無意識日記
宇多田光 word:i_
 



大人が音楽を消費しない、のはあクマで「超マス」からみた視点である。細かいジャンルのマニアたちを眺めれば、依然日本は音楽大国であるといえる。前回述べたように、スポーツ観戦や映画鑑賞といった娯楽に較べて影が薄いという話だ。地上波テレビのゴールデンタイムに野球中継や映画が流れることはまだまだあるが(野球は減ったみたいだけどね、きっとサンテレビは局が潰れるまでやめないだろう)、誰かのコンサートを2時間生中継することはない。何十というミュージシャンとアイドルを集めてやっと対抗しているという感じだ。それですら、タモリやダウンタウンやとんねるずといったお笑いのトップの人達の助力が要った。そしてそういう時代も終わりつつある。テレビを見るのは今や大人というか年寄りなので、テレビの視聴率というのはこれからどんどん「年寄りの趣味の反映」となっていく。高齢化社会なんだから当たり前なんだけど。

なんか話が逸れてるな。要は、邦楽の問題点はその細分化にあるといえる。プロ野球なら12球団から選べばよいが、ミュージシャンはなかなか誰を選べばよいか難しい。例外的だったのが90年代中期~後期で、あの時期はかなりの年代の人間が「今週は誰のCDを買おうか」というノリを持ちつつあった。その流れの中で、リーサル・ウェポンが宇多田ヒカル、だった筈なのだが…。

邦楽の"凋落"の理由は明らかで、単に業界がインターネットフレンドリーになろうとしなかったからだが(これは日本に限らないが、日本は特に酷かった)、結局この業界は80年代のアイドル重視路線へと回帰した。ある意味、ヒカルはデビューのタイミングが最悪だったのかもしれない。

00年代においても勢いを失わなかったベテランは皆LIVEが強かったが、ヒカルはその意味で支持の"足腰"が弱かった。ソングライター/プロデューサーにそれを求めるのは酷なのだが、過去に松任谷由実という化け物がLIVEとアルバム制作のサイクルを一年周期で成し遂げJ-pop市場を切り開いた歴史があるから、ヒカルはそれに較べればやや物足りない。

あれ、何の話だっけ。ただの復習だなこれじゃ。

ポイントは、そう、時代と世代のサイクルである。レコード&カセットテープからCD&カラオケ、そして次はインターネット…という時期にデビューした事と、15年という月日による世代交代を考えると、ヒカルのファンがほんの数千~数万人しか居ないとしても不思議ではないが、問題は、デビュー時に老若男女を魅了したのなら、当時から大人だった今の大人はなぜヒカルの音楽を買わなくなったのだろう? つまり、何故あんな売れ方をしたのにファン層が世代"交代"なんぞするのか。勿論、入ってくるより出て行く方が多いから正味では減るのだが、10代20代はその時代の旬を追い掛けるから仕方ないとして、今30代以上(つまりヒカルより上の世代)は何をしているのやら。

前回述べたように、既婚者なり何なりの音楽消費習慣を根付かせるキッカケとなり得る数少ないミュージシャンのうちの1人が宇多田ヒカルである事は間違いがない。アイドル勢の活躍は素晴らしいが、そもそも歌が下手な奴らばかりという根本的な問題があり、それは本当に難しい。プロ野球選手は野球が上手いのだが、プロ歌手は歌が下手なのである。ヒカルは世界の何処に出しても一流の歌唱力がある。それが底支えになっている点は、忘れがちだが見逃してはならない。

スパゲティのようにこんがらがった問題を、どう考えるべきか。次は全く違った方向からアプローチしてみたいと思う。熊淡が遠いぜ。

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今や"Utada"人気に限れば日本より海外の方が層が厚いのでは、というのが前回の話だったが、これは現在の日本市場の構造的、ひょっとしたら根本的な問題から来ているのかもしれない。

日本では大人が音楽を消費する習慣に乏しい。特に子育てに入ると激減する。

アメリカのビルボードチャートを見ると、全体の枚数は昔に較べて激減しているものの、上位にランクインするアーティストのバランスは余り変わらない。どういう事かといえば、明らかに「あぁ、これはおっさんおばはんが聴いてるんやな」というアーティストが幾らも居る、という事だ。全体のパイは変化したかもしれないが、あの国ではトシをとったから、家族が出来たからといって音楽を消費するのを止めてしまうという事が(日本に較べて)少ないのである。従って、60代70代のアーティストがチャート上で10代20代のこどもたちと張り合う事が出来る。ツアーともなればベテランの方が基本的には強い訳だから、あっさり言ってしまえば音楽に年代が関係ないのである。

日本は違う。特に、"市場全体"を支えているのは10代20代の熱心である。それ以上の年代に支持されるアーティストというのはもう一人々々、いちグループずつにファンが分離していて、忠誠心のあるマニアのみが支援する形になっているケースが多い。アホらしい言い方になるが、邦楽というのは常に青春の爆発力に依存して維持されてきたともいえる。男女問わずアイドルに人気が集中するのはこのためである。

この、既婚と未婚で文化が断絶する現象は何も音楽に限った事ではない、、、と言いたくなる所だが、いやこれが音楽に限った事なんだよね。若い頃から野球ファンの人が結婚すると家族ぐるみでスタジアムに応援に行くし、いや寧ろ家族が出来たからみんなで野球でも見に行くか、となる。映画館通いもそうだし、漫画やアニメはまだまだ歴史が浅いからわかりにくいが今やこどもも大人も関係なく消費する大衆文化となっている。確かに結婚すればマニアックな追求はしにくくなるが、日頃の週末の楽しみの中にスポーツ観戦や映画館通いに較べて、音楽の消費はかなり少ないと言っていいのではないか。


その文化を変えるかにみえたのが宇多田ヒカルだった…みたいな話をしようとしているのだが、続きをこれから書くかどうかは筆者の気分次第。熊淡の前フリのつもりで今週書き始めてるのだが案の定道草が本道になりつつあるな。まぁ、どっちでもいいか。

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