無意識日記
宇多田光 word:i_
 



毎度ながらどこから書き始めたらいいかわからないのでディテールの話から行こうか。

えぇっと、正式な特集名は『有名アーティストの、代表曲じゃないけど私がいちばん好きな曲特集』だそうな。録音聞いて確認したからこれで大体正確だろう。しかしなんとなく歯切れが悪いというか腑に落ちない名前である。何がいけないか。

これは、意味が一意に定まらない。二通りの解釈が出来てしまう。

ひとつは、

・有名アーティストの有名な曲は勿論好きなんだけど、あんまり有名じゃないものの中でも私が好きな曲は沢山あって、更にその中でも私がいちばん好きな曲

という解釈。最初にタイトルを聴いてなんとなぁく頭に思い浮かべるのはこっちだろう。しかし、厳密に言えば、次の解釈の方が"より整合性が高い"。

・私のいちばん好きな曲が代表曲じゃないアーティスト特集

つまり、エルトンやプリンスやスティングは、それぞれのアーティストの楽曲群に於いて私がいちばん好きな曲が世間で言う代表曲にあてはまらなかった、だから今回取り上げたけど、クイーンだったらボヘミアン・ラプソディがいちばんだし尾崎豊だったらI Love Youがいいしポリスだったらロクサーヌが好きだから、つまり彼らの場合は私のいちばん好きな曲は世間で言う所の代表曲だから今回の特集では取り上げられない、という感じになる。なんか文字にするとややこしいが、言ってる事はシンプルなのでもう一回読み返してみてください。

(なお、ホントにボヘミアンラプソディやI Love Youやロクサーヌがいちばん好きな曲かどうかは知りません。単に仮の例として出してみただけだからお間違え無きよう)

さて、どちらの意味で今回Hikaruが特集を組んだのかといえば、前者の意味だとすればなんかそうでもない、特にThe Beatlesなんかは「あらゆる有名曲をさしおいてなおこれがNo.1」なニュアンスで語っているし、エルトンも調べてみたら全然マイナーじゃなかったと言ってるからにはそこを変えられなかった訳でやっぱり後者の意味で特集を組んでいるようにも思えるが、本当に後者の意味で自覚的に特集を組むとすれば私が書いたように「~なアーティスト特集」と言った方が収まりがいい。どうにも、どちらの意味だと解釈しても歯切れが悪い。Hikaruも、もしかしたらあんまり考えてなかったのかもしれない。

しかし、そんな事は重要ではないのだ。今回大事だったのは、番組全体で「ひっそり感」「片隅感」を出して、厳かにしとやかに静かにそれとなく追悼ムードを出す事なのだから。いや、正確にいえば「いまのHikaruの気持ちがそのまま出るように」、なんだけど。兎に角、その空気を出す為には「隠れた名曲」特集をやるのがいちばんだった、それだけの事である。細かい論理的な話なんぞしなくていいのだ。エントリーまるまる全否定して締めるって新しいな。ま、いっか。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




いやまぁ四十九日も過ぎてるんだしそんな無茶なスケジュールでもなかったので約束していた1時間枠の番組制作をこなしたというだけで何ら特別な事でもないんだがやっぱり心境的には特別感が強いので、なんというか、いやま無事に何もなく放送されてよかったなとホッと胸を撫で下ろす次第。こう書いた時に実際に胸を撫で下ろした試しは全く無いんだが。

さて内容だが。正確には何つってたっけ、忘れちゃったけど結果的には「メジャーなアーティストのマイナーな名曲」特集になってたかな。しかし、それは表向きのテーマで、要は今のHikaruの気分にそぐう曲調の曲ばかりが選曲されていた印象。その為、ジャンルはいつも通り多様ながらいつもと比較して随分と統一感のある番組となった。極端に言えば、DJは冒頭だけ登場してあと1時間シームレスで曲だけ流しても違和感がなさそうだ。トーク部分というのは意外に重要で、例えばいつもの番組をHikaruの喋りなしに聴いたら結構唐突な展開が連続するだろう。しかし今回は違う。こういう流れだというのが音だけでしっかり出来ている。311の際ラジオ局がシリアスな曲だけをひたすら流し続けていた事があったが、その時の空気を彷彿とさせる。

Hikaru自身は「何曲か死を扱った歌があるけれど意図した訳じゃない。たまたまそうなっただけ。」と言うが、Hikaruの場合"意図"にどれだけ意味があるのかよくわからない。(そういう先入観があるから聞き間違えて逆の意味にとってしまったんだが≦俺) 果たして結局、これだけ番組が"追悼"の色合いに染まってしまったのだから、今のHikaruの気分はまだまだ"追悼"なのだろう。まだまだっつったって割合が減るだけで追悼の気持ちはずっと続いていくんだけどね。

意図していない、というポイントが効いてくるのは、そういう無意識のプロセスを経る事で今のHikaruの気持ちを炙り出せる事、それは即ち、表現が"素直"である事を保証する。もし先に追悼を意図していればそのコンセプトに引っ張られる。縛られる。それを避ける為には敢えてその縛りを設けない事が肝要になるのだ。その結果が今回の選曲であるのならば、Hikaruの癒やしのプロセスは、まだまだ始まったばかりといえるだろう。ゆっくりぼちぼち、いきますか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )