無意識日記
宇多田光 word:i_
 



SWVの音を聴いてみて、即座にCubic Uのサウンドを思い起こした人も多かろう…って書いてはみたものの、RT数が合わせて400ちょっとでは心もとないというか…多くはないの、かな。どうなんだろう。

昨日の共和国のリツイートによればヒカルからツイートがあった時に偶然SWVを聴いていた人も居たらしい。100万フォロワーの為せる業であろうか、それとも私が思っているよりSWVのファンは日本にも多いのか。15年ぶりの新譜ということだが(てことは4thアルバムになるのだろうか?)、ビルボードでは初登場25位と「お、おう…」な成績である。失敗でもないし大成功でもない、何とも言えないまずまず感。尤も、前回も言ったように私聴いてないので数字だけで話しても仕方ないよね。

話を戻す。実はCubic Uについては無意識日記では取り上げるのを意図的に避けていた。音楽的にどうの、というのではなく「書くネタが尽きた時の為にPreciousはまるごと取っておこう」という6年前からの作戦だったのだ。いやホンマやで。この朝夜連載が始まった時は「40回分位は書くネタあるんだけどその先はどうしよう…」と思っていたのだ。いやいやホンマやって。そういう不安を抱えていたので、兎に角どうしようもなくなるまでCubic Uの話はなるべくしないでとっておこう、いざとなったらPrecious特集組もうと画策してたんだよ。

でもお陰様というべきか何なのか、人間活動に入って以降ですらPrecious特集に入ろうという気配は私の中にはない。ここまで来ればとりあえず年内はEVAQが決着するまでは身動きが取れなさそうだ。特集というのは思考の流れを支配してくれる為、一度始めると、例えば昔のEXODUS歌詞特集のように何ヶ月も脳がそっちにかかりっきりになるのだ。あの時は1曲1週間、各曲平均で10回ずつ位書いてた気がする。なかなかの密度であった。果たしてPrecious特集がそこまでになるかというと難しい所だが、こればっかりは始めてみないとわからなぃ。何といってもこのテのサウンドを解析する為の語彙を私は殆ど持ち合わせていないしな。それでも何か書いちゃうのが芸風なんだけど。

と、こういう風に書き綴っておいて橋桁外しも甚だしいけれど目下の所はCubic U特集が始まる気配はない。総てはEVAQが落ち着いてから。なにしろ、Qのエンディングの後には"更なる次回予告"が待ち受けている筈なのだ。その公開時期によってはまたもヒカルがどれ位関わってるかに焦点があてられ、脳はずっとそっちに向いたまんまだろう。やれやれ、私はいつになったらCubic Uの話が出来るのだ。これから何十年もそこだけポッカリ空いたまんまの方がもしかしたら幸せな人生なのかもしれないけれどさ。

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いきなりSWVの曲歌われてもわからんわいっ。アルファベットの半角フォントには"~"も"♪"もない訳で、文中で歌うんならダブルクォーテーションをつけるなりしないと判別がつかない。最後に"dooo!"と書いてあるので辛うじて歌い上げてるのかな、という感じ。にしても"90年代の"ってわざわざ書いたのは今年の復活アルバムが気に入らなかったりしたのだろうか。あたしゃ聴いてないからわからんわ。

ヒカルが90年代のR&Bにハマったのは10歳過ぎてから、寧ろ日本の学校に通っている頃だったように思う。小学校の頃はBon JoviやらMetallicaやら、或いは父のコレクションと思しきBeatlesやLed Zeppelinを聴いていた、という順序だったような。父は70年にNYでEL&Pを見ているというのだからキャリアが違う。相当コレクションも充実していた事だろう。

という認識に立てば、ヒカルのR&B好きはどれ位NYに根差したものだったのかの見極めが必要になる。日本では90年代のR&Bというのはいまいち浸透しなかったイメージがある。世代でいえばヒップホップ/R&Bと呼ばれていた世代。それはファッションでありカルチャーであった為、地元の人間でないとピンと来ないものだった。90年代の日本では特に中盤、洋楽の売上が好調だったが、日本で売れたR&Bシンガーの皆さんはそのジャンルだからというよりはどちらかといえば「アメリカ発のスーパースター」という扱いだったように思う。まぁいつものことっちゃいつものことだが。

いつものことにとどまらなかったのは、その音楽を踏襲した日本のシンガーのレベルが非常に高かった為だ。98年のMisiaの大ヒットのインパクトは強烈だった。それすら前座として霞ませてしまう程ヒカルの登場は狂気の沙汰だったのだが、裏を返せばヒカルは"やや遅れてきた"歌手でもあった。

何より年齢的に、というより時間的に足りていなかった。98年でもまだ15歳だ。これ以上早くデビューしろったって無理がある。結果的に90年代R&Bの後を追う形になったが、それを"NYからのルーツに根差した"と評するのは上述したように考慮の余地がある。ヒカルは5年生の時、10歳前後で一旦日本の学校に通い始めている。そのあとの詳しい推移がわかればいいのだが。米国でのレコーディングと日本でのレコーディングではその時々で当地に住んでいたと考えるのが自然だが、果たしてどこまでのシャトル生活だったのか。それによってヒカルの"ニューヨーカーぶり"を推し量る必要があるだろう。

とはいっても、SWVを後追いでなくリアルタイムで聴いていたなら話は早い。彼女たちがデビューした頃はヒカルはまだNYの小学校に通っていたはずである。ただ、"R&Bに目覚めた"のが94,95年頃だったという話とは若干ズレる。ラジオで名前位は聴いた事があったけど後から聴き直してみたらハマった、位が現実的な落としどころだと思うがどうだろうかなぁ。

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