無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今日は昔体育の日だった日だ。東京五輪49周年。祝日はみんなハッピーマンデーに移行しちゃったなぁ。

例によって、七年後の東京五輪の開会式に出て欲しいミュージシャンの話題が出ている。昨年のロンドン五輪はポール・マッカートニー御大まで担ぎ出してきたんだから日本でも、という事なのかもしれないがちょっと待て。イギリスという国はロックというジャンルを生み支えてきたのだから音楽家を新旧取り混ぜて披露すれば様になるが、日本はそうはいかない。サザンもB'zもミスチルもユーミンもドリカムもあゆもみんなみんな基本的には日本国内でしか人気がない。開会式の会場に来た人たちは彼らが出てくれば楽しいだろうが、全世界への生中継という意味では甚だ心許ない。というか「何これ?」と思われてチャンネルを変えられるだろうなぁ。坂本九が生きてればまだ違ってたかもだが、生きてたとしても何歳だよ。いや、それはおいても勿体無い事をした…。

もしかしたら、現状から推察するに七年後の開会式のステージで演奏していちばん人気が高いのはDir en greyになるんじゃ…大丈夫か。ポップ・アーティストに限らなければ居なくはないか。小澤征爾とか久石譲、最近では管野洋子も知名度を上げている。七年後にはもっと、という期待も掛けられよう。

しかし、やはりいちばん有り得るのは七年後にUtada Hikaruが全世界でブレイクしている事だ。10年間一切ブレずに私は言い切り続けているが、Hikaruが英米のチャートでNo.1を取っても私は全く驚かない。音楽的実力から考えればただの当たり前であって、どんな状況であれ「やっとかよ」という感想しか出てこないだろう。こればっかりはファンの欲目ではなく客観的事実である。しかし今それを言っても単なる負け惜しみだろうなぁ。

という訳で、もし次の七年でHikaruが地球規模でブレイクしてしまった場合は、東京五輪の開会式で歌って欲しいという機運が高まるだろう。そうなったら嬉しいね。いや、出て欲しいという意味ではなくて、そういう空気が出来ていたら、扁桃腺をまた痛めるまでになった「This Is The One」の頃のHikaruの努力が報われる事になるなぁ、と。それを想像したら何だか嬉しくなってしまった。努力の成功体験って、本当に大切だからね。そうなるといいね、ヒカル。

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UTADAの活動の何が羨ましかったかってファンとの距離感の違いだろう。いきなり売れてしまった宇多田ヒカル様は奥に隠されて直接触れ合う機会なんてなかった。UTADAの方はそんなこともなく…というのは言い過ぎだが、中止や延期になったものも含め所謂日本で言う"インストア・イベント"なるものが繰り広げられた事は、日本のファンから羨望の眼差しで…ってそれ自体あんまり把握されてないような気もしなくもないが。

お陰でわかったのは、本人が案外サインするのは嫌じゃない、寧ろ嬉しい位だという事だ。日本だとそんなことしようもんならキリがない、と止められていたらしいが、Hikaruは満更でもなかったらしい。まぁ確かに二万通を超えるぬりえ総てに目を通す根性の持ち主なので、「くまー」と挨拶して色紙を出せば喜んでサインしてくれそうではある。色紙の端っこにスーパークマンズのイラストなんかをちょこっと書いておけばばっちり食いついてくれるだろう。あんまり上手く掻きすぎると「この色紙くれない?」と訊かれてしまうだろうな。なんちゅう本末転倒。でもそうなったらそれはそれで。

そういう、"極普通の"アーティスト活動が出来ていたのが「This Is The One」の頃で、地道な取材、テレビラジオ出演、上記のようなイベント開催、Webでのコンテストなど、非常に順調な活動の延長線上というか集大成だったのがツアー「In The Flesh 2010」だった。同ツアーでは、ファンのテンションが非常に高かった事も話題になったが、英米欧のファン気質に加えて、こういった地に足のついた活動の成果が出た結果だった、という事もいえるのかもしれない。足で稼いだファン層はやはり体質が違い、物見遊山は少なく、非常に熱心だ。日本では、地上波テレビのような巨大メディアに依拠した売れ方もした為、結局そういった「足腰の弱さ」が見え隠れするようになったかと思う。出来れば、名義がUtada Hikaruとなった今後は、日本以外のみならず日本でも、気軽にサインに応じて貰えるような活動を期待したいもんだが、うーん、流石にそれは無理なのかなぁ。ソフトが売れなくなっても、一度栄華を極めた名声は消える事がないのだから…


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