百姓通信
自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
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「我思う、故に我あり」とデカルトは言った。
西洋文明の理論の枠組みは、このデカルトの二元論(主体と客体、精神と物質、心と体)が根幹にある。この二元論は、「分離する哲学」といわれるように、自己は他者から独立して存在するという幻想を我々に与え、自我は他者とは無関係に自身の意思で行動することが可能であり、すべては自我を中心に据えている点に特徴を持つ。
逆に、仏教では『因縁生起(相互依存の現象)』といい、全ては繋がっている、「存在することは、相互依存することである」と説く。つまり、「君あり、故に我あり(あなたが存在する、故に私は存在する)」であり、地球の賜物によって養われ、太陽が私に暖を与え、水が私の渇きを癒し、私は空気を呼吸する。これらの元素が存在する、故に私は存在する。とサティシュ・クマールは『君あり、故に我あり』(講談社学術文庫)で説く。
単純に考えても、それらは物の見方であり、分離してみるか、繋げてみるかのアプローチの違いである。しかし、大切なことは、分離したことで強者と弱者を生み出し、終わりのない競争社会を作り出し、我々は途方もない不安な時代を生きる破目に陥っている事実であり、これを回避するためには考え方を根本的に転換し、それに基づいて行動する準備をし、対立と調和の間に均衡を目指し、全体性の獲得に努めることが必要な時代を迎えているのではないだろうか。

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