無意識日記
宇多田光 word:i_
 



一週間後には熊淡のオンエアだというのにこのBlogでは一向にラジオの話が進まない。何故かをよくよく考えてみたら、私、今は余計な事を言いたくないみたいだ。

次の放送がどんなものになるか、勿論興味がない訳ではない、どころかそこにしか興味がない(世の中で他に何が起こっていようがどうでもいい)とすら言えるのだが、今回に限っては放送されたものをただ受け入れるだけだから、特に予測や期待や妄想を準備する必要がない。欲しいのは、聴いた後の解釈だけだ。

ならば過去4回の放送を復習しようといつものようにアーカイブスを聴き直してみると―そこには未来を知らないHikaruが居る。これから母を喪う事になるとは知らないHikaruが。それが、何ともいたたまれない。

まるで、2013年8月22日を境に、世界が変わってしまったかのようだ。何か、間違った世界に足を踏み入れてしまった感覚すらある。しかし、我々の人生は最早こちらにしかないのだから、ここを歩くのみである。時間の上は引き返せない。いつものように、賽子の出た目に合わせて動くだけ。人は生きて死んでいくのだ。

Hikaruは今感情に蓋をしている状態だ。少しでも緩めると溢れ出す。本来、出る時に出す方がいいのだが、それに耐えられるかどうか。もう、どこにも急ぐ必要は転がっていないのだ。その感情とは、ゆっくり対峙していけばいい。

しかし音楽は。音楽は、人に感情を思い出させる。特に、心が音で出来ている我々は、古い音楽も新しい音楽も知ってる曲も知らない歌も何もかもが懐かしい。いい曲を聴けば聴く程感情が暴れ出す。折角無感情を押し通そうとしているのに音楽は。音楽は、寝ている子を起こすのだ。出来れば子守歌でも聴いてもう一度眠りに就いて欲しいのだが。

ラジオは、だから、今のHikaruには酷である。でも前に言ったように、人間活動を遂行中の身なのだから、その主義に則るのなら、やはり今回の放送は飛ばす訳にはいかない。忌明け後なんだし、人と約束した仕事はしなくては。

それに、番組のライトファンが離れる可能性が出てくる。ただでさえ、月イチで思い出してもらい難いのに、このままでは2ヶ月に1回という感じになってくる。ちょっと、違うかもしれない。

勿論私は、Hikaruが辛いんであれば存分に休めばいいとは思っている。ただそうなると、"人間活動"という看板はそっと下ろさないといけないかな、とは思う。

ミュージシャンは普通の人より感情が激しい。それを瞬発力として創作をするのだから、殊更エモーショナルな出来事があった時は、人よりも回復に時間がかかったりする。その空気を察してか、不幸に遭ったミュージシャンが長い長い休暇に入るのをファンはじっと見守り、ずっと待っている。

でも普通の勤め人は一週間か10日もすれば元通りに働き出す。それが"人間"の方の常識だ。それをHikaruがどう捉えているかである。


つまり私は、人間活動という看板を撤回しても構わないと思っている。今までのHikaruの活動の意義がなくなる訳では全く以てないのだし。

泣いたって何も変わらないって…

ラジオの一回や二回、という気持ちもあるのだが、何だかずっと不登校だった子が新学期にやっと登校してみようかと思った、みたいな状況が頭に浮かぶ。それなら始業式に出ないと、また行きづらくなっちゃうよ~、って。周囲は言うほど気にしてないのだが、本人の気持ちの動きはそうではない。内容はどうであれ、声を出して録音しておけばそれで何とかなる。そんな気持ち。こうやって駄文を連ねている間に、納品報告のツイートが来てはないですかね。

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音楽家Hikaruはマイクロフォンなしでは生きていけない存在である。歌唱法は根本的にマイク有りが前提となったものだ。小さい頃からスタジオで宿題をしていたような身にとっては、それは自然な事なのだろう。

歌だけではない。ラジオも勿論、マイクの存在無しには成立し得ないメディアである。Hikaruはレコードデビューする前の1998年10月からラジオDJとして仕事をスタートさせており、ミュージシャンとしてよりDJ/パーソナリティとしてのスタートの方が早いのだ、というエピソードはKuma Power Hour開始時に語られていたので皆さん御存知かと思われる。

折しも、今日10月8日はそのHikki DJスタートからちょうど15年経った日で…と書こうと思って1998年10月8日の曜日を調べてみたら木曜日だった。InterFM「Hikki's Sweet&Sour」もNorth Wave/Cross FM「Warning : Hikki Attack」も日曜夜の番組の筈なのに…。途中で放送曜日が変わったのか、それとも単にどこかで日付が間違っているのか。謎である。それにしても15年間誰もBiographyの記述に突っ込まなかったというのは、どこかで整合がとれているかもしれないな。どちらにせよ些細な問題なので構わないんだが。

という訳でマイクロフォンありきのHikkiが、まずはラジオのマイクの前に戻ってきた、というのが今年のKuma Power Hourの目玉である。自分はラジオを聴かないのに、テレビよりラジオの方が好きと公言してしまうのは、単にカメラに慣れていなくてマイクには慣れている、という事なのかもしれない。さいたまもNYもカメラの入ってる日に限ってツアー中いちばん調子が悪い、という…。いやWILD LIFEなんかストリーミングで全世界に生中継だったけどあの出来だったんだから単なる巡り合わせなのかもしれないけれど、そう勘ぐりたくなるほどHikaruは「マイクの人」なのである。

それと同時に、編集(エディット)の人でもある。今回のKuma Power Hourは、Hikaru自らが編集を手掛けている点が大きい。基本的に、"LIVE/ナマ"よりこっちの"EDIT/編集"の方が向いている人なのだ。だからマイクで録音したものを編集しているのが性に合っている。

編集とは、文章でいえば推敲の事だ。自分で為した事を再確認し批判を加え再検討しながら、徐々によりよいものに仕上げていく過程。こちらが本質ならば、生演奏や生トークなどは、向いてないとは思わないけれど、あんまりHikaruの本分ではないのかなと思わされる。それは恐らく、上記の通り、作品を文章のように、文字に書いたもののように捉えているからではないか…という話からまた次回。

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