無意識日記
宇多田光 word:i_
 



あ、ほんとだ。今朝のエントリーをみるとまるで福原愛が父の死を5年間ひた隠しに隠していたように読めるな。勿論そんな迷宮入りの殺人事件みたいな事はなく、彼女が父と絶縁したのが5年前、彼が亡くなったのが今月6日、それをマスコミに伝えたのが昨日の16日、という流れである。婉曲表現に凝りすぎて書いてる方が混乱したパターンだな…誤解した方がいらしたら申し訳無い。私が寝ぼけていただけである。

そう、いつも日記を書いている時は眠い。後から振り返っても「書いてる最中に5回は寝落ちしてたのにちゃんと纏まってて凄いな」と思う事多々あり。無論「しっちゃかめっちゃかだな」と感じる事はもっと多いんだけども。我ながら大したもんだ。これだけの量を書いてると、過去ログを読むだけでも相当の時間を使うんだが、取り敢えず読み返してみて「ほほー」と思える事が多いので、当分は続くでしょうなこれは。自分で何書いたかよく覚えていないのも、悪い事じゃあない。

ところでところてん。本日からUtada HikaruのホムペのURLがhttp://www.utadahikaru.jp に変更になった。本家のメルマガよりファンからのメルマガの方が半日も早いってそれでいいのか梶望、と突っ込みたくなったが今回はそれはまぁいいや。送る時間帯を考えて送ってる人だし、何か意図があったのだろう。何しろ、本来なら変えた瞬間におしらせできる筈なのだから。

http://utadahikaru.jpも取得しているようだがすぐにwwwの方に飛ばされる。携帯版も用意してくれていてほっと胸を撫で下ろす(だから実際は撫で下ろしてな//)。そろそろ世の中スマホ版タブレット/PC版しか用意されなくなっていく気がしてたので超ガラケー族としては嬉しい限り。いつまで維持してくれるかはわからないが、メッセが携帯で読めると知った時は非常に感動した事を覚えている。まだ当時は家にPCがなかったのだ。懐かしい。そういう思い出と共にあるので、Hikki's Website の携帯版には思い入れが強いのだ私。尤も、確か2001年の元旦からか何かだったんだよね…今はもう【祝・開通ぅぅぅぅ!!!】から全部読めるみたいだけど。てことはこれ完全に「線」の電子書籍版だな。本末転倒な物言いだけどさ。

URLの変遷ひとつとってもそこには歴史があり思い出があり思い入れがある。手書きのURLを渡し合ったりQRコードの便利さにびっくりしたり、短い(といっても15年近くなるんだが)間に随分と様変わりしたものだ。メッセのURLもU3MUSICに引っ越ししたりしたので昔貼ったリンクは今や機能しない。長年ファンサイトやってる方としたらたまったもんじゃないが(いや貼り直し作業なんかやってないから言いがかりなんだけどねw)、遂にこれでURL変更も終わりかな。今後結婚したとしても前回のように芸名はそのままだろうから…これは、"宇多田ヒカル"の、そして"Utada Hikaru"のURLとなるのだろう。またこれからこのURLと共に思い出を作り思い入れを深めていくかと思うと今から感慨深い。相変わらず気ぃ早過ぎやおまえ。

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昨日各社に配信されたという「福原愛の父逝去」の報は、当然ながら私も知らなかった。選手には興味はあってもその家族までは…とは思っているが、現実として身内が競技に深く関わっているケースは珍しくない。石川佳純のベンチコーチも長らく石川母である。そんな中で5年も前の話がここまで漏れなかったのは異様だが、何か知られざる事情があるのだろう、それを詮索する気はない。

有名人になると家族親族との関わり合いは難しい、とありきたりな一般論から口火を切ってみよう。福原愛は、3歳の頃からマスメディアと付き合ってきていて、ほぼ途切れなく応対を続けている。従って、競技もベテランだがマスコミ対応もベテランだ。常日頃から学べる所は非常に多い。

今回の報も、5年間隠し通せたというのは、何らかの"やり方"があったに相違ない。少なくとも"公表しない"という選択はなされた。何もかも報せる事がベターではない。また、こうやって自発的にソースを発信する、というのも重要だ。尤も、多くの場合はどこかしらにリーク記事が掲載されるかもしれないという事前情報をキャッチしてそこで先手を取る必要が出た、というのが事情だったりするのだが。

そう、先手。今回の宇多田家周辺の親族(といっても登場人物1人だけど)への対応で何かまずかった点があるとするならそちらだろうか。彼がマスメディアを利用する事が事前に予測出来たのなら、先にこちらが事実関係を整理したリリースをマスコミに発信するのもよかったかもしれない。そうすればこんなに食いつかれる事もなかったかな。

勿論、現実には精神的にも物理的にも無理だっただろう。何の前触れもない死に直面して最初にややこしい親戚の話にアタマを回せる人など居ない。何より、事前にどんな嘘をマスコミに対して吹き込むかなんて予想がつかない。メッセージがざねっちの書いたものだとか…流石に斜め下過ぎてその発想は思い浮かばないわ。従って、やっぱりどれだけうまく立ち振る舞おうともこんな感じになっていただろうな。

それにしてもこのタイミングでラジオとはタイミングがよかった。記事も昨日今日に限ってはラジオの話が中心となるだろう。今私が持ち出すまでこの話自体忘れていた向きも多かったのではないか。やはり、情報の先手感は何にも増して重要である。それを痛感した1日だった。

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