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旧作探訪#66 『クラム』

2009-08-02 21:07:03 | 映画(レンタルその他)
Crumb@VHSビデオ、テリー・ツワイゴフ監督(1994年アメリカ)
ひょろりと伸びた手足、度の強い眼鏡、一見すると内気でスクエアなこの人こそ、アニメ化もされた“フリッツ・ザ・キャット”やジャニス・ジョプリン『チープ・スリル』のレコード・ジャケットで名高い、米アンダーグラウンドの伝説的なコミック作家、ロバート・クラム氏(1943~)なのだ。
すばらしく下品な絵とコミックの数々
現在クラムのコミックスは、アンダーグラウンド・カルチャー再燃の流れに沿ってその原画も高い評価を受けているが、性的な妄想、女性への恐怖、広告文明への嫌悪、LSDによる奇想などを隠そうともしない作品群は、“良識ある”一般社会では忌避されることも多く、それゆえよけいにカルト的な崇敬を集めてきたのだった。
クラムを生んだ環境、それは「健全なアメリカ家庭」の陰画
クラム本人や家族、関係者の膨大な証言を集めたこの映画では、その奇想を生むのが個人的資質というより、特異な家庭環境と幼少期にあったことが明らかになる。軍人でカトリックの父、そしてロバート以上の奇人でそれぞれ絵も描く兄チャールズと弟マクソン。それらは自傷行為のような痛みをわれわれに突きつけ、ロバート・クラムが見せかけの幸福な生活の下に潜むアメリカの欺瞞と病巣を暴き出してカルト・ヒーローとなるに至った背景をまざまざと示す。
6年間にわたるインタビューのすえ映画を完成させたツワイゴフ監督はクラムのバンド仲間でもあり、デイヴィッド・リンチも製作に名を連ねた本作はドキュメンタリーとしては異例の高評価を受けたが、兄チャールズ・クラムは公開を待たず撮影後に自殺した。



きのうあつかった時事ネタのひとコマ漫画では決して描かれない世界。たとえばそれら諷刺漫画の作家さんの中では並外れてアイデア豊富のように思われた山藤章二という人物。もっとも鮮やかな印象を刻んだ作品に、週刊朝日最終ページの「ブラックアングル」というコーナーでロッキード事件の疑獄に連なる3名、田中角栄と児玉誉士夫と小佐野賢治を、武者小路実篤が「仲良きことは美しき哉」なるキャプションとともによく描いた色紙と重ねてみせたものがあった。
それは当時、たいへん鮮やか。今になってみると、なんの感慨も湧かない。事件も武者小路も遠い過去。それらをリアルタイムで共通の知識として持ってなければ、意味がない。
そのときその場だけで通用する時事ネタ。諷刺漫画の多くは、単独の絵としての価値を持たない。小市民的な常識の範疇を超えない“諷刺”で、新聞や雑誌には適応するが、時代や言語を超えて残ってゆくような無制限の表現からは遠い。
いっぽうロバート・クラム氏とて、絵柄など彼が生まれ育ったころの文化から強く影響されたポップ・カルチャーではある。しかし、適応というより不適応、新聞や雑誌に載ろうなんて思ってないし、社会的にも。
2度の結婚と娘さんもいるが根っからのオナニストで、日本でいうと林良文のような尻フェチ絵も多く、映画の中で女性から「子どものころあなたの絵で女性の体が物のようにあつかわれてるのを見て恐い思いをした」と言われて、「私は監禁されているのがふさわしい人間かも」などとも。さらに彼の兄と弟は彼以上の不適応で、引きこもりというか世捨て人のような暮らしを送っており精神科のお世話になったことも。兄チャールズと彼は少年時代競うように絵を描き、そのころの絵ではむしろチャールズに天分があったようにも見えなくもない。しかしカントとヘーゲルの本しか読まないというチャールズは次第に絵よりも観念的な文章にのめり込み、ロバートの絵が世間に媚びてないとはいえポップな市場価値もあるのに比べると、誰も理解できない完全に世間と隔絶された隠者となってしまった。
ロバートは子ども時代チャールズからよく「なんと最悪に輝いているんだ!」との言葉を浴びせられたという。それは子どもらしい罵言かもしれなかったが、「社会から切り離された存在」としての創作人生を象徴しているように思えてロバートにとって今でも好きな言葉だという。映画はチャールズに捧げられた。
さて、この「社会から切り離された」というのは口で言うほど容易でない。誰しも日々お金で食べものを買い、人と会話しながら生きている。超俗の芸術家も例外ではない。しかし、人を、というより世間を、あるいは市場を常に意識して振る舞うようになると、本来の姿からかけ離れたなんだか情けない姿にもなってしまうような。ロバート・クラム氏は1960年代にサンフランシスコでインディー誌『Zap』などでアンダーグラウンドの人気者となったが、意外にも当時のヒッピーとかロック音楽は嫌いとのこと。ローリング・ストーンズからレコード・ジャケットの絵を依頼されたが断ったんだとか。
おそらくそこにこそ、彼がお客さんを、場を、市場を意識したくない、意識することによって本来の作風がねじ曲げられて自由な奇想が湧いてこなくなってしまうのでわ、のような創作の秘密があるのかもしれない。それはまた、ブログってのはいったいなんなんでしょ、とも考えさせる。人に読まれること前提で書かれた個人の日記。
オラ映画の感想にも時事ネタを盛り込んだりするじゃん。『この自由な世界で』でシングルマザーが主人公なことから竹内結子がCMにじゃんじゃん出て母子家庭の現実を覆い隠すのはむかつく!!とか飛んだり。10年や20年後にどうなってるんでしょか。社会とつながっていたい孤独な者のつぶやきに、お客さんが遠巻きにして苦笑している、奇妙なセラピー。




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