マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

731部隊おぼえ書き③

2022-09-07 15:31:47 | Bibliomania
栗原が配属されたのは、被験者が水だけで何日生きることができるかを、普通の水と蒸留水とで確かめる実験だった。責任者は防研雇員の菅原敏だった。次にやらされたのが大田の下での馬鼻疽や炭疽の病原菌をまんじゅうに入れ、それを被験者に食べさせる実験だった。まんじゅうに大田の指示通りの量の病原菌を入れ、それを食べた被験者がどうなるかを観察することが仕事だった。栗原は「ペストやコレラでは実験でよく死んでいたけど、自分のところは週に1人程度であまり死ななかった」と思っている。

部隊の敷地は600㎡と広大でそこにいくつも建物があり、炭疽やコレラそれにペストなどの研究課題毎に建物が割り当てられていた。各実験・研究棟には廊下をはさんで部屋が並んでおり、そのうちのいくつかには「ロツ」と呼ばれた檻がいくつも置かれ、被験者は2人1組で閉じ込められていた。ロツの広さは6畳ほどで、天井は人が立つと頭が着くかどうかという低さで、端にはトイレが付いていた。

栗原は1934年の戦死事件(↑表参照)を覚えており、これは被験者の脱走によるものだったという。コレラの実験棟から被験者20人近くが世話係の看守2人を殺害し、逃げおおせたのだった。常石は栗原には2回会って話を聞いている。最初は1990年1月13日で秦郁彦拓殖大教授(当時)と一緒だった。2回目が1997年4月4日で、証言をビデオ撮影するためだっ た。1回目のインタビューで一番印象が深かったのが、この話だった。この時には、一度に2人が殺害された、ということしか分からなかった。殺されたのは誰か、年月日あるいは時期がいつかについては「忘れてしまった」ということだった。

それで『陸軍軍医学校五十年史』を調べると、↑表の事実が分かった。2人が同時に亡くなっているのは1934年9月28日だけだった。その結果、栗原が遭遇した脱走事件はこの時であり、犠牲者は中山と大塚であると判断できた。2回目のインタビューでの一番の驚きは脱走事件が起きた時間だった。彼は記憶を取り戻しており、コレラ実験棟の「大塚っていうのがね、これが脳天割られてもう、寝台で即死ですわ……大塚と私、仲良かったからお茶飲みに行ったもんですよ」と話してくれた。さらに脱走した時間について意外な事実を教えてくれた。脱走が分かり栗原たちが非常呼集され、銃を持って追跡を始めたのが3時か4時ころ…タ方。午後逃げられてそれまで気付かなかったんです」。

脱走は真夜中のこととばかり思っていたが、真っ昼間のできごとだった。東郷部隊は昼間に20人近くの人が脱走しても、他の実験棟その他にいた人が誰も気付かない600㎡という広さ、それに地の果てという環境だったことがうかがわれる。栗原は、脱走に気付いたのは、誰か「何か用があって行ったんだと思うんですよ。でなければ分からないと思う」と述べている。 ─(常石敬一/731部隊全史/高文研2022)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 任意の人質 | トップ | 中産階級ハーレム⑲ ─ 音楽市場 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Bibliomania」カテゴリの最新記事