マガジンひとり

自分なりの記録

旧作探訪#67 『シド・アンド・ナンシー』

2009-08-07 22:23:58 | 映画(レンタルその他)
Sid and Nancy@レンタル、アレックス・コックス監督(1986年イギリス)
1978年10月、元セックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャス(ゲイリー・オールドマン)は、恋人ナンシー・スパンゲン(クロエ・ウェブ)を刺殺した容疑で逮捕される。警察からナンシーとの関係を尋問されたシドが、二人のなれそめを回想するところから、映画は始まる。
過激な音楽と破天荒な言動で全英の話題を集め、パンク・ロックの中心的存在ともなったセックス・ピストルズ。元はそのファンであったシドは、ルックスの良さと攻撃性をマネージャーのマルコム・マクラレン(デイヴィッド・ヘイマン)に買われて途中からバンドに参加する。明日をも知れぬ、彼のパンクを体現するような生き方は、方向性を見失いつつあったバンドの中でもパンク・キッズの注目を集めるのに十分であった。アメリカから来てパンクのグルーピーとなっていたナンシーも、シドに惹かれ、麻薬におぼれたり破滅的な志向を持つ二人は急速に愛し合うようになる。
ところがセックス・ピストルズは初の米ツアー中にヴォーカルのジョニー・ロットン(ドリュー・スコフィールド)が脱退して空中分解。ろくに楽器も弾けなかったシドはなんとか音楽活動を続けていこうと苦闘するが…。



TVを中心とする報道は、ドラマよりおもしろい酒井法子の逃避行で一色に染まる。留置場にいる押尾学には知るよしもないが、知ったとしたら、世界一えらい俺さまより話題を集めるなんて許せない、と吠えたろうか。
すっかり隠れた形となった押尾の事件。忍法カゲリ!!のりピーの事件はなるほど劇的ではあるが、たかだか覚醒剤のこと。押尾の事件では人が死んでいる。
同様に芸能界と麻薬がらみで女が変死した事件が1978年に起こった。シド・ヴィシャスとナンシー・スパンゲン。ナンシーの死因は腹部の刺し傷で、その原因となったナイフは一緒にいたシドの持ち物であったが、レコード会社の働きかけもあったとされ嫌疑不十分で釈放となり、約4ヵ月後にシドは麻薬中毒死した。
そこへいたる成り行きが推測されて映画化されたことは知っていた。初めて見る。演じる2人は熱演で、実際にもこんなんだったろうなあ、とも思わせる。シド一世一代の名唱となった「マイ・ウェイ」の場面などいくつかハッとさせもする。
しかし、確かにパンクスにまつわることはこんな風に暴力と自堕落にまみれていたかもしれないが、当時セックス・ピストルズのライブを見て衝撃を受けて創作の道へ進んだ者も少なくない。破壊的で破滅的なだけではなかった。そのあたり映画のピストルズはぜんぜん魅力がないよナ…。特にジョニー・ロットンの人物像が平板で。まあ主役はシドとナンシーで、その2人の破滅志向を美化して描かなければならなかったことはわかるけど…。
酒井法子の報道も同じ材料を繰り返してるのに過ぎないのだが、やはり現に起こってる事実であり、それに比べ「TVサイズで見る映画とかドラマ」の不利は否めない。先日の『ディア・ドクター』にも釈然としなかったのは、西川美和の監督した前の作品に比べ、明らかに映画として弱く、主演の鶴瓶の人間そのものの発する情報量に依存してしまってる。鶴瓶なくしては成立しない。
映画監督ってのもおそらく、事件が起こってくれなければ困るマスコミと同じくメディア産業なんでしょ。特異な題材とか強力な俳優に依存しがち。
映画、芸能、TV、マスコミの類いは、売春してでもAVに出てでも麻薬をやってでも暴力をふるってでも、とにかく有名になりたい、あるいは有名でい続けたい人たちが切れ目なく現れ続けてくれないことには立ちゆかない。
そして、そんな中でも、根拠もなく誰よりも有名でいたい押尾学の事件が、ひっそりと隠れて続報も入ってこないとしたら、それはなんらかマスコミの、あるいはもっと大きな権力の意図を勘繰る必要もあるんじゃないかと。押尾にはエイベックス等を通じて、パチンコ利権への、さらにパチンコ利権を握る警察OBの平沢勝栄議員へもパイプがあることが噂される。いま押尾の身柄も、被害者の検死など詳しい捜査状況もすべて警察の管理下であり、事件を大きくするのも小さくするのも全権は警察次第。


コメント    この記事についてブログを書く
« 旧作探訪#66 『クラム』 | トップ | 銀行と映画館 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画(レンタルその他)」カテゴリの最新記事