主張しています。
結局のところ、社会の負担を減らすための手段としての安楽死であり、個々の人より社会の利害を優先しています。
このことは優生思想につながります。


『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』(1)

2020年10月18日 | 

神奈川の津久井やまゆり園で、元職員が19人の障害者を殺し、26人に重軽傷を負わせたという事件がありました。
なぜ障害者を殺したのか。

月刊『創』編集部編『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』を読み、この事件はさまざまな問題を提起していることを教えられました。

植松聖死刑囚の手紙(2017年7月21日付)

私は意思疎通が取れない人間を安楽死させるべきだと考えております。私の考える「意思疎通がとれる」とは、正確には自己紹介(名前・年齢・住所)を示すことです。(略)
私の考えるおおまかな幸せとは〝お金〟と〝時間〟です。人生は全てに金が必要ですし、人間の命は時間であり、命には限りがあります。重度・重複障害者を養うことは、莫大なお金と時間が奪われます。(略)
3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信をもつことができました。


本人の同意なしの安楽死(殺人)、社会の負担となる障害者の抹殺(優生思想)という問題がここに示されています。
こうした考えは植松聖死刑囚だけが持っているのではありません。

『開けられたパンドラの箱』で、最首悟さんが松村外志張さんの「与死」、そしてヨゼフ(ジョセフ)・フレッチャーに触れているので、ネットで調べました。

大谷いづみ「J.フレッチャーとバイオエシックスの交錯 フレッチャーのanti-dysthanasia概念」(2009年)と「「尊厳死」思想の淵源 J・フレッチャーのanti-dysthanasia概念とバイオエシックスの交錯」(2010年)の要旨を読むことができます。
http://devita-etmorte.com/archives/oi091115-1.htm
http://www.arsvi.com/b2010/1003oi.htm

ジョセフ・フレッチャー(1905年~1991年)は中絶、産児制限、安楽死、優生学、およびクローン作成の支持者であり、アメリカ安楽死協会の会長を務め、アメリカ優生学協会と産児調節協会の会員。

euthanasia(安楽死)との対比でdysthanasia(悪しき死)という概念を創出し、のちにdysthanasiaに対する否定の意をこめ、anti-dysthanasiaという概念が創出された。
従来の安楽死とanti-dysthanasiaとの相違は、患者の同意を必要としない点にある。
同意するに足る能力がない場合には、憐れみによって死がもたらされる(慈悲殺 mercy killing)べきであると考える。

人間性を自己意識をもって決定し、理性的な一貫性のある行動をなす能力のある人格的存在であることを最重視する。
自己意識をもたず、理性的な能力のない者は、新生児であれ病み老い衰えた病者であれ、人間ではない「怪物」であり、また「植物」であるにすぎない。
フレッチャーはこれを「人格主義の倫理」と呼ぶ。

優生主義と「人格主義の倫理」を基本とするフレッチャーの論理構成と、産児調節運動を牽引し、日本安楽死協会を設立した太田典礼の論理構成は酷似している。

太田典礼について、大谷いづみ「太田典礼小論 安楽死思想の彼岸と此岸」(2005年)を要約します。
http://www.arsvi.com/2000/0503oi.htm

太田典礼(1900~1985)は、戦前から産児調節運動を行い、衆議院議員として旧優生保護法の施行(1948年)に寄与した。
1969年、太田典礼は「老人の孤独」(『思想の科学』)で以下の指摘している。

社会にめいわくをかけて長生きしているのも少なくない。ただ長生きしているから、めでたい、うやまえとする敬老会主義には賛成しかねる。(略)
ドライないい方をすれば、もはや社会的に活動もできず、何の役にも立たなくなって生きているのは、社会的罪悪であり、その報いが、孤独である、と私は思う。(略)
老人孤独の最高の解決策として自殺をすすめたい。(略)
老人はなおる見込みのない一種の業病である。まだ、自覚できる脳力のある間に、お遍路に出るがよい。老人ぼけしてからでは、その考えも気力もなくなってしまい、いつまでもめいわくをかけていながら死にたくないようなことをいうからである。


1972年の立法化提案では、延命処置を中止・軽減する消極的安楽死を適用行為に加え、これに付随して適用条件に「死期の遠い不治」を挙げ、しかもその範囲を「中風、半身不随、脳軟化症、慢性病の寝たきり病人、老衰、広い意味の不具、精薄、植物的人間」に拡大している。

太田典礼の安楽死運動はしばしば心身障害者と真っ向から対立した。

障害者も老人もいていいのかどうかは別として、こういう人がいることは事実です。しかし、できるだけ少なくするのが理想ではないでしょうか。(『死はタブーか』)

安楽死の対象にはならないはずの障害者が安楽死と関連して語られる。

人格の疑わしい人間存在に対する合法的な処置を提案する。

ひどい老人ボケなど明らかに意志能力を失っているものも少なくないが、どの程度ボケたら人間扱いしなくてよいか、線をひくのがむずかしいし、これは精神薄弱者やひどい精神病者にもいえることですが、むずかしいからといって放っておいてよいものでしょうか。(略)
人権審査委員会のようなものをつくって、公民権の一時停止処分などを規定すべきではないか、と考えます。(『死はタブーか』)

「社会の負担」となる「半人間」の排除の論理が貫かれている。

中絶、産児制限、安楽死、優生思想はそれぞれつながっていることがわかります。

稲子俊男『産む、死ぬは自分で決める』によると、太田典礼は安楽死を希望するというリビング・ウィルをしていませんでした。
晩年に脳梗塞(脳血栓?)で倒れ、さらに糖尿病が悪化した。
昭和60年、昼食にそうめんを食べている最中に気分が悪いと訴え、そうめんをのどに詰まらせての急性心不全で亡くなる。

「見事な死に際である」と稲子俊男さんは書いています。
太田典礼の老人についての発言との齟齬を稲子俊男さんはどう考えているのでしょうか。


小林美希『ルポ保育格差』

2020年06月16日 | 

小林美希『ルポ保育格差』の第1章「どの保育所に入るかで大違い」に、保育士による園児への虐待が書かれています。
子供が泣いても怒りつづける、腕をつかんで振り回す、部屋から閉め出す、部屋に閉じ込める、昼食を食べさせない、ビデオを見せて放っておくなど。
こんなことが実際になされているのかと驚きました。
知的障害者施設、児童養護施設での虐待、暴行を耳にすることがありますが、同じようなことをしている保育所があるとは。

内閣府が発表した2016年の事故報告集計によると、認可保育所で意識不明が5件、骨折が368件など年間に474件の事故が起こり、そのうち死亡事故は5件だった。
認可外保育所では7件の死亡事故が起こっている。
園児に無理に食べさせたり、無理に寝かせることの延長線上に死亡事故がある。

待機児童の解消を急ぐあまり、急速に事業者が増えて保育所が乱立。
保育士が不足し、保育士や園長が資質を問われないまま採用されている。
保育が流れ作業と化して、保育の質が劣化した。
いい保育所であっても、園長が代わることで質が低下する場合もある。

もうけたいというだけの事業者もいる。
2017年度上半期に行われた立入調査では、約4分の3の企業主導型保育所で問題が見つかり、指導が行われた。

知人が住んでいる市では、公立の幼稚園が民間に委託されるようになったそうです。
公立だと、ベテランの保育士の給料が高くなるがクビは切れない。
私立にしたら、非正規の保育士を増やし、人件費を切り詰めることができる。
しかし、経験不足の保育士が増えることになり、保育の質が低下した。

小泉政権の規制緩和で、非正規は2割までという歯止めが外れ、今や公立でさえ保育士の約半数が非正規雇用となった。
認可保育所であれば、保育者はすべて有資格の保育士である必要があるが、東京都の認証保育所の場合は保育士の割合は6割以上でよく、小規模保育や企業主導型保育は2分の1でいいなど、規制が緩和されている。
もっとも、保育士であっても、その人の資質に左右されるのでは、資格の意味がない。

そんな保育所でも、数が足りないために生き残ることができる。
こうして、保育の質の向上に努める現場と、質を問えない状況で保育士確保で精いっぱいの現場で、保育の質の格差が拡大している。

新型コロナウイルスの感染拡大で、医療従事者の子供の預かりを拒む保育所があるそうで、これも本当だろうかと思ったのですが、なるほどなと思いました。

現場は低賃金で過重労働、長時間労働で疲弊している。
保育所を運営する費用の委託費は、人件費や給食費がいくらかかるかという費用が見積もられ、それが保育所に支払われる。

ところが、2000年に営利企業の保育参入が認められると、委託費の弾力運用という制度のもと、本来は7~8割の人件費比率が2~3割というケースまで出てきた。
事業者は利益を出すために人件費を削り、行事を減らす。

国が想定する人件費比率を保育所が遵守すれば、公定価格の保育士の年収の基準額は約380万円になる。
ところが、2018年の内閣府の調査では、常勤保育士の年収は約315万円。
月給が手取り15万円、年収300万円以下の保育士も珍しくない。

自治体が私立の認可保育所に支払う人件費が保育士の人件費に回っていない。
理事長や園長だけが高収入だったり、不正に私的流用されることもある。
ということは、保育士の処遇改善のために行政が予算を増額しても、保育士の給料は上がらず、別の用途に流用されてしまうかもしれません。

そもそも、正規と非正規との格差が大きい。
2014年の厚労省の調査では、正社員では92.5%が雇用保険に加入しているが、正社員以外では67.7%。
健康保険と厚生年金は、正社員の加入がそれぞれ99.3%と99.1%だが、正社員以外では54.7%と52.0%。
退職金制度も、正社員は80.6%に適用されているが、正社員以外は9.6%。
賞与支給制度は、86.1%と31.0%。

女性の多くは非正規です。
2016年、妊娠期に当たる25~44歳の女性の雇用状況は、正規の職員・従業員が554万人、非正規の職員・従業員が499万人で、女性の約半数は非正規雇用。

非正規は育児休業を取るハードルが極端に高い。
保育士も育休がとれないことがある。
妊娠解雇に遭えば無職となるから、0歳児のうちに保育所に預けなければいけない。
これでは女性が働けないし、子供を産み、育てることが難しい。

日本では、1人の女性が生涯に産む子どもの数にあたる合計特殊出生率は1.42(2018年)で、3年連続して低下している(2以下だと人口が減る)。
なぜ出生率が低いのか。
先進国ではいちばん厳しい男女差別が主因だと、出口治明さんが指摘しています。
https://plus.alc.co.jp/2019/07/apu/

ジェンダーギャップ指数は、各国の男女の格差を分析した指数で、2019年は日本は調査対象となった世界153カ国のうち121位、2018年は110位からさらに下がり、G7で最低。
家事、育児、介護は男女が等しく担うのが世界の流れなのに、日本が男女差別を温存しては、移民を増やしても、移民が子供を産まない。

男女差別をなくすもっとも優れた政策がクォータ制.
議員や会社役員などの女性の割合を、あらかじめ一定数に定めて起用する制度のこと。

フランスは1994年に1.66で下がった出生率は、10年あまりで2.0まで上昇した。
シラク3原則と婚外子を差別しない民事連帯契約をワンセットの政策パッケージとして導入したから。

シラク3原則とは、
1 子どもを持っても、新たな経済的負担が生じない。
2 無料の保育所を完備。
3 育児休暇から女性が職場復帰する際、ずっと勤務していたものとみなして企業は受け入れる。

出口治明さんの提案をどうして実施できないのかと思います。

どの保育園に入るかで、その子の一生が決まると言っても過言ではない。

『ルポ保育崩壊』を読み終えると、冒頭にある多田裕さんのこの言葉の意味がわかります。
小林美希さんは、これなら安心という保育所も何カ所か紹介していますし、取り組みを始めた自治体に触れています。

では私の子育てはどうだったのか、親としての資質が私にはあるのかと考えると、忸怩たる思いがします。
どの親の子供として生まれるかで、その子の一生が決まる。