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巻き添え食ってたまるかよ

妄想性国家一体化病

2017-03-23 21:56:14 | マンガ
1940年5月10日、ヒットラーはついに、「黄色作戦」(対フランス戦)を発動した。ドイツ軍はなだれのごとく中立国ベルギーに侵入し、さらにオランダに殺到した。ヒットラーは、ついにその宿願であった大ゲルマン国家建設のためのヨーロッパ征服を実行にうつしたのだった。「いまから開始される戦いこそ、今後一千年間のドイツ民族の運命を決するのだ!」ヒットラーは叫んだ。

これはひとつの大きな賭けだった。しかしその計画はじつにすばらしい成功をおさめた。5月26日、連合軍はダンケルクから海へと追放され、ほうほうのていでイギリスへ逃げた。

6月10日、ムッソリーニが参戦し、フランスはついにパリをあきらめた。ドイツ軍はパリに無血入城した。ハーケンクロイツの旗はエッフェル塔上にひるがえった。

たしかにヒットラーは戦術的天才であったかもしれない。ナチの軍隊では、いつも指揮官が真っ先に突入するのだ。マジノ線=第二次大戦前に仏陸軍大将マジノの建議で作られた、ドイツとの国境に横たわる近代的要塞線=に一人敢然と突入したのは、なんと師団長のロンメル自身だった。ボルドーに逃げていたフランス政府は、正式にドイツに降伏した。

6月21日、第一次大戦でドイツが降伏調印したコンピエニューの森で、こんどはフランスの降伏調印が行われた。わざわざ第一次大戦のとき調印した古い寝台車が博物館から運び出されて調印式に使われた。こうしてヒットラーは1918年の恥をそそいだ。ヒットラーは軍楽隊に送られて、ゆうゆうと引き上げた。

ヒットラーはパリの建築に深い興味を抱いていた。とくにオペラ座の内部は、見たことがないのにすみずみまで知っていたくらいである。ヒットラーは、シュペーアという建築家などと、3時間だけパリの建築を見てまわった。とくに、日ごろ尊敬していたナポレオンの墓では…。

「これがぼくの生涯の絶頂だろう。パリを見るのが小さいころからの夢だった…。それがいまかなえられて、どんなにうれしいか。口ではいいあらわせないよ」

シュペーアはヒットラーに同情をおぼえた。これが彼のパリ見物の最初で最後だった。

ヒットラーは凱旋将軍として7月6日、ベルリンに帰った。町は旗と花と人の海だった。すべての村々では、教会の鐘がひびき渡った。いまやヒットラーがドイツとなり、ドイツがヒットラーになった。彼はわずか2ヵ月の戦いで史上最大の戦略家として、フリードリッヒ大王以上の人物となった。彼は語った。「わが帝国は今後一千年間持続するであろう」 —(水木しげる 『20世紀の狂気 ヒットラー』 1971年・週刊漫画サンデーに連載)





History in Moments @historyinmoment 3月21日
Adolf Hitler at Kroll Opera House in Berlin 1939. Photo by Hitler's personal photographer Hugo Jaeger.


『劇画ヒットラー』として80年代に復刊されていたのを読み、このほどひさしぶりで手にしたが、内容をほとんど覚えていなかった。題名のように、私が子どもの頃はヒトラーよりヒットラーと表記される方が多かったと思う。

水木さんは兵隊にとられる前、文芸・哲学書を読み漁ったというが、そうした背景がここでも生きており、歴史や伝記漫画というよりは、ヒトラーの主観に基づく、ロマン主義的な栄光と破滅の物語という印象を受ける。ユダヤ人への迫害と虐殺は冒頭にちょっと描かれるだけで、戦争の描写もテキストと大ゴマだけで省略されているが、逆にヒトラーの心情や、周囲の人物がいかに呼応し、彼の狂気を大きな渦巻きとしていくか、そうした人間ドラマ、演劇や小説のおもむき。あとがきで水木さんは、ヒトラーの求心力を「神秘力。とにかく恰好よかった」と綴っており、同じ時代、同盟国の少年が、その渦巻きを目の当りにして生きていた実感がうかがえる。




akabishi2‏ @akabishi2 3月23日
【緩募】小説を読んでいたら、登場人物の一人がネトウヨになっていく様が描かれていて、やっぱネトウヨは何か「罹患」するものなのかな?などと考えてみた。俺が読んだのは葉真中顕氏の『絶叫』。他にネトウヨが出てくる小説があったら教えてください。ネトウヨはどう描かれているのか。知りたいです。

野間易通 @kdxn 3月23日
誰もが思ったと思うけど、口下手な素人のおっさんでも普通に受け答えするだけで質問→答弁はきちんと成立してるよね。ふだんの国会質疑でのやりとり、とくに与党側答弁がいかに異常か、改めて浮き彫りになった。

きづのぶお‏ @jucnag 3月23日
自民党は籠池氏を完全に舐めてましたね。その驕りから致命的な失敗を犯した。




政治に物申す会‏ @boruchiyan 3月17日
安倍政権のことを言っている
ローレンス・ブリット


かつて日本は、この近代化の成功を誇り、東亜の盟主とうぬぼれて、中国その他のアジア諸国を蔑視したが、日本の選択が正しかったかは一概に言えないであろう。中国は、愚かにもその頑迷固陋な中華思想に固執したために近代化に遅れを取り、半植民地化される憂目を見たが、進取の気風に溢れる日本はすばやく文明開化の道に乗り出し、独立を保った…と言い切れるほど、事態は単純ではない。集団のアイデンティティの側面、精神的側面から言えば、日本の方がはるかにひどく侵害され、独立を失っていたと考えられるからである。わたしが、1853年のペリー来航以降の日本近代を、日本の悲劇の時代、精神分裂病の時代と呼んだのはその意味においてであり、この状態は今も本質的に変わっておらず、吉田松陰が生き、そして死んだ時代は現代までつづいている。わたしの見るところによれば、松陰は、日本の精神分裂の結果、外的自己から切り離された内的自己の立場をもっとも純粋な形で代表している思想家であり、日本がこの分裂状態にあるかぎり、松陰のエピゴーネンは、幾たび殺され、生贄にされようとも、この日本の地に絶えることなく輩出しつづけるであろう。われわれはまだ松陰を卒業していない。松陰の問題は、依然、現代の問題である。 —(岸田秀 『ものぐさ精神分析』より「吉田松陰と日本近代」 原著1976)


中央政界で谷口雅春の思想に憑かれた大物政治家の代表が鳩山一郎であろう。鳩山は1954年から約2年間、首相として政権を率い、日ソ国交回復などを成し遂げたが、首相の座に就く前に脳出血で倒れて闘病生活をよぎなくされたことがあった。

この際、鳩山は谷口の『生命の実相』を熱心に読んで感銘を受けたらしく、谷口と共著の形で『危機に立つ日本—それを救う道』なる教団パンフレットに近い著作を発表、挙句の果てには『生命の実相』を「新時代のバイブル」と絶賛するほどだった。前出した大宅壮一の「谷口雅春論」もこれを取り上げ、谷口と鳩山をこんなふうに辛辣に皮肉っている。

<"神さま業"は一度味をしめたらやめられない(略)。人間の無知と盲点の存する限り、その上にアグラをかいておればいいのである。一方で出て行くものがある代りに、新しいカモも続々やってくる。 最近の最上のカモは何といっても鳩山一郎である。(略)谷口と鳩山の共著で、「危機に立つ日本」と題するパンフレットまで出ていて、鳩山は"生長の家"の宣伝に100%利用されている>

意外なところでは、ハト派として知られた元首相・三木武夫も自民党幹事長時代の1964年、生長の家が政治結社・生長の家政治連合を結成した際、この式典に参加して祝辞を述べるなど谷口と近い関係にあった。生前の三木を知る自民党の元参院議員らによれば、三木は学生時代に肺を病み、その際に谷口の『生命の実相』に触れて感銘を受けていたのだという。 —(青木理 『日本会議の正体』 平凡社新書・2016)



水木しげるさんのヒトラー伝で「ヒットラーがドイツとなり、ドイツがヒットラーになった」の一節が印象的なのは、実際、終盤ドイツが敗色濃厚になってソ連の空爆がベルリンに及んでくると、ヒトラーも元気がなくなって病気で伏せりがちになってしまう。

その意味で、ヒトラーのわれこそ国家という狂信は、純粋なものだったとも考えられる。いまの日本会議や自民党は、もっと欲得ずくである。だからナチスのように戦争で周辺諸国を侵略したりユダヤ人を殺したりというより、カモがネギしょってやってくるネトウヨウヨ囲い込んで、比較多数派~既得権となり、それが有効な日本国内限定で私利私欲をむさぼる。

中心思想は、神武天皇以来、わが国は世界に冠たる神の国で、お国に命を捧げれば、その栄光の歴史に連なることができます~という非科学的なバカバカしいもので、対外的な効力はゼロ。そもそも天皇はそんなこと望んでない。天皇の美名の下で悪いことしたい人たちが広める。亡国です—



劇画ヒットラー (ちくま文庫)
水木 しげる
筑摩書房

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