友人から「仲のいい友達の何気ない一言に『なんでわざわざそんなこと言うの?』って悲しいような、ムカつくような気持になった」という話を聞きました。
その人はきっと無意識で言っていたり、このくらいのイジりなら大丈夫だろうって気持ちだったと思うんです。
誰にでもあると思う。
おそらく自分も「無意識」に言って誰かを傷つけていることがあったのではないか?と反省します。
言った方は忘れていても、言われた方は死ぬまで忘れない、ナイフのように突き刺さる言葉。
自分が言われるのも嫌ですが、自分が知らず知らず相手を傷つけていることもあるのです。
見解が食い違ってしまってうまく伝わらない!そんなこともあります。
言葉のすれ違いで、一生の友達を失ったという事も聞いたことがあります。
「麒麟が来る」で斎藤道三が斎藤義龍に対して「言葉は刃物ぞ」と名言を残しました。
言葉は刃物というように、使い方を間違えれば人に深く突き刺さり、傷つけてしまいます。
SNSの登場により共感の連鎖は早まり、光速で一瞬にして人々の中に伝搬していく怖い世界。
しかし,その反面、言葉は愛や友情にも変わってくれるものです。
相手を優しくあたため包み込む毛布にもなる。
愛はお金で買うこともできませんし、何か条件付きで与えられるものでもありません。
泣くほどうれしい言葉もあれば、共感し、深く感動する言葉だってあります。
自分が、純粋な愛を受け取ることができなければ、相手に対しても純粋な愛を与えることができません。
愛されたいならば、まずは、自分から相手を愛することが大切で、たった一言の言葉が人を救うことも多いものです。
言葉の力は偉大である。
感情的に発しなければ、薬にもなるもの。敬愛の心があれば、癒しの感情として受け手に届くものだと思います。
恐れずに、よい言葉を発していきたいものですね。