この前に紹介した1976モントリオール五輪には、現・歪面宰相も射撃の選手として出てるらしい。経費のことなど気にせず潤沢に試射できる、金持ちのぼんぼんのお遊び。そんなのもオリンピック競技。というか冬季オリンピックともなるとすべての競技がそんな感じ。だいたい中南米やアフリカでは競技そのものをやりようがない。バイアスロンなんて寒い国の軍人以外にとって何の意味があるのか。また最近では、アスリートとして一人前になる前から広告塔として使い倒されてしまう石川遼のような珍妙な例も出ているが、この時期のオリンピックの建前としてあった厳格なアマチュアリズム。IOCの会長であったブランデージ氏は「アマチュア原理主義」とまで称され、オーストリアのアルペンスキーのエースで札幌大会でも有力視されたカール・シュランツは、軽微な広告規定の違反で大会から締め出されてしまい「悲運の選手」と呼ばれた。その後はどんどん商業化の流れが進み、TV映えのする競技を中心に、種目も増えるいっぽう。冬季大会も商品価値を増すためか、1992年まで夏季大会の同年に行われていたのを、1994年以降は中間年に行うよう改めているが、前みたいにせいぜい夏季大会の前座でいいでしょ。札幌以外の冬季大会を弊ブログであつかう予定は今のところないっす。
開催国の日本はそれまで冬季オリンピックの優勝は誰もいなかったが、今大会のノルディックスキー70m級ジャンプで笠谷幸生、金野昭次、青地清二が1位・2位・3位を独占して面目を保った。
フィギュアスケート女子で3位のジャネット・リン(アメリカ)。規定4位でスタート、フリーでは尻もちをつきながらも1位。失敗しても笑顔を絶やさず演技を続けたことで大会のアイドルに。規定で1位、華やかなフリーでは7位にとどまったベアトリクス・シューバ選手(オーストリア)が優勝。規定の比率を低めて(後に廃止)ショート・プログラムを導入することにつながったとも言われている。
ミュンヘン五輪やメキシコ五輪を特集した日本のグラフ雑誌も入手したんだけど、判型が大きいうえページにまたがった写真が多くてスキャナーにかけられない。そんなところへ札幌五輪をあつかった米LIFE誌も届いたが、こちらは判型が大きいのは一緒でも写真の美しさ、レイアウトのかっこよさが断然光る。上の、垂直に近いようなところを滑ってるリュージュの女子選手とか。
オリンピックも国威発揚の場であったが、この当時は大型のグラフ雑誌も国の豊かさをアピールする場だったみたいね。下の広告のフォード車なんていかにもアメ車。ガソリン食いそう。東側のソ連や北朝鮮も日本語版のグラフ雑誌を作ってて、労働組合の事務室で見た記憶があるが、日本のアサヒグラフとか毎日グラフのレイアウトは新聞報道の延長みたいな感じでLIFEよりは共産圏の雑誌に近い。官僚的というか。「グラフィックデザイン年代記」などでは各国の新聞・雑誌のレイアウトにも時代に沿った新しい提案が見られる。先日、萩尾望都さんの少女マンガのページを丸ごと載せたが、まるで護送船団方式みたいに横並び没個性な新聞・雑誌に比べると、激しい自由競争にさらされてお客さんの心をつかむ新しい試みがたくさん見られるマンガの世界では、市場原理主義が必ずしも合理主義・効率至上にのみつながっていくわけでないこともうかがえる。
開催国の日本はそれまで冬季オリンピックの優勝は誰もいなかったが、今大会のノルディックスキー70m級ジャンプで笠谷幸生、金野昭次、青地清二が1位・2位・3位を独占して面目を保った。
フィギュアスケート女子で3位のジャネット・リン(アメリカ)。規定4位でスタート、フリーでは尻もちをつきながらも1位。失敗しても笑顔を絶やさず演技を続けたことで大会のアイドルに。規定で1位、華やかなフリーでは7位にとどまったベアトリクス・シューバ選手(オーストリア)が優勝。規定の比率を低めて(後に廃止)ショート・プログラムを導入することにつながったとも言われている。
ミュンヘン五輪やメキシコ五輪を特集した日本のグラフ雑誌も入手したんだけど、判型が大きいうえページにまたがった写真が多くてスキャナーにかけられない。そんなところへ札幌五輪をあつかった米LIFE誌も届いたが、こちらは判型が大きいのは一緒でも写真の美しさ、レイアウトのかっこよさが断然光る。上の、垂直に近いようなところを滑ってるリュージュの女子選手とか。
オリンピックも国威発揚の場であったが、この当時は大型のグラフ雑誌も国の豊かさをアピールする場だったみたいね。下の広告のフォード車なんていかにもアメ車。ガソリン食いそう。東側のソ連や北朝鮮も日本語版のグラフ雑誌を作ってて、労働組合の事務室で見た記憶があるが、日本のアサヒグラフとか毎日グラフのレイアウトは新聞報道の延長みたいな感じでLIFEよりは共産圏の雑誌に近い。官僚的というか。「グラフィックデザイン年代記」などでは各国の新聞・雑誌のレイアウトにも時代に沿った新しい提案が見られる。先日、萩尾望都さんの少女マンガのページを丸ごと載せたが、まるで護送船団方式みたいに横並び没個性な新聞・雑誌に比べると、激しい自由競争にさらされてお客さんの心をつかむ新しい試みがたくさん見られるマンガの世界では、市場原理主義が必ずしも合理主義・効率至上にのみつながっていくわけでないこともうかがえる。