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日本幻景 #26 — 多摩美と広告

2019-10-10 21:22:46 | Bibliomania
多摩美術大学は1935(昭和10)年に多摩帝国美術学校として創立。設立者の一人で初代校長となった杉浦非水(すぎうらひすい:1876-1965)は元々東京美術学校(現東京藝術大学)で日本画を専攻していたが、洋画の大家である黒田清輝のもとへ出入りするようになると、黒田が留学から持ち帰ったパリ万博の出品物やアールヌーヴォーのポスター類に強く影響され、グラフィックデザインを志す。三越呉服店の嘱託デザイナーとなって季節の売り出しや新装開店のポスターを手がけ、昭和初期を代表する広告デザイナーとなり、多摩美術学校でも校長と図案科主任教授を兼務。「七人社」というグループ活動にも熱心で、やがて所属の職場や学校などから若手デザイナーが次々とグループを結成。戦局の悪化により活動は制約を受けたが戦後は盛り返し、多摩美術学校は多摩造形美術専門学校⇒1953年に4年制の多摩美術大学となる。戦前に資生堂の専属デザイナーとして名を馳せた山名文夫(やまなあやお:1897-1980)がやがて杉浦の後継で図案科主任となり、多摩美は多数の広告クリエイターを輩出、昭和~平成の爛熟する世相を彩った(ヘッダー画像=東京地下鉄道株式会社の上野浅草間開業広告・1927・杉浦)


銀座三越開店・1930・杉浦


杉浦が1930~40年代に手がけた煙草パッケージデザイン


資生堂化粧品・1955・山名


快盗ルビイ・1988・和田誠(1957年図案科卒業)


平凡パンチ創刊号・1964・大橋歩(1964年絵画科卒業)


日清焼そばUFO・1994・齋藤和典(CFプランナー・1984年デザイン科卒業)


サントリーモルツ・1995・川口清勝(アートディレクター・1985年デザイン科卒業)
※以上の図版:多摩美術大学創立60周年記念展「広告デザインの誕生から現代まで」1995・図録より


「親しみのある存在としての読者モデル」なのにカリスマを名乗るのおかしくね?
(ゴミ清掃員のアルバイトをしているマシンガンズ滝沢さんに対し)プリングルズの容器の金属部分はやっぱ分別するの?
シロウトが口を出すのが政治

などなど、芸能人としてはわりと民主的な発言をしてきた有吉弘行さんではあるが、ラジオとロンハー以外の彼の番組はひどいものが多いし、ラジオとロンハーでも違和感を覚えることが少なくない。先日のラジオでは、太田プロ所属でほぼ同期の劇団ひとりさん(本名川島)とむかし風俗の朝営業へ行って、女の子が一人しかいないので、有吉さんがサービスを受ける「1時間ほど川島が待ってた」。

いや私も会社を辞めた2003年から4~5年は風俗・キャバクラの類を利用したものですが、そもそもホワイト企業NTTでもやっていけないような、男社会の競争からははみ出して排除されてしまう私が「男社会が女を従属させて商品として共有する」構造に乗っかるべきでないと思うに至り、その後は足を踏み入れていない。じゃあエロ同人を作るのはどうなんだといわれたら返す言葉もないが。

そういう私からは『有吉の夏休み』という特番も、まるで芸能界が一つの会社で、幹部の接待旅行みたいな趣きで、受け入れ難い。吉本の闇営業の問題にしても、他の事務所でも横断的に行われており、どうも電通が同業種のライバルだろうと関係なく多数の企業の広告を請け負い、関係者や政治家子弟を縁故採用し、広告主大企業とメディア(テレビ新聞)の双方に睨みを利かせてカネとコネの帝国を築いているさまを連想してしまう。もちろん巨悪なのは電通に決まってますが、芸能人の悪徳やパリピぶりがわれわれに向けたイメージ広告として、巨悪を覆い隠し温存する共犯者かのように思えてしまうわけです—
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