無意識日記
宇多田光 word:i_
 



EVAは90年代アニメの象徴のひとつとなると共に、00年代に於いても新劇版でその存在感を知らしめた。そして10年代に入ってその勢いは衰えるどころか増すばかりだ。90年代は、まさかここまでメジャーに社会現象化するとは思ってもみなかった。

そのメジャー化の最たる例が宇多田ヒカルの主題歌起用である。Beautiful Worldを皆が耳にする前の反応の数々は、どメジャー中のどメジャー、ネームバリューはそこらへんの金メダリスト程度ではお話にならない、という(悲しいかなそれが現実である)超弩級の知名度に対する嫌悪感であったと言っていい。日向者が何しにきた、みたいな雰囲気が2007年時点でもまだまだくすぶっていたのは事実である。

勿論ファンは「来たか」と思った訳だ。既にその時点でキングダムハーツ等の実績もあった。あの立ち位置のアニメ映画に主題歌をつけるのは初めてだったが「ヒカルがハズすわけがない」という絶大な信頼を寄せていた。いや、不安感を大きく上回る期待感に包まれていたというべきか。

今や、新劇版によってEVAの知名度も飛躍的に上がり、宇多田ヒカルと較べて名前に威力があるのはどちらかと訊かれれば私でもEVAではないかと答えそうである。単純な知名度だとヒカルだろうが、商業的規模となると(90年代の時点で既にそうだったが更に)大きくEVAが上回っている。私がここでこう言っていいかどうかはわからないが、極論すれば「宇多田ヒカルがEVAの主題歌を歌わせて貰っている」状況ですら、ある。

勿論EVAの関係者は微塵もそんな事は思っていないだろう。旧劇版のテーマソングであった「残酷な天使のテーゼ」は2012年の今でもカラオケの部門別1位を獲得してしまうNo.1アニメソングである。そんな"国歌の次に歌われている"名曲のアトガマを引き受けてくれたばかりかあんな四方八方から大絶賛を浴びる楽曲を作って歌ってくれた相手に感謝こそすれ尊大な態度を取ろうだなんて発想すらない。今回もプロフェッショナルなアティテュードで対応してくれている事だろう。

寧ろ「歌わせてもらってる」といちばん強く感じてきたのはヒカル自身な訳で。今回もオファーがあったとすれば断る道理はない。歌っているに決まっている。

ただ、あれだけ名作と誉れ高き破のテーマ曲はリミックスだった。しかもヒカルは殆ど関わっていない。ここをどう解釈すべきかが難しい。そして今は人間活動中だ。変な言い方だが、断るなら今しかない。幾層もの状況が折り重なって「歌っているに決まっている」という確信を押し潰そうとしてきている。正直、何が何だかさっぱりわからない。

Beautiful Worldは序破のみならず新劇版EVA全体のテーマソングである。この曲の歌詞の全貌を理解するには新劇版がまるごと完結させられねばならない、と私は序の頃から呟いてきた。ここでBeautiful Worldの灯を途切れさせる訳にはいかないのである。僕らは、この曲の本当の美しさを未だ知らないのだから。

いやでもなぁ…(以下無限ループ)

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「魔法少女まどか☆マギカ」を絶賛し、"数百年語り継がれる"とまで言っておきながらこの作品を"10年に1作の傑作"という程度にしか私が言わない、言えないのは何故なのか。20年とか50年でもいいじゃないかと思う所だが、そう言わざるを得ない状況が、そうさせてくれる作品が我々にはある。そう、「新世紀エヴァンゲリオン」だ。今はヱヴァンゲリヲンだが。

EVAの影響力は計り知れない。あの文芸大作映画「涼宮ハルヒの消失」を生んだ涼宮ハルヒシリーズですら、EVAのフォロワーのひとつに過ぎない。ラノベだけど。当のまどか☆マギカも、思春期の主人公がなるならないで逡巡するという物語の基本構造からしてEVAの文脈に則ったものだ。勿論更にその源流は機動戦士ガンダムに遡れ、更にその前は…と続いていくのだが、EVAが物語の原型を形作る記念碑的作品である事は間違いない。この偉大な作品の存在が念頭にあるから、「魔法少女まどか☆マギカ」を"10年に1作"程度にしか形容できないのである。

勿論EVA自身も"数百年語り継がれる"可能性を持った作品なのだ。今の日本のアニメのトップの作品群は伝説的なものばかりである。文豪達の作品が教科書に載るように、彼らの作品もまた歴史に名を刻むだろう。

ただ、まどか☆マギカが恐ろしい完成度を誇るのと異なり、EVAはまだまだ未完成の作品だ。どちらが優れた作品か、なんて議論は両者が生むどでかい感動に比べれば些細な事だが、まどか☆マギカの存在が、アニメファンにとってEVAの新作公開をよりスリリングなものにしている側面も少しばかりあるだろう。今のEVA王者としてだけではなく挑戦者としても評価される立場にあるのだ。

その歴史的作品のエンディングを2回連続で任されているのが宇多田ヒカルである。特にこのEVAという作品では"うた"というものが重要な位置を占めるだけにその役割は非常に重い。大方の予想通りヒカルは3回連続になりそうである。公開1ヶ月前にEVAネイルアートを披露しておきながら今回は関係ありませんでしたでは余りに…まぁそれはそれで面白いか。

シンプルに考えれば、箝口令が敷かれている為おおっぴらには言えないが、"公然の秘密"としてギリギリの所でアピールしている、という風に取るのが自然だろう。これで他の人だったらその人可哀想過ぎるよ。唯一皆が納得するのは旧劇版の復活だろうが、それは作品的には間違っている気がする。挿入歌の中に旧劇版を盛り込み、エンディングは新劇版で、という体裁なら有り得るだろう。いずれにせよここまで引っ張っておいてヒカルの曲が関わっていなかったら詐欺である。また当日まで秘匿かもしれないが、あと1ヶ月、その日が来るのを心待ちにしておこう。

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