渡辺京二『逝きし世の面影』は幕末から明治初期に日本に訪れた欧米人の紀行などから、西洋人が見た日本の姿を描いた本です。
『エドという幻想』は江戸時代中期から幕末にかけて書かれた日本人の随筆などによって、当時の日本人やその生活が浮き上がってきます。
中野三敏は、18世紀後半、田沼意次時代を江戸時代がもっとも江戸時代らしかった時期、言い換えれば江戸文明の極盛期ととらえる。
伴蒿蹊『近世畸人伝』から何人かの言行が紹介されています。
医師の山村通庵(1672~1751)は伊勢の人。
知人の葬式にゆき、位牌の前で心ゆくまで平曲を語ったあと、遺族には一顧だにせず去った。
問われて、「死者を悲しめども、家人には一面の識なければ」と答えた。
医師の苗村介洞(1674~1748)は近江の人。
後妻の貞信尼は心に思うままを口にした。
客のもてなしはよかったが、相手が長居して物憂くなると、「われ酔てねぶたし、今ははや帰られよ、いざいざ」と催促した。
無邪気ではなく、人の思惑など屁とも思わない、感じたままに振る舞ってはばからない精神の発露。
世間のしきたりにこだわらないという横着にも通じる。
江戸時代の人たちはそうした横着さに面白みを感じた。
その種の横着を許容するだけでなく、江戸時代の人々は賞翫した。
心に浮かんだことをそのまま口にせずにはおれぬ横着さは、無邪気、正直の別名だった。
同調圧力は日本の伝統かと思ってましたが、そうではなかったのかもしれません。
古川古松軒(1726~1807)は備中の地理学者で、『東遊雑記』を記した。
1788年、幕府巡見使に同道して東北、蝦夷地を視察した。
下北半島の寒村について「言語はちんぷんかんにて、十にしてその二つ三つならでは解せず」と書き、南部藩の地には言語の通じにくいところがあるというので、盛岡城下から二人「通辞」がついていたのに、彼らですらわからず、大笑いになった。
ある年、平戸藩主の松浦静山は病気になり、参勤交代の時期が遅れた。
平戸から佐世保まで来ると、道ばたに男が2人いた。
年ごとの参勤の際に雇う江戸の籠かきだった。
どうして来たのかと尋ねると、9月の半ばころに出府されると噂を聞き、藩邸で平戸出発の日取りを知り、「さらばいそぎ御国にいたり従い申さんと、その明日に江戸を打ち立、夜を日に継ぎてはせ下りし」と語った。
渡辺京二さんは幕府に殉じて自死した川路聖謨(1801~1868)にかなりのページを割いています。
川路聖謨が奈良奉行を勤めたあと、大坂町奉行に転じたとき、町人数百人が見送った。
2年後、長崎へ向かう途中、草津宿で奈良の長吏(被差別民の長)たちが出迎え、道路に平伏していた。
奈良の人々は長崎からの帰りにも出てきた。
関わりの濃密さ。
恩義を忘れない。
時に赤児のような純真な感情を発露する。
江戸時代は建前と実際が乖離していた。
関所には、金を払う、頼み込むなどの抜け道があった。
離婚や死別しても、再婚は普通。
勝小吉は14歳で家出をし、伊勢まで行く。
浜松の宿で荷物をすべて盗まれた。
途方に暮れて泣いていると、宿の亭主が柄杓を一本くれた。
お伊勢参りをする人たちが柄杓に米麦や銭を入れてくれる。
巡礼に銭や食物を与える習慣があった。
多くの人が小吉に声をかけ、病気の時は食べ物や金を恵み、家に泊めてくれた。
喜捨に頼ることができたのである。
鈴木牧之『秋山紀行』は信濃の秋山郷の紀行です。
秋山郷を訪ね、壁も塗らない茅屋や、固くなった餅のような豆腐に辟易したが、「日々農を楽しみ、何一つ放埒もなく、天然を楽しむ」せいか、この里の人々が老いてもなお壮健で、長寿者が多く、盗み、飲酒、博奕、色事のない生活を送っているのに素直に感心した。
髪はざんばら、首筋は真黒という女たちにたじたじとなり、囲炉裏の前に立ちはだかって太股まであらわにして蚤かしらみをとっている若い女には、目のやり場に困った。
だが女の中に美人がいるのを見逃さなかった。
「容すぐれ、鼻はほどよく高く、目細う、蛾に似たる黛(まゆ)、顔はいささか日黒むと見ゆれども、鉄水つかぬ歯は雪よりも白く、若人は一目に春心も動かす風情」
細い目が美人の条件の一つだった。
『妙好人伝』にも、今なら何とか障害と言われそうな、ちょっとずれた聖なる愚者が登場します。
世事に疎い人が排除されることなく生活できたのです。
こうした人の中には、後に名を知られるような人がいます。
ということは、人に迷惑をかけっぱなしの無名人はもっといたわけです。
困った人間だが、どうしても憎めない、なぜかまわりを楽しませる、そんな人を社会が許容していたのでしょう。
チベットの中国化が進んでいることが渡辺一枝『消されゆくチベット』を読むとわかります。
2006年、チベット自治区の人口277万人のうち、中国人(漢人)は6%。
チベットには大勢の中国人が移住しており、チベット人よりも中国人が多い場所もある。
中国人が経済を握っており、会社や商店の経営者や社員のほとんどが中国人。
パルコルの土産物屋も多くは主人が中国人である。
辺鄙な町にも中国人の店がある。
中国人とチベット人が同じ仕事をしても、賃金に差がある。
渡辺一枝さんがチベット北部のチャンタンを旅していた時、あちこちで道路建設をしていた。
チベット内の道路なのに、中国人が働いている。
四川省から来た出稼ぎの中国人は「収入はいいが、故郷に仕事があれば、ここで働きたくない」と語った。
鉄鉱石、金、雲母など鉱物資源が中国人によって採掘され、中国に運ばれる。
チベット人の主食であるツァンパの材料の裸麦より小麦を作るようになり、大根(プゥラブ)は中国大根(ギャラブ)になった。
中国人がスイカを好むので、スイカ畑が急増した。
化学肥料や農薬の使用が義務づけられ、しかもその代金を農民が支払わなければならない。
放牧では効率が悪いと、牧民の定住化が進められ、畜舎で配合飼料で育てるようになった。
ものは豊富になり、道路は舗装されて便利になったが、その一方で自然が破壊されている。
しかし、抗議をすれば、不穏分子と見なされる。
経済だけでなく、教育も中国化されています。
チベットでの教育は中国語で行われている。
渡辺一枝『消されゆくチベット』(2013年)によると、小学校は1年ではチベット語と中国語で授業が行われ、学年が上がるにつれて中国語の授業が増えていき、中学校以上の上級学校は中国語だけとなる。
小学校の一部にはチベット語の授業はせず、中国語だけの学校もある。
中国語だけで教育を受けた者のほうが就職などで有利な条件を得る。
2018年から授業は中国語で行われており、チベット語の授業は禁じられた。
チベット文字を教えないので、チベット文字の読み書きができない若いチベット人が増えた。
道標や店の看板などに書かれているチベット文字すら読めない。
チベット語経典を読めない僧侶もいる。
テレビでは中国語の番組ばかりで、字幕も漢字。
チベット語の番組はほとんどない。
中年のチベット人でも会話に中国語の単語が混じる。
中国語しか話せなくても困ることはないが、中国語を話せないと不便になる。
買い物をする時に、中国語ならどの店でも通じるが、チベット語は通じない店がある。
役所に提出する書類は中国語で書かないといけない。
言葉は。民族、文化のかなめですから大切です。
その大切な言葉を政府はチベット人から奪っています。
渡辺一枝さんはこう書きます。
もっとも、日本もアイヌ、沖縄、朝鮮や台湾で同じことをしています。
パンチェン・ラマ10世が「チベットは中国から得た恩恵よりも、中国によって失ったもののほうが大きい」と言ったそうです。
チベット人ガイドが渡辺一枝さんに「いつか君は、僕が「結婚はしないよ」と言ったとき、なぜ?って聞いたね。チベットがチベット人の手に戻るまでには、道は遠いかもしれない。その日までは一人でいるほうが、自分の思いに正直に生きられる。だから、僕は結婚はしない」と言います。
渡辺一枝の本を読んだ中国の公安が渡辺一枝さんの知人を取り調べないかと心配になります。
現在のチベットは新疆ウイグル自治区のような状態なのでしょうか。
渡辺一枝『チベットを馬で行く』は1995年にチベットを馬に乗って143日間の旅をした記録ですが、中国政府批判も書かれています。
2013年出版の『消されゆくチベット』でも、旅行記や正月、葬儀などの習俗だけでなく、多くのページを割いて批判しています。
チベットの歴史をざっと振り返ります。
1951年9月人民解放軍がラサに入った。
1959年3月、ダライ・ラマ14世は中国の弾圧から逃れてインドに亡命した。
大躍進運動と文化大革命の時にはチベットでも大勢が死んだ。
1966年に始まった文化大革命では、多くの寺院や仏像、壁画などが徹底して破壊され、基礎しか残っていない寺院も少なくない。
僧侶は暴行を受け、投獄され、還俗させられた。
寺院を破壊したのは紅衛兵だけではなく、多くのチベット人も加担している。
映画『慕情』の原作者ハン・スーインが1975年にラサを訪れた時の記録が『太陽の都ラサ』です。
ハン・スーインは奴隷出身の人や貧困層だった女性たちに話を聞き、工場などを視察して、チベットでは文化大革命がいかに多くの成果をあげたかを報告しています。
ジョカン寺は礼拝の場所ではなく、老婆をひとり認めただけだった。
マニ車を見たのは老婦人が手にしているものだけ。
文化大革命によって迷信が打破されたと思ったわけです。
ポタラ宮殿を見て、「恨みと吐き気とをもってその怪物的な美しさから逃げ帰る」と書いているぐらいです。
「映画で見る現代チベット」で何本かのチベット映画を見ました。
チベットでは生活のすみずみにまで仏教が生きていることがわかります。
http://moviola.jp/tibet2021/
『巡礼の約束』は四川省から五体投地でラサ巡礼をするという映画です。
人々は巡礼にお金や食べ物を喜捨します。
https://www.youtube.com/watch?v=mP0fre8_rFI
チベット亡命政府は1950年から文化大革命が終わる1976年までに120万人が犠牲になったとしています。
1980年5月、胡耀邦がチベットを訪れ、ラサの演説でチベット政策の失敗を表明して謝罪し、共産党にその責任があることを認めています。
https://onl.la/3g76knh
ハン・スーインが胡耀邦の発言をどう思ったのか知りたいです。
文化大革命が終わると、政府は宗教活動を認め、寺院の修復や再建が行われ、僧侶も少しずつ増えた。
1980年代には開放政策がとられ、外国人観光客が訪問できるようになった。
観光寺院化した寺も少なくない。
1987年、ラサで僧侶がチベット人の自治権拡大と人権保護を求めてデモをした。
文革後初めての政府に対する抗議行動だった。
1989年1月、パンチェン・ラマ10世が死亡した。
1989年3月、ラサで抗議運動があり、戒厳令が敷かれた。
チベット人400人が殺され、3000人以上が逮捕された。
1995年5月、ダライ・ラマ14世がパンチェン・ラマ10世の化身と認定した少年は両親とともに政府に拘引され、今も消息不明となっている。
1995年11月、政府は別の少年をパンチェン・ラマ11世として登位させた。
しかし、チベット人は誰一人としてこの少年をパンチェン・ラマとは思っていない。
2000年1月、カルマパ17世がインドのダライ・ラマ14世のもとに身を寄せた。
2008年、北京オリンピックの前にラサで大規模なデモがあり、大勢が殺されたり逮捕された。
それ以降、政府はチベット自治区やチベット人に対して再び厳しくするようになった。
作家、ブログ制作者、教師、学生、芸術家、文化人、環境保護者ら65人以上が拘束され、拷問を受けて、刑を言い渡されている。
チベットの現状やチベット人の願いを歌った歌手が何人も拘束され、多くは行方が知れない。
僧侶の逮捕、寺からの追放、強制的な還俗がしばしばあるので、僧侶が減っている。
僧侶の焼身自殺もたびたびあり、2009年2月から2012年12月まで100人以上が焼身自殺したとも、2012年に81人が焼身自殺したという。
一般市民も監視されている。
公安が目を光らせ、街のあちこちに監視カメラや盗聴マイクが設置されているので、チベット人は政治の話ができない。
当局が禁じた歌を携帯でダウンロードしていないかの検査が行われており、ダウンロードしていることがわかると、拘束されたり罰金を科せられたりする。
2008年以前は毎年2000人以上のチベット人がインドに逃げていた。
今はチベット人は移動の自由がないので、国外に脱出することはほぼ不可能。
中国人(漢人)は身分証を提示するだけでどこへも行ける。
しかし、チベット自治区以外に住むチベット人がラサへ入るためには、地元公安局発行の入域許可証が必要となる。
チベット人が外国に観光旅行することはできるが、留学や仕事のために外国に行くことは認められていない。
信教の自由は建前で、現実は違う。
公務員や党員は寺院への参拝は許されず、家に仏壇を置くこともできない。
2008年以降は、公務員を退職した人はジョカン寺に参ったり、ジョカン寺をめぐるパルコルを巡礼することができなくなった。
禁を犯せば、退職者用住宅から追い出され、年金を受け取ることもできない。
毎年どこかで自由を求めて政府に対する抗議の声があがるが、抗議行動は当局によってつぶされ、参加者は拘束される。
しかし、報道されることはほとんどない。
渡辺一枝さんがテレビでニュースを見ていたら、突然横縞が流れ、音声も消えた。
政府による電波妨害だという。
ラサのパルコルの土産物屋にはパンチェン・ラマの写真が並んでいるが、以前はどの店でも見かけたダライ・ラマの写真はない。
外国人が個人でチベット自治区に入ることは禁じられており、チベットの旅行会社を通して政府に届けた場所をガイドに案内してもらうことになる。
届け出た場所以外には行けない。
観光客が利用する車は政府の所有で、旅行会社が借りている。
ホテルや車にも監視カメラがある。
車にはGPSがついているので、車がどこを走っているかわかる。
外国人の入域禁止地域など、予定外の場所に行ったらすぐにバレる。
検問所があちこちにあり、検問所間の移動時間は決められている。
検問所に早く着いた場合、旅行会社と運転手にペナルティーがある。
観光客も検問所でパスポートなどをチェックされる。
渡辺一枝さんが、ある町で祭りを見ていたら、公安に声をかけられ、署に旅行許可証を提出して滞在の許可を得よ、カメラの中のフィルムを出せと言われた。
『あなた』は、2010年に亡くなった歌人の河野裕子さんの死後、家族が河野さんの歌集から選歌したものです。
河野裕子さんは、乳ガンになり、そうして亡くなるまで、不安、夫や子供への思いなどが歌によって綴っています。
2000年9月、乳癌が見つかる。
『日付のある歌』2002年9月1日刊
9月20日
左脇の大きなしこりは何ならむ二つ三つあり卵大なり
9月22日
まつ黒いリンパ節三つと乳腺の影、悪性ですとひと言に言ふ
そうなのか癌だったのかエコー見れば全摘ならむリンパ節に転移
9月28日
この椅子にこれから何度座るのだらう背もたれのない黒い丸椅子
10月1日
あと何日おまへは私でゐられるかきれいだつたねと湯にうつ向けり
10月10日
明日になれば切られてしまふこの胸を覚えておかむ湯にうつ伏せり
2008年7月、再発。
『葦舟』2009年12月24日刊
7月16日
まぎれなく転移箇所は三つありいよいよ来ましたかと主治医言へり
大泣きしてゐるところへ帰りきてあなたは黙って背を撫でくるる
俺よりも先に死ぬなと言ひながら疲れて眠れり靴下はいたまま
俺たちに残っているのは五年かなトースト食べつつ普段の口調で
何年もかかりて死ぬのがきついといいあなたのご飯と歌だけ作つて
わたしには七十代の日はあらず在らぬ日を生きる君を悲しむ
息子の家、四人の子供たち
四人居るどの子もどの子も抱きしめてどんな約束もしないで帰る
『蟬声』2011年6月12日刊
紅さんあなたが子を産むまで死ねないの萩の傍へに佇ちゐるあなた
紅とは娘さんの名前です。
言はないで裕子さんお元気さうでなんてわたしより紅が傷ついてゐる
抱きしめてどの子もどの子も撫でておくわたしに他に何ができよう
パブテスト病院213号室
三人をおいて死ぬわけにはいかざると一粒のぶだうやつとのみこむ
病む妻を持てるあなたのさびしさよ飲み残しのお紅茶(ちゃ)に砂糖とけゐる
着替えさへ人の手を借りる身となりてありがたうを日に幾たびも言ふ
薬袋にもティッシュの箱にも書いておく凡作なれど書きつけておく
泣いてゐるひまはあらずも一首でも書き得るかぎりは書き写しゆく
こんなにいい家族を残して死ねざると枕辺行きかふ夫と娘のこゑ
わがままな患者でしばらく押し通せそのしばらくが元気な証拠
重病の人なのですかわたくしは訊けばしばらくもの言はず君は
わがままもそんなに言へなくなりし身は白桃一個を食ひあましゐる
死なないでとわが膝に来てきみは泣くきみがその頸子供のやうに
手をのべて
あなたらの気持ちがこんなに分かるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
2010年8月12日、自宅で亡くなります。
64歳でした。
町山智浩『トランピストはマスクをしない』に、一時雇いの働き手による経済のギグ・エコノミーに触れています。
空いてる時間に働いてお金を稼ぐという働き方だともてはやされた。
しかし、正規雇用されないから仕方なしにやっている。
宅配業者の募集広告に「月に20万円から100万円稼げる」などと書かれているが、出来高制だから、1日100軒以上配達する必要がある。
1日8時間で100軒以上配るには、1回の配達を4分から5分でこなさないといけない。
仕事のために自分で車を買う必要があるので、仕事がないと赤字になる。
ギグ・エコノミーが増えたのは経営者がコストを削減するため。
残業代や有給休暇、労災、保険、年金を負担しなくていいし、怪我や事故は自己責任。
ノルマを課すだけでいい。
その実態がケン・ローチ『家族を想うとき』で描かれている。
カリフォルニア州のディズニーランドにはホームレスがいっぱいいる。
入り口でチケットをチェックする人、ゴミを片付ける人、アイスクリームを売る人などのうち、500人は家賃が払えなくて、友達の家や自動車に寝ている人、家を失う寸前の人たちだという。
ディズニーランドの従業員の最低時給はカリフォルニア州の最低賃金で、12ドル台、月給にすると2200ドル。
ディズニーランドがあるアナハイム市の2LDKの家賃の平均は月1835ドル。
ファストフード店やスーパーの従業員にもホームレスやホームレスぎりぎりの人が増えている。
全米に50万人以上いるといわれるホームレスの4割がワーキング・ホームレスだという。
ジェシカ・ブルーダー『ノマド 漂流する高齢労働者たち』によると、ノマド(放浪生活者)はホームレスと呼ばれるのを嫌い、ハウスレスを自称する。
自分たちをワーキャンパーと呼ぶ。
ワーキャンパーとは短期の雇用を求めてアメリカじゅうを車で移動する季節労働者。
仕事は農場での果物摘み、スーパーボウルの売店、パイプラインのガス漏れ検査員、キャンプサイトの管理などなど。
食事や電気、水、下水道つきの無料駐車スペースが仕事の対価で、時給を払うのは雇い主の一部。
体力的にきつい仕事なので、勤務が終わってもお互いに交流などできないほど疲れてしまう。
怪我をする人、病気になる人も多いが、福利厚生や社会保険をほとんど要求しない。
キャンプ場のスタッフは管理人、レジ係、清掃員、警備員、歓迎係などをこなす。
辞める人がいるのはトイレ掃除などの汚れ仕事が多いから。
時給は去年より20セントアップして9ドル35セント。(当時のカリフォルニア州の最低賃金は時給9ドル)
週40時間働く契約で雇われるが、長時間労働が前提。
45時間以上働かされることもあるが、超過勤務分が支払われないことがある。
予約が減ると勤務時間を減らされ、週給は290ドルを切ってしまう。
雇用契約では随意契約で雇われたにすぎないから、理由や予告なしにいつ解雇されても文句は言えない。
森林局が民間業者に営業許可を与えて管理を任せているが、森林局はスタッフの苦情が寄せられても、対処する権限も、調査する権限もないと言って、関与しない。
アマゾンの倉庫は荒野の中にあり、配送量が増える繁忙期、つまり3~4か月のクリスマスセールの間はノマドを雇う。
近くのトレーラーパークは早くに予約されるので、片道1時間半かかる遠方のトレーラーパークを利用する人もいる。
最低でも10時間は通しで働き、1回の勤務で24キロ以上歩く人もいる。
ある男性は週5日12時間の深夜勤務で、休憩時間(30分1回、15分2回)以外はほぼ立ちどおしで荷受けし、バーコードをスキャンして腱鞘炎になるので、鎮痛剤は無料。
繁忙期が終われば雇用は打ち切られる。
車上生活者はネットやキャンプなどのネットワークがあるそうです。、
ゴミやトイレの後始末方法、車を無料で停める駐車場探し、車の改造方法などを、ネットやコミュニティで情報を交換したり、初心者への指導と助言をする。
私は『ノマドランド』を見て、美しいアメリカの風景、最低限の物で一所不住の生活、助け合いながらも距離を保つノマドの生き方にいいなと憧れました。
とはいえ、ノマドの生活は厳しいです。
冬には車外の気温は氷点下になり、暑い時は40度を超す。
いつ病気になるかわからない。
いつ車の運転ができなくなるかわからない。
いつ仕事ができなくなるかわからない。
国や州の規制が強化され、ノマドは生きづらくなっている。
車上生活者の圧倒的多数は白人で、その理由は、黒人だと警官の人種差別的な取り締まりの犠牲になりかねないし、通行人とのいざこざもあるから。
『ノマドランド』は、高齢者がきつい仕事をしながら移動を続けざるを得ない政治や社会の問題に目を背け、美化しているようにも感じました。
ジェシカ・ブルーダーはこう書いています。
取材を始める前、ノマドの記事を手当たり次第にあさったが、見つかった記事の大半は、ワーキャンパーという生き方を、楽しく明るいライフスタイルか、変わった趣味であるかのように報じていた。
あるニュース番組は、車上生活のわくわく感と連帯感を強調するもので、多くの人に生き方を根本的に変えさせる原因となった困難については話題にするのを避けていた。
だけども、ジェシカ・ブルーダーは政治批判を書いていません。
トランプ大統領をノマドたちはどう思っているのでしょうか。
ジェシカ・ブルーダー『ノマド 漂流する高齢労働者たち』によると、アメリカの構成者、特にひとり暮らしの高齢女性の生活は厳しいです。
高齢者の大半は公的年金が唯一の収入源となっているが、年金額は驚くほど少ない。
退職後に働かずに過ごせる見込みの人は17%しかいない。
中流層の半数近くは、退職後は日に5ドルの食費でやりくりすることになる。
2016年に65歳以上のアメリカ人被雇用者数は900万人ちかくで、10年間で60%増加し、全労働者に占める高齢者の割合も増え続けている。
アメリカでは2015年の国勢調査によると、貧困ラインを割っている高齢者の数は、女性は271万人と、男性(149万人)の倍近い。
ひとり暮らしの高齢女性は6人に1人以上が貧困ライン以下の生活をしている。
公的年金は平均で女性は男性より月341ドル少ない。
男性の収入1ドルに対して女性の収入は80セント程度と賃金格差があるから。
平均寿命は女性が男性より5年長いから、女性は男性より少ない貯蓄で長期間やりくりしなければならない。
アメリカでは毎年1万2000~3万6000人がインフルエンザで亡くなる。
治療費を払えないから。
アメリカ人の3人に1人以上が歯科治療をカバーする保険に加入していない。
経済学者モニーク・モリシー
家を失ってホームレスになる人、車で生活しながら移動するノマドは高齢者ばかりではありません。
町山智浩『トランピストはマスクをしない』によると、アメリカでは家族単位でホームレスになるケースが多く、学齢期の子どもが含まれる。
公立学校の生徒の1割がホームレスないしホームレスに落ちる寸前だといわれる。
カリフォルニア州では30万人以上の子どもがホームレスだと推測されている。
ホームレスの7割が英語の基礎テストに落第し、6割が高校を卒業できない。
そんな子どもたちに最低賃金以上の仕事を得ることは難しい。
ノマドは10代や子連れもいます。
「コロナ禍のアメリカで立ち退き猶予措置が失効 数百万人がホームレスになる恐れ」(2021年8月2日)
新型コロナウイルス禍で家賃が払えなくなった人向けに米政府が設けていた立ち退き猶予措置が、7月末で期限切れとなった。数百万人の借り手が住む場所を失う恐れが出ている。(略)
家主でつくる団体は立ち退き猶予措置に反対し、家賃収入なしでは住宅ローンや税金、保険料の支払いに苦慮する家主も一部で出ている。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/08/post-96822.php
全米で50万人がホームレスになっており、ロサンゼルスでは年間5千人が路上で死んでいますが、10倍近い人が家から追い出されるわけです。
家賃が滞納しては、土地価格の急騰で、家主も税金が払えなくなります。
それでも、行政や民間が貧困対策をしているそうです。
各都市がホームレスの住処を建て始めている。
サンフランシスコ市は2024年までに1700世帯を収容できる住居を建設すると発表。
ニューヨークでは毎年1億ドルの予算で2800世帯を目標に建設計画を立てている。
ホームレスが自分の住居を持てるように手助けをするため、シェルターと食事を提供し、就労のカウンセリングや医療ケアを行うことで自立を助ける民間団体がある。
カリフォルニア州では、個人事業主に対しても正規雇用と同じ待遇にしなければならないとする州法が成立した。
これが実施されると、企業の負担が3割増しになる。
では、日本はどうなのか。
各国の男女の格差を分析した指数であるジェンダーギャップ指数は、日本は2018年は110位、2019年は121位、2020年に156カ国のうち120位。
韓国や中国、ASEAN諸国より低い。
ところが自民党は選択的夫婦別姓、LGBT法案、クオータ制に反対しています。
竹中平蔵さんはこんなことを言っています。
https://toyokeizai.net/articles/-/11927?page=2
人件費を切りつめることが大好きな新自由主義者の竹中平蔵さんが内閣参与をしているのですから、緊縮財政を続け、医療や福祉などは切り詰めるでしょう。
非正規雇用(女性が多い)の正規化など弱者のための政治は難しく、アメリカのことを言っておれなくなるように思います。
クロエ・ジャオ『ノマドランド』の原作ジェシカ・ブルーダー『ノマド 漂流する高齢労働者たち』を読みました。
ネバダ州エンパイアは人口300人の石膏ボードを製造する工場町だったが、2010年、工場が閉鎖されることになり、エンパイアはゴーストタウンになった。
『ノマドランド』は、町が消滅して自宅を失い、ノマド(放浪の民)という生き方を選んだ女性が主人公です。
2000年代に入って、ガソリンと食料を買うために季節労働に従事し、安眠できる場所を求めて車で移動を続ける高齢者が増えた。
『ノマドランド』に出演したリンダ・メイは『ノマド 漂流する高齢労働者たち』にも登場しています。
2002年、レジ係(時給10ドル50セント)をしていたが、トレーラーハウスの賃料は月600ドルをやっと払えるかどうかの額。
12歳から働いているが、年金は月524ドルで、65歳になると424ドルになるので、年金だけでは生活できない。
リンダ・メイの娘一家(夫婦、子供3人)の住むアパートは寝室の数が足りず、孫息子は台所で寝ている。
娘の夫が病気になったためにアパートの家賃が払えなくなり、娘夫婦は十代の3人の子供とともにトレーラー暮らしになった。
リンダ・メイはノマドという生き方を選ぶ。
高収入だった人、安定した雇用と年金の中流階級の暮らしをしていた人もいる。
家を持ち、資産もある中流階級がなぜ車上生活者になり、季節労働をするのでしょうか。
『ノマド 漂流する高齢労働者たち』と町山智浩『トランピストはマスクをしない』によると、不動産価格の高騰に収入が追いつかないからです。
アメリカでは、4%の超富裕層が全米の富の40%を独占している。
平均的な所得者の税率が28%なのに対し、超富裕層の税率は23%。
なぜなら、富裕層の収入の多くは持ち株の利益で、株式収入への課税率が低く抑えられている。
富裕層への課税率が上がらないのは、政治家に献金しているから。
アメリカの貧困率は大恐慌時代の1930年が最大で、1960年代に最小になった。
ルーズベルト大統領はニューディール政策で、富裕層への課税率を63%に上げた。
第二次世界大戦中は最大94%、戦後も70%に維持され、法人税は最大50%。
そうして中流階級が拡大し、巨大な消費者となって企業を潤した。
当時、平均家賃は平均収入の28%だった。
しかし、レーガンは富裕層への課税率を50%にし、さらに28%まで下げ、福祉を削減したため、経済格差が開いた。
さらにトランプは富裕層の税率を23%に、法人税を21%にさげた。
アメリカでは2008年の金融危機から11年も好景気が続き、株価は上がり続け、失業率は過去25年間で最低レベルの3.5%に下がっている。
それなのに、仕事を失い、貯蓄を失い、ホームレスやノマドになる人がいる。
それは不動産価格が高騰し、家賃が上がるスピードに最低賃金が追いつかないから。
マンハッタンの平均家賃は月4245ドル、ブルックリン2936ドル、サンフランシスコ3733ドル、ロサンゼルス2530ドル、クイーンズでは2412ドル。
ネットで調べると、金額はいろいろのようですが安くはない。
2019年の記事によると、マンハッタンで快適に生活するために必要な年収の平均は11万5800ドルで、住民の年収平均の倍近く。家賃の平均はの4190ドル。
https://www.dailysunny.com/2019/08/06/nynews190806-21/
こちらも2019年の記事。
マンハッタンの平均的なマンションでは、1カ月の家賃は3000ドル以上で、アメリカでニューヨークよりも家賃が高いのはサンフランシスコだけ。
マンハッタンの2019年1~3月期の平均家賃は史上最高となる3217ドル。マンハッタンの中でも最も安い最北端のインウッド地区でも1623ドル。
https://www.businessinsider.jp/post-192555
ジョン・M・チュウ『イン・ザ・ハイツ』は、マンハッタン北部のワシントンハイツが舞台。
住民の多くはドミニカ人です。
ダウンタウンの部屋を借りようとしたら、家賃の40倍の年収証明書が必要だと不動産屋が言います。
ワシントンハイツはワンルームマンションの家賃が1669ドルで、マンハッタンで2番目に安い。
安いといっても、40倍だと約6万4千ドル。
年収が600万円以上ないといけないことになる。
別の記事によると、1980年から比べると、アパートメントの家賃は場所によっては6倍から10倍程度に跳ね上がった。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/17336
もっとも、コロナの影響で家賃が下がったそうです。
2021年1~3月期のマンハッタンの家賃の中央値は前年同期比17%減の月額2700ドルで、集計を開始した10年以来で最低。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN270H60X20C21A4000000/
ニューヨーク周辺の最低時給はよくて15ドル。
休日や深夜残業して月に3000ドル稼いで、家賃1000ドルくらいのアパートなら生活できるが、貯金はできない。
ニューヨークだけの話ではありません。
家賃の3倍が理想的月収だが、収入の半分以上を住居費に費やしているアメリカ人家庭は6世帯に1世帯。
住居費を収入の30%以下に抑えたければ、連邦政府が定める最低賃金の倍以上、少なくとも時給16.35ドルは稼ぐ必要がある。
法廷最低賃金で働く正社員の収入でワンベッドルームのアパートの賃貸料をまかなえる地域は、全米で11の郡と大都市圏が1つだけ。
会社の倒産、解雇、病気、怪我などで仕事を失った人。、
離婚(訴訟費用や養育費の支払い)で破産した人。
修士号や博士号を取っても仕事がない人。
学生ローンを返却できない人。
リーマンショックによる金融危機で資産を失った人。
ぎりぎりの生活の人たちは、いつ家賃の支払いや住宅ローンの返済ができなくなって、住む場所を失うかわからない。
岩瀬達哉『裁判官も人間である』に宮本判事補再任拒否事件について書かれてあるのを読み、この事件は権力者の意向に従わない者を排除し支配しようとする点で、日本学術会議が推薦した会員候補6人を菅義偉首相が任命しなかった事件と同じだと思いました。
裁判官は最高裁の意向に反する判決を出すと、人事で冷遇されて出世は望めなくなる。
たとえば、徳島ラジオ商事件の再審開始を決定した安藝保壽裁判長と秋山賢三裁判官は出世の道を閉ざされた。
原発の再稼働差し止め訴訟でも、原告の訴えを認めた裁判長は退任するか左遷されるかだ。
地裁では国が敗訴しても、高裁や最高裁で判決が逆転することが多い。
そのため、上級審の動向や裁判長の顔色をうかがい、忖度するヒラメ裁判官が多い。
三権分立というが、司法は行政に人事と予算を握られているので、政権の意に従う。
元最高裁長官の矢口洪一は国家と裁判所の関係についてこう解説した。
裁判部門は独立していても、裁判所を運営する最高裁の司法行政部門は行政の一部として政府と一体になっている。
政府→最高裁→上司→裁判官
上官の命令は天皇の命令みたいなもんです。
さて、宮本判事補再任拒否事件です。
1969年、石田和外が最高裁長官となる。
自民党の中に、最高裁の裁判がだんだん左傾化してきたという声が出た。
政府と連携した司法のために、内閣と同意見の最高裁長官を起用する必要があった。
佐藤栄作首相にとって願ってもない適任者である石田和外は、裁判所をハト派からタカ派に切り替えるための旗手だった。
1969年、北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊のナイキ地対空ミサイル基地を建設するため、農林大臣が森林法に基づき国有保安林の指定を解除。
これに対し、反対住民が処分の取消しを求めて行政訴訟を起こした。
長沼ナイキ基地訴訟を担当したのは、青年法律家協会裁判部会のメンバーである札幌地裁の福島重雄だった。
8月4日、平賀健太札幌地裁所長は平田浩民事部統括に住民側の主張を退けるよう示唆する内容のメモを届けた。
8月14日、平賀健太所長が福島重雄裁判長に、住民側の訴えを退け、国側の主張を認めるよう求める書簡を届けた。
裁判に対する不当な干渉であり、裁判官の職権の独立を侵害する平賀書簡がマスコミで報じられた。
9月13日、札幌裁判所で裁判官会議が開かれ、平賀所長への非難決議が全員一致で採択された。
地裁の裁判官が裁判官会議で所長を厳重注意したことに、最高裁だけでなく、高裁長官たちも激高した。
石田長官は書簡流出の犯人を捜し、青法協を裁判所から排除しなければならないと肚を固めた。
若手裁判官たちをこれ以上増長させないとともに、平賀書簡問題を収めるため、スケープゴートとされたのが青法協の中心メンバーの宮本康昭判事補である。
憲法の規定により裁判官の任期は10年で、任期終了ごとに内閣によって再任されるかどうか判断される。
1971年、64人の裁判官のうち、宮本康昭だけが再任拒否された。
再任拒否の理由は人事上の機密として発表されていない。
青年法律家協会員裁判官は350人から3年後に200人になり、10年後には青法協裁判官部会は消滅した。
青年法律家協会員へのブルーパージは多くの裁判官を心理的に支配し、その影響はいまに引き継がれている。
日本学術会議の任命拒否問題はもうニュースにはなっていません。
学問への政治介入がこれからさらに深まっていくことでしょう。
今の政府は国会を軽視しており、立法も行政の支配下に置かれつつあります。
武田良太総務相が3月19日の参院予算委員会で、答弁に向かう総務省幹部に「記憶がないと言え」と指示しました。
辞表を出すのかと思っていたら、いまだに大臣のままです。
2017年に安倍内閣が野党の臨時国会召集要求に3カ月以上応じなかったことは憲法違反だとして国家賠償請求訴訟が起こされました。
3月24日、東京地裁の判決は違憲性を判断せず、原告側の訴えを退けました。
トランプ前大統領の支持者が連邦議会議事堂に乱入して占拠した事件は、国家の中枢へのテロですから、2001年の同時多発テロと同じだと思います。
ワシントン・ポストによると、トランプは大統領在任中に、嘘または事実と誤導させる主張を3万573回もしているそうです。
嘘が積み重ねれば真実になります。
トランプは人権侵害の差別発言をたびたびしていますが、それにも慣れてしまいます。
ゆでガエル理論といって、カエルを熱湯の中に入れると、すぐに飛び出すが、水に入れて徐々に熱すると、カエルはゆでられていることに気づかずに死んでしまうという話があります。(これは作り話で、実際にはカエルは逃げようとする)
私たちは知らぬ間にゆでられているのかもしれません。
古谷経衡さんへのインタビューが永江朗『私は本屋が好きでした』にあり、これが面白い。
ネット右翼はなぜ反米に向かわないのかという質問の答え。
在日特権という幻想はどこで生まれたのかという質問の答え。
そもそもネット右翼には西日本のことがわからない。関東ですから。ネット右翼が東京と神奈川に集中しているのは、本当のことを知らないからです。在日コリアンのことものこともなにも知らない。なにも知らない東京の中産階級がネット右翼の主体なんです。(略)
ネット右翼の人たちは驚くほど西日本のことをしらないですよね。逆にいうと、ネット右翼って西日本にはあんまりいないんですよ。だって、言っていることが嘘だってわかっているから(略)
ネット右翼というのは首都圏の中産階級、あるていど時間とお金に余裕のあるサラリーマンとか主婦とかが多い。初めてネットで在日特権なんていう言説に触れてカルチャーショックを受ける。在日コリアンと触れあったこともないし、身近に朝鮮学校も存在しないし、地区も存在しないというところで育つと、「やっぱりなんかあるんじゃないか」と思う人もいる。
日本礼賛本、自画自賛本について。
いまはどう見ても衰退しているので、自国を賛美しないといけない。(略)
誇らなければいけないというのは、どこかに後ろめたさがあるからでしょうね。日本が衰退していくという数字がありますから。
日本は素晴らしいという日本礼賛本はヘイト本の裏返しで、日本礼賛本が売れるのは日本の状況が悪いから。
林真理子さんのセウォル号沈没事故を受けての言葉(日本人賛美)が武田砂鉄『紋切型社会』に、引用されています。
このように日本人を礼賛していますが、ソ連が満州に侵攻すると関東軍が逃げ出したり、部下を置いて逃亡した中将がいたりします。
ちなみに、安倍首相が立ち上げた日中歴史共同研究で、南京事件について日本側座長の北岡伸一東大教授は「虐殺があり、基本的な責任が日本側にあった」ことは日本側も認めています。
https://www.afpbb.com/articles/-/2677989
古谷経衡さんによると、ネトウヨの中心層は40代で、ヘイト本読者は70歳前後。
ネトウヨは知性に劣り、自分で考えることができず、書物を読みこなすことができないから、ヘイト本も読んではおらず、わかりやすい右派の言説に寄生する。
永江朗さんは、ヘイト本を買う客は中高年の男性が多く、50代以上、あるいは30代以上で、知識層は少なくないが、学生はヘイト本にほとんど関心を持っていないと書いています。
しかし、安田浩一さんが高校生や大学生に講演した感想ではネトウヨ像はまた違ったものです。
ネットで引用・援用されるロジックをヘイト本が供給している、つまりヘイト本単体としてみるのではなく、その影響を含めて考えなければいけないと安田浩一さんは言う。
満たされない現状を認めることができず、事実に基づかない主張をすることはヘイト本だけの問題ではなく、スピリチュアル本、健康本、疑似科学本、歴史修正主義本なども同じだと思います。
ネトウヨ本・雑誌の広告を見るたびに、こんなのを読む人、信じる人がいるのか不思議に思います。
それで永江朗『私は本屋が好きでした』を読んでみました。(永江朗さんはネトウヨ本ではなくヘイト本としています)
なぜヘイト本は売れるのかというと、本が売れなくなったということがある。
書籍の単行本の初版はせいぜい数千部程度で、芥川賞をとったことのあるような名の知れた作家の本でも、初版は4千部から6千部ぐらい。
初版1万部以上というのはかなり人気のある作家。
出版社が取次に卸すのは本体価格の66~72%程度。
取次のマージンは7~9%ぐらい。
本屋の粗利はだいたい20%から25%ぐらいなので、1000円の本を売って得られるマージンは200円ちょっと。
1000円のドリンクのマージンは800円だから、ドリンクのほうがずっといい。
1980年の新刊発行点数は2万7709点だったが、2018年は7万1661点に増えている。
これにムックやコミックなどを加えると10万点前後になる。
1975年から2015年の40年間で、書籍の発行点数は3倍以上に増えたが、1年間に売れた書籍の冊数はほぼ同じ。
雑誌の販売金額・販売部数はピーク時の1990年代の後半に比べると3分の1にまで落ち込んだ。
書店数は2001年の2万1000店から半減した。
書籍の平均返品率(金額ベース)は約4割。
大手出版社は返品を2割ぐらいと見込んで価格や初版部数を決める。
中小出版社は3割、4割と見込む。
大手は発行点数が多いので、ヒット作で埋め合わせることができるが、中小の場合はその確率が低いため。
出版社は経営が苦しくなると本をたくさん出そうとする。
つくった本を取次に納入すればお金になるから。
本屋は経営が苦しくなると、どんどん本を返品する。
返品すればお金が戻ってくるから。
本屋は自分の好きな本をそろえると思ってましたが、ほとんどの書店は取次から配本される本を並べるだけだそうです。
ハラスメントとは「悩ますこと、いやがらせ」などの意味で、harassは古フランス語のharer(犬をけしかける)からきている。
ヘイト本を永江朗さんは「差別を助長し、少数者への攻撃を扇動する、憎悪に満ちた本」と定義します。
ヘイト本は「嫌韓反中本」と呼ばれることもあるが、誤解を生じる恐れがある。
中国や韓国を批判する本とヘイト本とは違う。
中国政府の政策や中国共産党への批判、あるいは毛沢東についての批判などは、どういう立場で書かれたものであれ重要である。
しかし、中国政府や韓国政府と、中国人一般・韓国人一般を同一視するのは間違っているし、ましてや中国や韓国にルーツをもつ人を攻撃するのも間違っている。
安倍晋三を批判したからといって、それを「安倍ヘイト本」とは言わない。
なぜなら、そこで批判しているのは安倍政権の政策や安倍晋三の思想であり、安倍政権や安倍晋三個人への差別を助長し、攻撃を扇動するものではない。
政府や政策への批判はかまわないが、その人の意思では変えられない属性(性別・民族・国籍・身体的特徴・疾病・傷害・性的指向など)を攻撃する言葉は、批判ではなく差別。
ヘイト本は「在日特権がある」「韓国と北朝鮮が日本に攻めてくる」「中国が日本を則ろうとしている」といった幻想の上に成り立っている。
ヘイト本を作る出版社はイデオロギーからではなく、売れるから出すのがほとんど。
ヘイト本を刊行する出版社は、経営陣も含めてそっち方面の従業員が多い出版社もあれば、講談社や小学館、新潮社、文藝春秋のような大手出版社からも出ている。
編集者も売れるからという人が主流で、ヘイト本の読者をバカにしている。
排外的な考えを持ち、内容を信じている人もいるが少数派。
このことはヘイト本が一部の出版社や編集者だけの問題ではないことを示している。
編集者、取次の従業員、書店員は与えられた仕事をこなすだけで、仕事の意味について考えようとしない出版界はアイヒマンだらけ。
在特会が主張する「在日特権」なるものは虚構だ。(略)しかし、でっちあげであれなんであれ、「不当に利益を得ているヤツがいる」「彼らを許すな」と焚きつけられ、燃え上がる人びとがいる。しかも彼らのなかの少なからぬ人びとは正義感に駆られ、それが正しいことだと信じている。(略)人は目のまえに共通の敵があらわれるとにわかに徒党を組み、興奮し、理性を失い、熱狂し、陶酔する。学校のイジメと同じだ」
「人は騙されやすい。騙されやすいからこそ、差別は拡大されやすく、憎悪は扇動される。そこに火をつけ、燃料を供給するのがヘイト本だ。
いま、欧米のイスラム教徒や中東出身者が「自分もテロリストと混同されてひどい目に遭うのではないか」と怯えるように、あるいは、KKKの亡霊に怯えるアフリカ系アメリカ人たちのように、在日コリアンは不安な日々をすごしている。自分や家族が傷つけられるのではないかと。幼い子供をもった人は胸がつぶれる思いだろう。
ヘイト本を「仕事だから」と割り切って作る編集者、営業する担当者は公害企業の従業員や経営者と似ている。
古河鉱業の従業員は足尾銅山鉱毒公害についてどう考えていたのか。
チッソの従業員は会社が出す廃液が水俣病を引き起こすことをどう考えていたのか。
東電の従業員は原発事故と放射性物質による汚染をどう考えているのか。