『ウルティマ、ぼくに大地の教えを』はメキシコ系アメリカ人のルドルフォ・アナヤが1972年に書いた小説です。
1945年ごろのニューメキシコ州を舞台に、7歳の少年アントニオのまわりに起きる出来事をめぐる物語。
父親の家系はヤノ(大草原)で馬に乗って牛飼いをしていた。
農家に生まれた母親はアントニオが神父になるのが夢。
家族はスペイン語を話す。
町の人たちはほとんどがカトリックで、子供たちもカトリックでなければ地獄に堕ちると信じている。
年老いた呪術師のウルティマはアントニオ一家と一緒に住むようになる。
母方の伯父たちは、呪いをかけられて死にかけた弟を助けてもらったのに、ウルティマが襲われた時に助けようとしない。
人々を救うにもかかわらず非難されるウルティマはイエスを連想させます。
アントニオは黄金の鯉を見に行き、友達からこんな話を聞く。
大地がまだ若いころ、鯉を食べることが禁じられていたのに、飢えに襲われた人々は鯉をつかまえて食べた。
神々は罪を犯した人間達をすべて殺そうとしたが、人間を愛していた神が反対し、人間達を鯉に変え、川の中で暮らすように決めた。
人間を愛していた神はとても大きく金色の鯉に姿を変え、人間達の世話をすることにした。
唯一神のキリスト教とは違う神様です。
もし古い宗教が、その信者の疑問に答えられなくなったら、それはその宗教が変わるべき時がきたということなのかもしれない、とアントニオは考えます。
同級生のフロレンスは神を信じていない。
フロレンス「母さんが死んだとき、ぼくは三歳だった。父さんは飲み過ぎて死んで、それで。姉さん達は売春をやってて、ロージーの店で働いているんだ……。
それで自分で考えたんだ。幼い子供にこんなつらい思いをさせて、神様は平気なんだろうかって。ぼくはこの世に生んで下さいなんて頼んだわけじゃない。神様が勝手にこの世に送りだし、魂を吹きこみ、ぼくを罰する。なんでだ? ぼくが神様に何をした。なんでこんな目に合わなくちゃいけないんだ、ええ?」
ぼく「もしかしたら、神父様のいったとおりなのかも。神様はぼくたちの前に、乗り越えるべき障害をお置きになったのかもしれない。そしてぼく達が、そのつらくて苦しい障害を乗り越えたとき、良きカトリック教徒になり、天国で神様とともにいる権利を与えられるのかも」
フロレンス「それも考えてみたんだ。だけどやっぱり、こうなるんじゃないかなあ。つまり、もし神父様のいうように神様が賢いのなら、ぼく達が良きカトリックかどうかなんて試す必要はないはずだ。それにさあ、まだ何も知らない三歳の子供を試してどうするんだよ。神様は全知全能だということになってる。それはそれでいい。だけど、じゃあなんで、悪いものやいやなものなしでこの地球を作らなかったんだろう? なんでたがいにいつも親切でいられるようにぼく達を作らなかったんだろう?(略)泳ぎにいくと何人かは小児麻痺になって、死ぬまで体が自由に動かなくなってしまう! それって正しいことなのか?」
ぼく「わからないよ。昔はすべてがうまくいっていたんだ。エデンの園では罪もなく、人間は幸せだった。だけど、ぼく達人間が罪を犯してしまったから……」
フロレンス「ぼく達が罪を犯したって? ばかばかしい。罪を犯したのはイヴだろ。イヴが掟を破ったからって、なぜぼく達が苦しまなくちゃいけないんだよ、ええ?」
ぼく「ただ掟を破っただけじゃないんだ。ふたりは神様のようになろうと思ったんだ! 覚えてないかい、ほら、神父様がいってたじゃないか。あのリンゴには知恵が詰まっていて、それを食べると、いろんなことがわかってしまうって。そして神様みたいに、善と悪について知ってしまったんだよ。だから神様はふたりを罰した。それはふたりが知恵を欲したからなんだ」
フロレンス「それもおかしくないか? なぜ知恵を求めることが人を苦しめることになるんだ? ぼく達が学校にいくのだって、勉強をして知識を得るためだし、公教要理に通うのだって、知識を……」
ぼく「もしぼく達が知識なんか持ってなかったら、どうだろう?」
フロレンス「野原にいるばかな動物達と同じになっちゃうんじゃないか」
神の沈黙ということです。
恵み深い全知全能の神がどうして幼い子供を罰するのか、どうして神は不幸や災厄に何もしないのか。
フロレンスの疑問にアントニオは答えることができません。
メル・ギブソン『ハクソー・リッジ』では、主人公であるデズモンド・ドスは真珠湾攻撃に衝撃を受け、衛生兵になるために軍隊に志願します。
しかし、セブンスデー・アドベンチスト教会の忠実な信徒なので、良心的兵役拒否者として、訓練でも武器を持つことすらしません。
そんなデズモンド・ドスが前田高地をめぐる戦いで大勢の負傷兵士を救出するという感動の実話です。
しかし、『パッション』や『アポカリプト』にこめられたメル・ギブソンの意図を考えると、『ハクソー・リッジ』(2016年)も単純に反戦映画、もしくは人類愛賛歌とは言えないように思います。
ハクソー・リッジでの最後の戦いの前、兵士たちはデズモンド・ドスの祈りが終わるのを待ってから崖を登り、前田高地を占領します。
つまり、ハクソー・リッジの戦いは神のお考えだったということになります。
そして、『ハクソー・リッジ』での日本兵は、殺しても殺しても次から次へと現れるゾンビのように描かれます。
スペイン(=キリスト教徒)が新大陸を征服し、先住民を殺戮したことと重なります。
『ハクソー・リッジ』には沖縄に住む人たちは登場しませんが、岡本喜八『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)では大勢の一般人が戦闘に巻き込まれ、アメリカ兵に殺されます。
デズモンド・ドスは戦争についてはどのように考えていたのか、映画では示されていません。
自分は人を傷つけないが、アメリカ軍が日本兵を殺すこと、まして一般人を巻き添えにすることに抵抗はなかったのでしょうか。
前田高地がある浦添市のHPを見ますと、住民の44.6%、4112人が死亡、一家全滅率は22.6%で、前田地区に住んでいた201世帯、934人のうち、戦死者は549人、戦死率は58.8%です。
セブンスデー・アドベンチスト教会も終末論と関係があります。
ウィリアム・ミラーはキリストの再臨を1843年3月21日~1844年3月21日の間と予言したことで、ミラー支持者は異端として教会から追放され、エレン・ホワイトも所属していた教会から追放されます。
その後、エレン・ホワイトたちはセブンスデー・アドベンチスト教会を設立し、安息日は土曜日であって、ローマ・カトリックは間違いだったとします。
誰もが終末を生き残れるわけではなく、神の教えに従った選ばれた人だけです。
当然のことながら、異教徒の日本兵はダメです。
木谷佳楠氏は、日本においてアメリカのキリスト教と映画との関係を知ることの意味はどこにあるかを問題にします。
アメリカ映画の中にキリスト教的価値観が強く反映されているのだから、日本の観客も知らない間にアメリカ独自のキリスト教価値観の影響を受けることになる。
日本の観客が、善悪二元論や終末観、アメリカンヒーローに代表されるメシア観を取り込んでいる可能性は否定できない。
アメリカン・ヒーローはイエス・キリストがモデルとなっているそうです。
常人以上の特別な能力を持つ一方、敵から苦しみを受け、時には人々から理解されずに悩むという人間的弱さを持ち合わせている。
さらには、自己犠牲的な行為によって生死をさまよったり、死んで復活したりする。
なるほど。
だからこそ、映画に代表されるアメリカ文化の主原料であるアメリカの宗教性を知り、吟味する必要があると、木谷佳楠氏は説きます。
納得です。
それにしても、アメリカ軍は崖にかけられた網ハシゴ(?)を登っていくわけですが、この網ハシゴはいったいどのようにしてかけたのか、日本軍はなぜ切り落とさなかったのか、不思議です。
ピーター・ウィアー『誓い』(1981年)でのメル・ギブソンは誠実そうで、役柄にぴったりでした。
ところが、実際はアル中の暴力男だそうです。
だからこそなのか、自分で教会を建てているぐらいの熱心な信者。
もっとも、「教皇聖座空位論(sedevacantism)」といって、第2バチカン公会議で決定されたリベラルな政策を受け入れられず、第2バチカン公会議後の教皇たちを教皇として認めない超保守的なカトリック信徒です。
でも、それなのにメル・ギブソンも父親も離婚しているのですが。
メル・ギブソン監督作品を見るときには、原理主義で、反ユダヤ主義で、妊娠中絶反対で、同性愛反対だということを頭に入れておく必要があります。
監督第3作の『パッション』(2004年)は、イエス・キリストがローマ兵に捕らえられて拷問され、十字架にかけられるまでをリアルに描いており、ローマ法王も聖書に書かれてあるとおりだと言ったそうです。
十字架をかついだイエスは、人々にあざけられ、鞭打たれ、石を投げられ、そして十字架にかけられ、全人類の罪の犠牲となって、苦しみながら死んでいく。
それにもかかわらず、イエスは人間を許してくれたことは驚きであり、喜びは深まる。
つまり、イエスの苦痛と人間の罪の重さ、そして私の救いの確かさは正比例することになるわけです。
カトリックでは、イエスが十字架にかけられたのは神のお考えで、ユダヤ人のせいではないと解釈していると、カトリックの知人が言ってました。
しかし、木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』によると、『パッション』に登場するユダヤ人は、これまでの映画の中で最も悪く描かれ、その一方でローマ総督のピラトや一部のローマ兵は好意的に描かれているために、製作制作段階から「反ユダヤ主義的」な映画との非難を受けたそうです。
グリフィス『イントレランス』は、ユダヤ教のラビが撮影現場にいたものの、イエスの死がユダヤ人によってもたらされたという描写があったため、修正を求められ、30場面あったイエス物語を7場面に縮小した。
メル・ギブソンは意外としたたかなようで、映画を公開する前に、社会的影響力のある宗教家、特に福音派の牧師を味方につける戦略をとりました。
バチカンで事前試写会を開き、アメリカ国内ではメガ・チャーチを借り、福音派の牧師約5000人を集めた試写会を開いている。
こうしたことにより、抗議や非難の声は公開後すぐに沈静化し、大ヒットした。
制作費が3千万ドルはメル・ギブソンが出したそうですが、、全世界の興行収入は約6億1100万ドル。
メル・ギブソンの描く、厳しい拷問に耐え、人々の罪の贖いとして十字架にかけられるイエスは、9.11後のアメリカで求められていた国家統合のための「国民的象徴」だった。
コーネル・ウェストは、『パッション』に代表されるキリスト教保守派の思想を文化に乗せて広めようとすることは、現代風に洗練された帝国主義的風潮であり、「コンスタンティヌス的クリスチャン」、すなわち自らが達成したいと欲する目的のためにキリスト教を利用する者の考え方であると批判していると、木谷佳楠氏は書いています。
メル・ギブソンの次の監督作品はマヤが舞台の『アポカリプト』(2006年)です。
村の人間を捕まえて生け贄にして殺したり、人間狩りをしたりと、これまた残酷な場面が続きます。
スペインの船が遠くに見えるシーンで終わりますが、これをどう解釈するか。
スペイン人によって先住民は富を奪われ、殺戮され、マヤ文明は滅亡するわけですから、主人公の救いのなさが暗示されていると思いました。
ところがネットを見ると、スペインは野蛮な新大陸に福音をもたらしてキリスト教化したということがメル・ギブソンの狙いだ、という解釈がありました。
「アポカリプト」の意味をネットで調べると、ギリシャ語で「物事をあらわにする」という動詞で、名詞だと「アポカリプス」で「黙示録」のこと。
『アポカリプト』という題名を見て、アメリカの観客は何をイメージするかというと、世界の終末とイエスの再臨でしょう。
『アメリカ映画とキリスト教』によると、アメリカは人口の約75%がクリスチャンであり、ユダヤ教徒も含めると約77%が、「世界の終わり」をユダヤ・キリスト教的価値観、聖書的終末観で捉えています。
2010年に行われた世論調査によると、アメリカ人の41%は2050年までにイエスが再臨し、終末が訪れると信じている。
プロテスタント 54%
白人福音派 58%
白人主流派 27%
カトリック 32%
終末を待ち望む人が半数近くいるわけです。
マヤ文明に代表される非人間的な世界の終わり、そしてスペイン船によってもたらされるキリスト教文明の夜明け(イエスの再臨)。
描写が残酷であればあるだけ、マヤ文明がいかに野蛮かが印象づけられ、スペインによる征服が正当化されます。
あるサイトは、アフガニスタンのタリバン政権やイラクのフセイン政権を象徴していると指摘していますが、うなずけます。
スペイン船=アメリカ=キリスト教は抑圧からの解放者です。
となると、残酷な描写はマヤ文明の非人間性を強く印象づけ、スペインは侵略ではなく、マヤの人々に救いをもたらす福音だという結論に結びつけることになります。
木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』で興味深いのは、60年代以降のキリスト教福音派やキリスト教右派の動きが詳しく説明されていることです。
第二次世界大戦中は連合国に対立する国を、その後は共産主義国を、「神の国アメリカ」の敵、あるいは「反キリスト」として捉えた。
しかし、「ユダヤ・キリスト教国家」としてのアメリカの伝統的価値観に対する異議申し立てとして生まれたカウンター・カルチャーが盛んになる1960年代に入ると、それまでの価値観が覆された。
このころからアメリカのキリスト教の中心は、比較的リベラルな立場の「主流派教会」から、保守的な立場をとる福音派へと移っていく。
その福音派の中から、さらに自分たちの保守的なキリスト教的価値観を政治に反映させようとする「キリスト教右派」が力を持つようになる。
1951年、ビル・ブライトはキャンパス・クルセード・フォー・クライスト(CCC)を創設し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で活動を始めた。
カリフォルニア州知事だったレーガンや福音派の人々が、ヒッピーの巣窟と目されていたカリフォルニア大学バークレー校の浄化に乗り出し、ヒッピーたちをクリスチャンに転向させようとした。
1967年、CCCも「いま革命を」というキャンペーンをカリフォルニア大学バークレー校で展開する。
レーガンは自分が政治能力があることを有権者に示す必要があり、ビル・ブライトたちはレーガンに協力することで、自分たちが政治に影響を及ぼせるようになると考えた。
ヒッピーの街と化していたバークレーでは、短髪にスーツ姿では受け入れられず、キャンペーンは苦戦する。
そこで、ビル・ブライトはCCCのスタッフたちにヒッピー・スタイルを身につけるよう命じ、クリスチャン世界解放戦線という名の組織を結成し、CCCの活動の前面に発たせた。
また、社会活動家やヒッピーたちが好んで使っていた「革命」「スピリチュアル」という言葉を多用して、学生に話しかけた。
いわば異教徒の牙城であったバークレーに対する十字軍の戦いそのものだった。
ビル・ブライトはさらにCCCの活動をワシントンや軍隊の中にも広げていく。
1969年に行われたウッドストックに対抗するように、ビル・ブライトはクリスチャンのためのウッドストック・フェスティバルとして、Explo'72 をダラスで行い、75カ国から高校生や大学生8万人が集う一大イベントとなった。
クリスチャンのミュージシャンたちは、いかに過去の自分たちが麻薬に溺れて不幸であったのか、そして、イエスに出会ってことでいかに救われたのかという信仰のメッセージを若者に向かって発した。
Explo'72で演奏された曲はレコード化され、希望者はCCCに問い合わせると無料で入手できた。
この方法によってCCCは若者たちにアプローチすることができ、さらなる活動に勧誘することができた。
CCCが提唱した「ワン・ウェイ(イエスこそが唯一の救い)」というわかりやすいスローガンは、カウンター・カルチャーで何も変わらなかったことに幻滅し、喪失感を抱いた若者たちに受け入れやすいものだった。
CCCは保守的な神学を保持しながら、ホップ・ミュージックを中心としたコンテンポラリーな宣教のスタイルを伴って、カウンター・カルチャー世代の取り込みに成功した。
こうしてCCCの勢力は、YMCAなど従来からあったキリスト教系の青年団体を凌駕するようになった。
1970年代の時点で1万人のフルタイムのスタッフを抱えていたが、2005年には191カ国に活動範囲を広げ、2万6千人のフルタイム・スタッフと、55万人の訓練を受けたボランティアを有し、予算規模は4億ドルとされている。
1980~90年代に政治の表舞台に出てくるキリスト教右派グループは、ビル・ブライトがCCCを通して保守的な考え方を広めた世代を中心としている。
福音派の協力によってレーガンが大統領に選ばれたことを喜んだビル・ブライトは、1980年に開催されたイベントで、20万人もの福音派やキリスト教ファンダメンタリストたちをが集め、レーガンのために一日中祈りをささげた。
このイベントには、それまで反目しあっていた南部パブテスト連盟と福音派教会など保守派が初めて協力して一緒に参加した。
そのころの最大の宗教ロビーはモラル・マジョリティーで、かつての伝統的価値観の回復を求める政治団体である。
主な主張は次の3点
①世俗的人間中心主義への批判
②伝統的な家族を守ること
③アメリカ至上主義
「伝統的な家族を守ること」という立場から、人工妊娠中絶反対、男女同権法案反対、同性愛者の権利を認めることへの反対、家庭の教育に公権力が介入することへの反対を主張した。
1968年にプロダクション・コードが廃止された後のアメリカ映画は、キリスト教右派による「暗黙の検閲」を受けねばならなくなった。
イエスが誘惑に負けて女性と関係を持つ場面があるマーティン・スコセッシ『最後の誘惑』(1988年公開)の製作・上映は福音派の団体から妨害・抗議を受けたが、抗議運動の中心となったのがCCCだった。
ビル・ブライトは映画の配給を予定していたパラマウントにフィルムの破棄を前提に、原作の映画化権を購入したいと申し入れた。
映画化権の購入に失敗すると、上映を中止させるためにCCCのメンバー2万5千人を動員して、映画館の前でボイコット活動を展開し、映画館に入ろうとする人々を実力行使で阻止した。
しかし、主流派教会の牧師たちは、あまりに行き過ぎた抗議活動に異議を唱えた。
キリスト教的性道徳を掲げる福音派などの保守派と、言論の自由を求めるリベラル派との間にあった思想的葛藤がアメリカ社会の中で顕在化することになった。
『最後の誘惑』をめぐる一連の出来事の背後には、伝統的価値観の回復を望むキリスト教右派や新保守派と、そこから自由でありたいと願うリベラルとの対立構造があり、1990年代初頭になると、政治、社会を巻き込んだ「文化戦争」へと発展していく。
「文化戦争」で論争の的になっている主要なトピックは、人工妊娠中絶、同性婚、公立学校での祈禱の再開などである。
多様な価値観が林立することによってアメリカという国家が解体することを恐れる人々は、そこに確固たる道徳規範を求めていったのである。
以上、木谷佳楠氏の論攷を読み、CCCのやり方はまるで日本会議だと思いました。
草の根保守運動です。
木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』は、キリスト教という切り口からのアメリカ映画批評かと思ったら、博士論文を加筆訂正したもの。
映画や映画界とキリスト教との関わりをとおしてアメリカを見ていく。
はなはだ興味深い本でした。
アメリカが排除と受容という相対する二項概念の相克によって発展してきた歴史は、アメリカ人の「我々(We)」を定義する線引きをめぐっての争いの歴史であったとも言える。
どの範囲までを「アメリカ的」と見なし、どの範囲から「非アメリカ的」だと定義するのか、その線引きは不明瞭である。
建国初期のアメリカ人にとっての「我々」とは「白人のアングロサクソン系プロテスタント信徒」(WASP)であり、「我々」を統合する宗教的価値観は、プロテスタント教会とほとんど同義だった。
1800年代中ごろ、カトリック系移民が流入してくると、プロテスタント信徒は自分たちこそが「真のアメリカ人」であると主張して、カトリック信徒を排除した。
映画産業は、1890年代から1910年にかけて、エジソンやグリフィスなどWASPを中心として開発が進められ、映画が宣教の道具として役立つと歓迎された。
やがて、当時、職業選択の自由が与えられていなかったユダヤ系移民たちが映画を大衆文化へと広めていったので、アメリカ系アメリカ人と自負する勢力から、映画業界は攻撃されやすかった。
1920年代前半から、キリスト教系団体や女性団体は、ユダヤ系映画製作者たちが作る映画によって道徳律が乱されていると非難するようになる。
恋愛映画を作ると、「ユダヤ系移民がプロテスタント信徒の風紀や道徳律を映画によって乱している」という批判が起こり、聖書に基づいたイエス物語の映画を作ると、「イエス・キリストを死に至らしめたユダヤ人が、キリストの死によって金儲けしている」と叩かれた。
アメリカにおけるイエスを描いた映画は、その製作段階から常に「反ユダヤ主義」「神への冒瀆」という批判にさらされる危険性を内包していた。
ユダヤ系映画製作者たちは「真のアメリカ人」になるためにユダヤ系であることを隠すようになり、ユダヤ系ヨーロッパ人としてのアイデンティティを捨て、同化していく道を選んだ。
1930年代、「アメリカ人」としての地位を獲得しつつあったカトリックの人々から、ハリウッドに対する抗議の声が上がると、ユダヤ系映画製作者たちは自主検閲機関を設立し、1934年、プロダクション・コード(映画製作倫理規定)を設けた(1968年に廃止)。
プロダクション・コードは12項目があるが、①神への冒瀆、②性的不品行、③殺人や窃盗行為の3点を禁じることに集約される。
根底にあるキリスト教的価値観は、結果としてアメリカ映画を観る全世界の人々に影響を与え、単なる笑いや感動を伝えるだけのものではなく、アメリカの価値観を教え、キリスト教的倫理を伝え、「アメリカ的生き方」を示すようになった。
これは2000年来、教会が担ってきた役割だった。
移民の手によって発展したハリウッド映画産業は「非アメリカ人」として攻撃される危険性を持っていた。
その最たるものが冷戦時代の赤狩りである。
1947年からの赤狩りにおいて、厳しく追及を受けたのは主に移民たちであり、アメリカ系アメリカ人は主として糾弾する側にいた。
ハリウッドの移民たちは、アメリカの成員かどうかを判断する踏み絵として赤狩りに加担し、自主的に映画の検閲を行い、共産主義者を閉め出すことを余儀なくされた。
WASPに属するセシル・B・デミル、ジョン・ウェイン、ウォルト・ディズニー、ロナルド・レーガンらは、非米活動調査委員会の調査に積極的に協力したが、ギリシャ移民のエリア・カザンのように「裏切り者」「ユダ」として扱われることはなかった。
1950年代、「神を否定する共産主義」というアメリカ人にとっての共通の「敵」を得たアメリカは、「我々」を統合するものとして、神に対する信仰をアメリカ人の最大公約数として求めた。
その「敵」に一致して対峙するための方途として、国民を「神の名の下にひとつにする」という道を歩み始める。
1956年、「我々が信じる神のもとに」を国の正式なモットーとして採用し、1ドル紙幣や硬貨に印字した。
こうして、「神の国アメリカ」という自己イメージは強固なものとされていった。
冷戦終結以降、アメリカは確固たる「敵」を失っていたが、2001年に起きた同時多発テロを契機に、イスラーム過激派、テロリストという新たな「敵」を得た。
9.11以降、宗教を軸にする対立構造は、「アメリカ対テロ組織」、あるいは「ユダヤ・キリスト教対イスラーム」という単純な対立構造を顕在化させた。
多様である国民がひとつになることが要請され、愛国心や排他的な伝統価値観を標榜する保守勢力が力を増していくことになる。
「アメリカ人」「非アメリカ人」という線引きは、人種や宗教のみならず、保守派かリベラル派かという思想的立場による対立構造の中でも規定されるものへと変化した。
保守派対リベラル派の対立は、建国時のピューリタニズムと民主主義という二つの思想が、多民族国家となった変化にいかに対応するかをめぐって生じた対立構造である。
建国の精神にあるキリスト教的道徳観に基づいた社会へと回帰するのか(保守派)、民主主義に基づく多様性を重視した社会の構築を目指していくのか(リベラル派)。
アメリカのリベラル化は、キリスト教右派と新保守主義の共闘を生み、そこから自由でありたいと願うリベラル派と主流派教会との間における対立構造を顕在化させた。
アメリカ対非アメリカの関係を「キリスト教対反キリスト」「善と悪」という単純化された二元論的構図に当てはめ、自国民のみならず世界市民に対しても、どちらに立つかの選択を迫る。
『アメリカ映画とキリスト教』を読んで思ったのは、アメリカの歴史は「敵」を見つけ出すことによって、多民族国家であるアメリカを一つにまとめようとする歴史といえるのではということです。
ザビエルが二度目に山口に滞在した時には500人が洗礼を受けたそうです。
短期間に大勢の人が信者になったのは、キリスト教が真実の教えだからだとザビエルは自賛します。
18 多くの人びとが信者になってゆくのを見て、ボンズたちはたいへん悲しみ、信者になった人たちを叱りつけて、どうして今まで信じていた教えを棄てて、神の教えを信じるようになったのかと質問しました。信者たちや聖(み)教えを学んでいる人たちは、ボンズの教えよりも神の教えのほうがはるかに理にかなっていると思うので信者になったのだと答えました。また、ボンズの質問に対して、私たちがよく答えたのに、私たちがボンズの教えについて質問したことに、ボンズたちが答えられなかったのを見たからです。日本人は、その宗派の教義のなかで、前にも言ったように、天地の創造、太陽、月、星、天、地、海その他すべての物の創造について、何も知識を持っていません。日本人はこれらすべての物には元始(はじめ)がなかったのだと思っています。私たちが霊魂はそれを創造した創り主がいるのだと言うのを聞いて、さらに深い感銘を受けました。
僧侶たちはザビエルにいろんな質問をしています。
20 彼らは悪魔がいること、そして悪魔が悪い者であり、人類の敵であると信じていましたので、もしも神が善であるならば、こんなに悪い者どもを造るはずがないから、私たちが言うようなことはありえないと考えました。私たちは神は善いものを造られたのですが、彼らが勝手に悪くなったので、神は彼らをこらしめ、終わりない罰を科すのであると答えました。それに対して彼らは、神がそれほど残酷な罰を科すならば、情深い者ではないと言いました。さらに彼らは、[私たちが言うように]神が人類を造ったということが真実であるならば、それほど悪い悪魔が人間を悪に誘うことを知っていながら、どうして悪魔の存在を許しておくのかと言いました。神が人類を創造したのは、神に奉仕するためですから、[悪魔の存在を許すのは矛盾であると言うのです]。またもしも、神が善であるとすれば、人間をこんなに弱く、また罪に陥りやすく創造しないで、少しも悪がない[状態に]創造したに違いないと[言いました]。そして神は、これほどひどい地獄を造り、[私たちのいうところに従えば]地獄に行く者は、永遠にそこにいなければならないのだから、慈悲の心を持つ者ではなく、したがって万物の起源である[神を]善であると認めることはできないと言いました。またもしも、神が善であるとすれば、これほど遵守しがたい十戒を命じなかったであろうと言いました。
僧侶の質問は5点です。
①「神が善であるならば、こんなに悪い者ども(悪魔)を造るはずがない」
②「神がそれほど残酷な罰(終わりない罰)を科すならば、情深い者ではない」
③「神が善であるとすれば、人間をこんなに弱く、また罪に陥りやすく創造しないで、少しも悪がない状態に創造したに違いない」
④「地獄に行く者は、永遠にそこにいなければならないのだから、慈悲の心を持つ者ではなく、したがって万物の起源である[神を]善であると認めることはできない」
⑤「神が善であるとすれば、これほど遵守しがたい十戒を命じなかった」
これらの質問は私にはしごくもっともな疑問だと思います。
神が全能であり全善なら、どうして悪が存在するのかという悪の問題はキリスト教の難問だそうです。
ところが、ザビエルの答えは「神は善いものを造られたが、勝手に悪くなった」というあっさりしたものです。
この答えで誰が納得するのでしょうか。
だったら人間を悪に陥らないように強く創造すればいいという③の疑問が生じるのは当然です。
しかし、書簡には③への答えはありません。
もう一つ大きな疑問は地獄ということです。
ザビエルが来日する以前は、日本人はキリスト教を知らなかったのだから、先祖たちは地獄に落ちていることになります。
23 山口のこの人たちは、私たちが日本へ行くまで日本人に神のことをお示しにならなかったのだから、神は慈悲深くはないと言って洗礼を受けないうちは、神の全善について大きな疑念を抱いていました。もしも[私たちが言うように]神を礼拝しない人がすべて地獄へ行くということがほんとうならば、神は日本人の祖先たちに慈悲心を持っていなかったことになります。祖先たちに神についての知識を与えず彼らが地獄へ行くに任せていたからです。
キリスト教では、地獄に落ちた者は永遠に地獄で苦しみ、救いはありません。
48 日本の信者たちには一つの悲しみがあります。私たちが地獄に落ちた人は救いようがないと言うと、彼らはたいへん深く悲しみます。亡くなった父や母、妻、子、そして他の人たちへの愛情のために、彼らに対する敬虔な心情から深い悲しみを感じるのです。多くの人は死者のために涙を流し、布施とか祈禱とかで救うことはできないのかと私に尋ねます。私は彼らに助ける方法は何もないのだと答えます。
ザビエルは「助ける方法は何もない」とあっさり答えるわけです。
21 また彼らの教義によると、地獄にいる者でも、その宗派の創始者の名を唱えれば地獄から救われるのですから、[神の聖(み)教えでは]地獄に陥ちた者にはなんの救いもないのはたいへんに[無慈悲な]悪いことであると思われ、神の聖教えよりも彼らの宗派のほうがずっと慈悲に富んでいると言っています。(略)
仏教は地獄に落ちた者も救われるのに、キリスト教では「なんの救いもない」わけですから、僧侶が無慈悲だと感じるのはもっともです。
24 (略)私たちは理由を挙げてすべての宗教のうちで、神の教えがいちばん初めに人びとに[刻みこまれたことを]証明しました。すなわち、中国から日本へ諸宗派が渡来する以前から、日本人は殺すこと、盗むこと、偽りの証言をすること、その他十戒に背く行いが悪いことであると知っていましたし、行ったことが悪いことであるしるしとして、良心の責め苦を感じていました。なぜなら、悪を避け、善を行うことは[もともと]人の心に刻みこまれていたのですから。全人類の創造主[である御者(おんもの)が、すべての人の心のうちに刻みこんだ]神の掟を他の誰からも教えられずに[生まれながらに]人びとは知っていたのであると説明しました。
いくら日本人が悪を避け、善を行うべきだと知っていても、ザビエル渡来以前はキリスト教自体を知らないのですから、神を礼拝することなどできません。
このザビエルの説明で納得する人がいたとは不思議です。
49 彼らは、このことについて悲嘆にくれますが、私はそれを悲しんでいるよりもむしろ、彼らが自分自身[の内心の生活]に怠ることなく気を配って、祖先たちとともに苦しみの罰を受けないようにすべきだと思っています。彼らは神はなぜ地獄にいる人を救うことができないのか、そしてなぜ地獄にいつまでもいなければならないのかと、私に尋ねます。私はこれらすべての[質問に]十分に答えます。彼らは自分たちの祖先が救われないことが分かると、泣くのをやめません。私もまた[地獄へ落ちた人に]救いがないことで涙を流している親愛な友人を見ると、悲しみの情をそそられます。
「神はなぜ地獄にいる人を救うことができないのか」という問いにザビエルはどう答えたのか気になります。
現代のキリスト教ではどのように答えるのでしょうか。
宗教改革の時代に生きたザビエルに、文化多元主義への理解を期待するのは無理な注文だと、私も思います。
多くの西洋人が日本の旅行記を書いていますが、短い滞在期間で、しかも限定された場所で少数の日本人に会っただけの場合だと、旅行記の記述がどの程度、日本や日本人の実態を伝えているかは疑問ではないでしょうか。
ザビエルの僧侶批判は性の乱れについてだけではありません。
僧侶の無知を指摘しています。
17 (略)私たちは毎日、彼らの教義や論証について質問しましたが、ボンズも尼僧も、祈禱師も、神の教えをよく分かっていない人たちも、[私たちの質問に]答える術がありませんでした。(略)
どういう質問かというと、地獄と極楽についてです。
7 この九つの宗派のうちで、天地創造や霊魂の創造について話している宗派は一つもありません。地獄と極楽があることについてはすべての宗派が説いていますが、極楽とは何であるかについて説明する者は誰もいませんし、誰の掟によって、また誰の命令によって霊魂が地獄に落とされるかを説明する者もいません。(略)
キリスト教と仏教とでは教義が違っているわけですが、キリスト教を絶対視するザビエルはその違いを認めることができなかったのでしょう。
ザビエルの批判は5点あります。
①「天地創造や霊魂の創造について話している宗派は一つもありません」
仏教は創造神のような絶対者を否定するのだから、話さないのは当然です。
②「誰の掟によって、また誰の命令によって霊魂が地獄に落とされるかを説明する者もいません」
善悪の業報によって輪廻をするわけで、誰かの命令によって地獄に落ちるかどうかが決まるわけではありません。
③「極楽とは何であるかについて説明する者は誰もいません」
いくらなんでも極楽には阿弥陀仏がいるとか、蓮の花が咲いているとか、その程度の説明ぐらいできただろうと思いますが。
僧侶がザビエルの質問に答えることができなかったのではなく、僧侶の答えをザビエルが理解できない、もしくは理解する気がなかったのではないでしょうか。
ザビエルによると、仏教には地獄に堕ちることを防ぐ2つの方法があります。
①「宗派の創始者の名を唱える」こと
8 これらの宗派がいっている主なことは、自分の罪について[自分自身で償う]苦行をしなかった人でも、もしもその宗派の創始者の名を唱えるなら、すべての苦しみから救い出されるということです。そしてもしもこれを深く信じて少しも疑わずに自分のすべての希望と信頼をかけて、創始者の名を唱えるなら、たとえ地獄に陥ちた者でも救い出されると約束しています。(略)
②僧侶が「災難を引き受ける」こと
10 [普通の人たちが]この五戒を守らないために身に降りかかってくる災難を、自分たちが人びとに代わって引き受けるのだと[僧侶は]説明しています。[その代わり]人びとが[僧侶のために]建物や僧堂を献納し、[僧侶の]生活を維持するために所得や金銭を献上し、とくにボンズを尊敬し、その名誉を重んずることを条件にします。(略)人びとはボンズやボンザが地獄へ行く[呪われた]霊魂を救う能力を持っていると信じきっています。それゆえボンズは人びとから尊敬を受けるにふさわしい[生活をし]五戒を守り、その他の祈禱をする義務を負っていると思っています。
普通の人びとは五戒を守ることができないために地獄に堕ちるが、五戒を保っている僧侶が悪業を肩代わりしてくれる(オウム真理教の言葉を使うとカルマの浄化)、そのお礼に人びとは僧侶に布施をするわけです。
12 また、五戒を守らない女たちは地獄から救われる手段がないと説きます。そして月経があるために、どの女も世界中のすべての男[の罪を合わせた]よりももっと罪が深く、女のように不潔な者が救われるのは難しいことだと言います。女たちが地獄から救われるために残された最後の方法は、女たちが男たちよりももっとたくさんの布施をすることで、そうすれば、[地獄から]救われるのだと言います。[僧侶が]されに説教するには、誰でもこの世で金銭をたくさんボンズに与えれば、あの世で生活するのに必要な金銭をこの世と同種の貨幣で10倍にして与えられると言うのです。それで男も女もあの世で支払いを受けるために、たくさんのお金をボンズに施します。ボンズはあの世で支払うために、誰からお金を受け取ったかという証拠書類を男にも女にも渡しています。(略)
証拠書類とは免罪符みたいなものでしょうか。
それとも三途の川の渡し賃でしょうか。
どういう名称なのか知りたいです。
山本博文「日本人の名誉心及び死生観と殉教」(竹内誠監修『外国人が見た近世日本』)に、ザビエルが書簡でボンズ(坊主)に言及している部分を引用してあったので、『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』を見てみました。
日本の仏教事情について詳しく書かれてあるのは、書簡90(1549年11月5日鹿児島からゴアのイエズス会員に出された)と書簡96(1552年1月29日コーチンからヨーロッパのイエズス会員に出された)です。
どちらもかなりの長文です。
ザビエルは1549年8月15日に鹿児島に到着。
1550年8月に平戸、10月に山口へ。
1551年1月に京都へ行き、3月に平戸に戻り、4月に山口、9月に大分。
1551年11月15日、大分からインドへ出帆。
日本に滞在したのは2年3か月ということになります。
書簡90は日本滞在3か月で書かれたためか、ボンズ(坊主)をほめている個所がありますが、書簡96ではけなしまくっています。
( )の中は訳注、[ ]は補注です。
4 この地には修行生活をしている男や女がたくさんおります。彼らのあいだでは男をボンズと呼んでいます。さまざまな宗派があって、ある者は褐色の衣をまとい(一向宗の僧侶)、他の者は黒色の衣を着ています(禅宗の僧侶)。そしてお互いにあまり親しくしていません。黒衣のボンズは褐色のボンズをたいへん嫌い、褐色のボンズは無知で悪い生活をしているといっています。比丘尼[ボンザ]たちのうちのある者は褐色の衣をまとい、他は黒色の衣を着ています。(略)
訳注によると、褐色の衣を着た僧侶は一向宗の僧侶です。
どうして一向宗なのかというと、「褐色の衣服を着けたボンザやボンズたちはすべて阿弥陀を拝んでいます」という書簡96の記述があるからです。
書簡96に「それぞれ異なった教義を持つ九つの宗派があって」という文章があり、訳注には、九つの宗派とは天台宗、真言宗、融通念仏宗、浄土宗、臨済禅宗、曹洞禅宗、一向宗、法華宗、時宗とありますから、一向宗とは浄土真宗のことでしょう。
しかし、浄土宗、時宗、融通念仏宗も阿弥陀仏を拝みますから、阿弥陀を拝むということだけで、褐色の衣を着ているのが浄土真宗の僧侶かどうかはわからないはずです。
そもそも、どうして「浄土真宗」ではなくて「一向宗」という宗派名を訳者は使ったのか。
蓮如『御文』に「開山は、この宗をば浄土真宗とこそさだめたまえり。されば一向宗という名言は、さらに本宗よりもうさぬなりとしるべし」とありますから、本願寺教団が「一向宗」と称していたわけではありません。
臨済禅宗、曹洞禅宗という名称もおかしいです。
僧侶は尊敬されていたと、書簡90にザビエルは書いています。
46 (略)日本人のうちにはボンズが大勢いて、その罪はすべての人に明らかですけれど、彼らはその土地の人たちから、たいへん尊敬されています。なぜこのように尊敬されているかというと、厳しい禁欲生活をしているからだと思われます。彼らは決して肉や魚を食べず、野菜と果物と米だけを食べ、一日に一度の食事はきわめて規律正しく、酒は与えられません。
どの宗派の僧侶も、生き物を殺さず、殺した生き物を食べないこと、盗みをしないこと、姦淫をしないこと、嘘をつかないこと、酒を飲まないことの五戒を守っているから尊敬されていると説明します。
ところが書簡96では、僧侶は五戒を守らないと書いています。
27 (略)ボンズもボンザも、公然と酒を飲み、隠れて魚を食べ、話すことに真実がなく、平気で姦淫し、恥ずかしいとも思っていません。すべての[僧侶たちには]破戒の相手となる少年がいて、そのことを認めたうえに、それは罪ではないと言い張るのです。(略)
男色も姦淫です。
ザビエルは僧侶の男色を特に非難しています。
16 世俗の人たちのあいだでは、罪を犯す者は少なく、彼らがボンズと呼んでいる僧侶たちよりも、道理にかなっ[た生活をし]ています。ボンズたちは自然に反する罪を犯す傾きがあり、またそれを自ら認め、否定しません。これは周知のことであって、老若男女誰もがきわめて普通のことであるとして、奇異に感じたり、忌まわしいこととは思っていません。ボンズ以外の人びとは、ボンズたちの忌まわしい罪を非難するのを喜んで聞きます。彼らはそのような罪を犯す者がどれほどの悪人であるか、またそのような罪を犯すことで、神をどれほど侮辱しているかを主張する私たちに正しい理由があると考えています。
私たちはしばしばボンズたちにそのような醜い罪を犯さないように言いました。[しかし]ボンズたちは、私たちの言うことをあざ笑ってごまかし、きわめて醜い罪について非難されても、恥ずかしいとは思いません。ボンズたちはその僧院の中に読み書きを教えている武士の子供たちをたくさん住まわせて、この子供たちと邪悪な罪を犯していますが、この罪が習性となっているので、たとえすべての人たちに悪であると思われても、それに驚きません。
一般の人びとが男色を何とも思っていないことにザビエルは驚きます。
18 この地の二つの[習慣]について、あまりにもひどいので驚いています。その第一は、これほど大きな忌まわしい[ボンズたちの]罪を見ていながら、人びとはなんとも思っていないことです。昔の人たちがこうした罪のなかで生活することに慣れてしまったので、現在の人たちも前例に倣っているからです。人間の本性に反する悪い習慣を続けることで、生来あるべきものが堕落することは明らかですし、不完全なことを[自覚しないで]無関心のまま[生活して]いることにより、完徳を損ない、破滅させていることは明らかです。
その第二は、世間一般の人たちがボンズたちの生活よりも正しい生活をしていることです。このことははっきりしているのに、ボンズたちが人びとに尊敬されているのにはあきれるばかりです。ボンズたちには、他にもたくさんの過ちがあり、[世間一般の人びと]より高い知識を持っているボンズたちのほうがより大きな過ちを犯しているのです。
おもしろいのが、人びとは僧侶の妻帯は汚らわしいと考えているということです。
17 ボンズたちのうちには、修道者のような装いをし、褐色の衣を着て、頭もあごひげも三日か四日ごとに剃っていると思われる人たちがいます。彼らは思いのままに生活し、同じ宗派の尼僧(比丘尼、ボンザ)とともに生活しています(注)。一般の人たちは[ボンズたちのこの生活を]非常に汚らわしいと考え、尼僧たちとの親しい交わりを悪いものと考えています。世俗の人たちの言うところでは、尼僧たちの誰かが妊娠したと気づくと、すぐに堕胎するために薬を飲んで処置するとのことで、これは周知のことです。僧侶や尼僧の住居を見たところでは、世俗の人たちがボンズたちについて考えていることには、十分な理由があると思われます。ある人たちにこの僧侶たちは他の罪を犯すのかと質問しますと、読み書きを教えている少年たちと罪を犯すと言いました。修道者のような服装をしているボンズたちと聖職者のような服装をしている[禅宗の]ボンズたちとは、互いに反目しあっています。
訳注には、褐色の衣を着たボンズとは「妻帯している一向宗の僧侶のこと」とありますし、山本博文氏は「薩摩藩での一向宗の禁制の理由の一端がここに示されている」と書いています。
しかし、浄土真宗には尼僧はいません。
当時の本願寺教団は強大ですから、浄土真宗の僧侶が妻帯していることは人々に周知されていたと思います。
妻帯を隠しているわけではないので、妊娠したからといって堕胎薬を飲むはずはありません。
ザビエルの誤解か、あるいは褐色の衣を着た僧侶は浄土真宗以外の宗派かだと思います。
また、山本博文氏の論に従うなら、薩摩藩は僧侶の男色はOKだが、女色は弾圧する理由になることになります。
書簡96には、山口で街頭で説教をしたが、「この人たちは、一人の男は一人の妻しか持ってはならないと説教している人たちだよ」とか、「この人たちは男色の罪を禁じている人たちだ」とあざ笑う人がいたとあります。
日本人の性に関しての寛容さはザビエルには理解の範囲を超えていたのかもしれません。
山本博文「日本人の名誉心及び死生観と殉教」(竹内誠監修『外国人が見た近世日本』)に、日本人キリスト教徒の殉教について論じられています。
江戸幕府はキリスト教への弾圧を厳しく行い、信者を拷問し、処刑したと思っていましたが、山本博文氏によると「殉教は積極的な一つの主張、もしくは自己願望の実現」という面があるそうです。
殉教の勧めは、イエズス会士らがキリストの教えとして持ち込んだもので、その特徴を3つあげています。
①迫害は、神の教えが真実であることを示すために神がはかられたものであり、迫害の場で初めてそのものの信仰が真実であるかどうかが試される。
②棄教を迫られた時、口先だけでも神を否定することは、棄教することと同じである。
③殉教者になることは、神の前で高い地位に就くことになる。
日本人のキリスト教信者の特質は、強固な信仰を持つ者は信仰を捨てるよりも命を捨てるほうがよいと信じ込んでいたことである。
ただ口先だけでキリシタンではないと言いさえすれば、助かる可能性があった殉教者は大勢いた。
慶長19年に家康が禁教令を出した時点でも、役人はできるだけ信者を処刑しないようにしていたが、信仰は捨てないし、逃亡したり身を隠したりしなかった。
家康没後、秀忠によって禁教令が強化され、司祭をすべて死罪に処すると命令しても、信者の願望は殉教することにあった。
役人でさえそう言って、殉教者を増やさないようにしようとしていたにもかかわらず、キリシタンたちは進んで信仰を表明し、殉教しようとした。
宣教師の手紙。
宣教師にも殉教願望があり、変装もせずに屋外でミサを行い、斬首された宣教師もいた。
遠藤周作『沈黙』に出てくる転びバテレンは特殊な例なのかと思いました。
キリスト教の信仰を禁止する理由は、宣教師の言葉によれば、「キリストの教えが各地方に弘まっていけば、―それがキリスト教の普及ということであるが―、自分の王国が強奪されてしまうことになる」という秀忠の確信だったと、山本博文氏は言うわけですが、死や拷問を恐れないかからこそ、幕府は弾圧したのではないかと思いました。
佐藤吉昭氏の推定によると、日本の信者数は約40万人で、日本では5万人程度だそうです。
ちなみに、古代教会の殉教者数が10万人程度。
日本では棄教者のほうが圧倒的に多く、殉教を望んだ信者ばかりではないことは言うまでもない。
しかし、少なからぬ信者が心から殉教を望み、また宣教師を助けるために命を捨てた者がいたことは事実である。
神を裏切ることを恐れただけではなく、積極的に神の栄光を得るため、殉教を望んだと考えて間違いない。
司祭の説得すら拒んで殉教という名誉を得ようという心性は、キリスト教伝来以前からの日本人の心性が表れたものと感じられる、と山本博文氏は書いています。
日本軍が玉砕をしたり、捕虜になるよりも死を選ぶ心性と共通するのではと思いました。
その心性とは、名を惜しむということであり、それは世間の目を気にすることでもあるのではないでしょうか。
中村保『最後の辺境 チベットのアルプス』では、一章を割いて、チベットへのキリスト教宣教師の苦闘、殉難が書かれてあります。
アヘン戦争の後、宣教師は中国の法律から免除された。
内陸における布教は禁止されていたが、捕まっても、最悪で近くの港に送還されるだけですんだ。
19世紀後半には大勢の宣教師がチベットでの伝道を始めているが、チベット人のクリスチャンへの改宗者は少なかった。
中村保氏は何人かの宣教師を紹介しています。
ミス・アニー・テイラー(1865年生まれ)は28歳のとき、「主は中国へ赴く女性を求めておられる」というお告げをきき、ダライ・ラマに福音を与えようと決意した。
スージー・リンハルト(1868年生まれ)は「いままでラサに福音が伝えられていないなら、私が教えを説く最初の一人にならなければならない」と自著に書いている。
いらんお世話だと思います。
ローマ教皇を仏教徒にしようと思うチベット人がいたら、カトリック信者は気を悪くするでしょう。
34年間、東チベットで布教したジェームズ・ハストン・エドガー(1872年生まれ)はチベット仏教を研究し、「チベットの宗教は、人間、神、自然について誤った認識に基づく、それこそ迷信と魔術の源泉である。有害で狂信的な信心と悪魔的な星辰は、時期はずれの霜が実をつけようとしている小麦を枯らせてしまうように、チベット人を蝕んできた」と書いている。
河口慧海も『チベット旅行記』でチベット人やチベット仏教をけなしていますから、そうなのかとは思いますが、これまたあまりいい気持ちはしません。
宣教師たちに独善、盲信というくさみを感じるからです。
パリ外国宣教会は1846年以降、インドやインドシナにおける布教を担当した。
1889年、任安守(アネット・ジェネスティル)が雲南省北部の白漢洛(サルウィン川畔)に天主堂を建てた。
雲南で再び布教活動を始めたことを知ったラマ僧は、100人の武装した信徒を派遣し、任安守を討とうとしたが、任安守はこのような事態を想定していたこともあり、襲撃は失敗した。
この事件を受けて、フランスの要請により、清朝政府は80人を派兵し、宣教師たちを保護した。
任安守は、その地域一帯でチベット仏教を信じることを禁止すると同時に、読経や鉦や太鼓をたたくことも止めるよう布告し、非天主教徒との結婚を許可しなかった。
宣教師は植民地支配の先兵でした。
「宣教師は聖書を持って西欧の銃剣の後をついて行った」と中村保氏は書いています。
日本が朝鮮や中国、占領地に神社を建てて神道を強制したり、仏教各宗派が別院を建立したことが批判されます。
宗教を押しつけたことへの批判はもっともです。
キリスト教宣教師が世界各地で行なったことも同じではないかと、『最後の辺境』を読んで思いました。