無意識日記
宇多田光 word:i_
 



熊淡の最大の関心事は、「いつまで続くのか」という点である事に異論を挟む余地は少ないだろう。いつまでやってくれるんだろうねホント。月イチなんだから、復帰後も気軽に録音しては送りつけ、録音しては送りつけを繰り返してくれればいいのに。

しかし、前回指摘した通り、この番組でのHikaruのスタンスは「いち音楽ファン、いちリスナー」としての立ち位置により近い。皮肉な話だが、本格的に創作活動に突入した場合、あんまりこの番組モードに戻ってこれないんじゃあないかとついつい思ってしまう。人間活動中だからこそ取り得るスタンス―そう考えてしまって、なんだか寂しい。

実際、ラジオのDJ・パーソナリティという仕事は、Hikaruの中でどこらへんを占めているのかというのはちょっとわからない。トレビアン・ボヘミアンの頃は、変な言い方になるがアイドル扱いだった。宇多田ヒカルという人に人が集まっていただけだったから、何でもよかったのだ。(一生懸命番組を作ってくれていたヒカルをはじめとしたスタッフの皆さんには大変失礼な言い方になってしまうけれども)

今はそういう事もない。ゴシップに人は群がるが、それはつまりHikaruを人間扱いしていないという事なので(でなければ霊柩車の前に立ちはだかるだなんてそうそう出来る事ではない)、あんまり考慮に入れなくていいだろう。

細々とだが、しかし、もしかしたらInterFMを通じて、Hikaruと同じ音楽の趣味の人がどこかに見つかっていくかもしれない、という期待は常にそこはかとなくある。それは、実は貴重である。作るものと聴くものが同じ方向性の人であれば、その人のディスクジョッキーぶりはその人の作る作品のファンの人たちにとって非常に感性に見合ったものとなるだろうが、Hikaruのようにそれがズレている場合、作詞家宇多田ヒカル、作曲家宇多田ヒカル、歌手宇多田ヒカルのそれぞれのファンが期待して周波数を合わせてきても必ずしも感性と合致するとは限らない。それよりも寧ろ、「宇多田ヒカルの歌はあんまり好みじゃないけれど、彼女がラジオで掛ける曲は凄く自分の趣味に合ってて好き」という人が出てくる事を祈りたい。

更に言えば、そういうリスナーを一定数獲得してしまったら、この番組は結構末永く続いちゃうんじゃないかという予感すらする。ちょっと面白いじゃないか、歌手宇多田に興味なし、DJ宇多田に興味あり。誰かどこかに居ませんか。


ただ、現実を鑑みると、それは非常に難しく思ったりもする。Hikaruのように音楽を聴く人間は、日本には少ない。いや、世界のどこの国でも、日本ほどではないにせよ、なかなか居ないタイプな気がしている。だから、そういうリスナーからお便りが来たら、Hikaruは是非大切にして欲しい。極端な話、個人的に連絡をとるべきだと思う。生涯にわたって友人となり得るような人間は、この惑星に人口がたとえ70億人居ようとも、なかなか見つかるもんでもない。誰々のコンサートに行きたい!と思った時に、いつでも、"付き合いじゃなく心の底から喜んで"ついてきてくれる、或いは引っ張っていってくれるような友だち。Hikaruに居たらいいのになぁ。Hikaruに出来たらいいのになぁ。もう既にそういう友人がHikaruに居るのであればもう言う事はないのだが、しかし、その友だちはHikaruから『今度私ツアーやるから観に来てよ』と言われても「ううん、興味ないから。」と断るのだろうか。面白過ぎる。そして何て贅沢な奴だ。
なんか、そして、嬉しいな、喜ばしいな。想像しただけで。



何だか我々に関係のない話だが、Utada HikaruがDJをやるという時の特殊性を突き詰めるとこんな風に話が変な方向に広がる。本人におきましては、難しい事を考えず、リラックスして好きな曲選曲して楽しく前向きにラジオ収録と編集を執り行って欲しいものでつ。

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作る曲と聴く曲、更に歌う曲でそれぞれ志向・嗜好が異なるのはHikaruも最初から自覚している事で、今更こちらが言う事ではないのだが、こうしてラジオという媒体での活動が新たに(あらためて)加わる事で、リスナーとしては少々バランスが変わる。

世の中にはその人が自身のいちばんのファン、という人も居る。あれだけ多忙の中帰宅して自分の出演番組の録画を観て自画自賛する明石家さんまなどはわかりやすい例だが、Hikaruはそうではない。リラックスしたい時は、それこそスティングやブルース・スプリングスティーンの曲を聴いたりするだろう。そして、ラジオで流れるのはそういう曲である。さんまがラジオではないけれどお勧めのテレビ番組を紹介する番組をやったら自分の出演番組を推すだろうが、Hikaruはやっと最後に自分の歌を流して2番が終わらないうちにフェイドアウトである。

しかしお陰で、僕らはリスナー・宇多田ヒカルを知る事が出来る。作曲家としての側面もちらちら垣間見せてはいるものの、基本は音楽の消費者としての態度である。この場合、何故彼女のラジオを聴こうと思ったのか、個々の理由の差異を訊いて印象がどう変わったかちょっと教えて欲しいかなと思ったりもする。

ここを読んでるような人は「宇多田ヒカルとつけば何でも」という姿勢の人が多いだろうから、わざわざコンポーザーだからリスナーだからという区別もする必要がなく、ありのまんまを喰らい尽くせばいいだけなので難しく考える必要はない。しかし、彼女の創造する音楽にのみ注目している人にとっては「リスナー・Utada Hikaru」は違う人である。そのギャップに慣れれば、ラジオも素直に楽しむ事が出来るだろう。

しかし、いちばん大きなギャップを感じるのは、彼女の人柄に惹かれてここに居る向きかもしれない。そもそも音楽番組というだけでそんなに居心地がよくないのに、その上大半が洋楽で英語の歌とあっては、どうにもどうやらとっつきにくい。それでもヒカルちゃんが楽しそうに喋っているからいいかなぁ、と納得できればかなりの上級者だが、そう考えるとやっぱり日々の何気ない呟きは大事だろうな、と思う。ラジオとTwitterと、両輪をぼちぼち回していく事が、人間活動中の最大限のサービスとなる。今思えば、期間限定予定だったんだよなぁ…有り難い話やでホンマ…。

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