無意識日記
宇多田光 word:i_
 



結局関西人妻なんちゃらは観なかったという事か。それは別にいい。見たけりゃネットでダウンロード購入すりゃいいんだから。

私が今昼のツイートで「お」と思ったのはやはり『あ!CDだ!』の部分。余りにも何気ないが、あれだけCDを売っておきながらCDを見るとこの人はテンションが上がるのである。そこが肝心だ。

今やCDというのはややノスタルジックな存在になっている。普段CDを買う層ですら、リッピングをした後一度もケースから取り出していないケースが山ほどある筈だ。いやまぁそりゃケースバイケースだけれども。

少なくとも2年前の光にとっては「CD」はテンションの上がる存在だったのだ。光る円盤を見てそれがCDと思うかDVDと思うかはひとそれぞれだけれども光はCDなんだと思い、それが裏切られた事で落胆した。エロDVDかどうかに関係なくCDであってほしかったのだ。無意識のうちに。そこに音楽が込められているから。

ヒカルが日本盤の帯を捨てると聞いた時、「何を」と思ったものだ。恐らく、アーティスティックな美観を損ねるものだと棄却していたんだろうかな。こちらは、日本では斜陽な洋楽産業界に入り大して儲かりもしない作品群を次々と世に送り出してくれるレコード会社担当氏たちの思い入れの詰まった「帯」というものは、非常に大事だと考えていたし、だからこそどの日本盤を買ってもブックレットに挟み込むようにしてきた。アーティストにとってCDやジャケットが作品であるように、担当氏達にとっては帯もまた彼らの作品である。確かにセンスは足りないかもしれないが、同じ音楽を愛する同志として応援したくなる気持ちが湧き出てきたものだ。今でも新作の帯の叩き文句に触れる度、「お~、頑張れよぉ」とついつい声をかけてしまう。滅多に買わないんだけどね。(←購入は中古盤がメインな人) どないやねん、ですな。

話が逸れた。ヒカルは、やっぱり反射的に、音楽に触れるとなるとテンションが上がるようだ。Wild Life特典映像でみせた美しい音色を奏でるアコースティックギターに対して見せた愛しげな表情、CDというフィジカルにこだわる姿勢。音は抱き締められない。だから何かのモノに込められていて欲しい、そういう風に願っているのかもしれない。どうだろう。拾った円盤がDVDだった時の落胆ぶり、或いは素っ気なさからそんな事を妄想するのは話を広げすぎかな。

しかし、記録音楽が物体を離れていくのは歴史の必然である。この状況に対して、「あ!CDだ!」と言った時のヒカルの心のトキメキをどうまた作り出すか。レコード会社が生き残る道はその先に見つかるかもしれない。

音を、音楽を抱き締める。実際に出来はしない愛情表現方法を実現してくれる新しい"モノ"は、果たして今後登場するのだろうか。たぶん、もうそろそろ無理だと思う。楽器やスピーカーに、その感情を受け止めて貰うようにするしかないか。次の世代にヒカルが「あ!CDだ!」と言った時の心の色を伝えていくのは、なかなかに難しいだろうな。

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@utadahikaru: ケータイの画像フォルダ整理してたら、二年前に道端で拾ったエロDVDの画像が出てきた http://t.co/ZuOQsTne

…このツイートが昨夜最初の僅か7分間で1000RTを突破した。目下累計で2769RT。次々とまとめサイトで取り上げられているからまだもう少しRT数は伸びるだろう。いままででいちばんRTされたツイートはたぶん「くまちゃんの肌触りは世界一」の約5500RTだと思うが、これを上回るかどうかが注目される…

…っていう割に余りにも中身のないツイートだ。その代わりと言ってはなんだが@utadahikaru宛てのリプライには今までに増して面白いものが多い。18禁ネタというのは基本的に「公の場で直接的に語る事が憚られる」話なので、語る方が言葉を選んで時にひとひねり、時に裏返したり逆から突っ込んだりとあれやこれやの創意工夫がみられる。肝心なのは、そういったものであるという認識を読み手が共有している点だろう。

歌詞に18禁な内容をどう織り込むか、作詞家たちは古今東西随分と知恵を絞ってきた。日本では桑田佳祐なんかによる長~い歴史があったりする。彼は随分直接的なスタイルだけどね。ヒカルの場合も、例えばtravelingなんかでそういうテーマ性を盛り込んでいる。18,9の小娘が自らそういった作詞に取り組み自ら歌う…なかなかその若さで、しかも女子でそういった歌詞を書いて歌える人間がなかなか居なかった事から、「ごちそうさまでした」だったのはまさにこちらの方でした。危うく18禁の年齢である。

思うに、作詞家がエロDVDな歌詞を好むのも、"言葉を工夫する事"が常識的な前提として共有されているのが大きいのではないか。作詞家という職業は、どうやったって新しかったり、今までになかったりといった表現を尽くしてしまいたくなるものだが、これを何の前提もなく歌詞で披露してしまうとそればかり先立ってしまってややもすると嫌味たらしく響いてしまう。しかし内容が18禁であればそれが"憚られる"事を利用して「言い方の工夫」を遠慮なく歌詞に盛り込んでいけるのだ。創意工夫を発信するチャンスが、そこには横たわっているのである。

恐らくそれは作詞に限った事ではない。しかしその分析まで始めると話が長くなってしまうので、こちらは引き続きRTとリプライの伸びをみながら、フォロワーさん達の"言葉遊び"の数々を楽しんでおく事にしよう。

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