無意識日記
宇多田光 word:i_
 



大滝秀治が87歳で亡くなったそうだ。謹んでお悔やみ申し上げる。彼を最初に知ったのはかの有名な「犬神家の一族」で、例に漏れず青沼シズマはトラウマだった。後に、ヒカルも好きなタレントとして名を度々出している赤熱トム、誰だそれは、関根勤がモノマネをしてきた時は「そこを突いてくるか!」と吃驚したものだった。似てる似てない以前にモノマネの題材として革命的な人選だったのである。

どれくらい意外性が高かったかというと。実は、彼のモノマネを始めた当初関根勤は彼の名前を「おおたきしゅうじさん」と呼んでいたのだ。私もそう読むのだとばかり思っていたのでその時点では何ともなかったのだが、後日関根勤が番組内で「"おおたきひでじ"さんとおっしゃるそうです」と訂正を入れたのだ。「そうなんだ~」と思ったが、何が言いたいかというと、もうその時既に一流の芸能人であった関根勤ですら、周りに彼の名前を実際に呼ぶ人に会った事がなかった、更にはテレビで彼の名前を呼ぶ場面にすら出会わなかった、それ位大滝秀治は(当時の)若い世代にとって"銀幕の中でしか見ない","エンドロールで名前の表記を見るだけの"存在だったのである。バラエティーで取り上げられるだなんてそんな発想すらなかったのだ。そんな人を真似た関根勤のセンス。何故彼の事をヒカルが好むのかといえばそこが理由なんだと思う。誰もが目にした事がある(映画「犬神家の一族」の視聴率はとても高かった)ものを拾い上
げて吟味するその姿勢は、メダルチョコから黄色い靴からエロDVDから何でも拾い上げるヒカルのセンスにぴったりである。

…しまった、まくらでちょっとだけ触れてすぐに前回の続きを書くつもりだったのに延々と大滝秀治話を繰り広げてしまった。それでもいつの間にかヒカルの話になっているのは当欄ならではだなぁ。


でだ。インターネット世代はあらゆる情報に当距離でアクセス出来るようになった、という話だ。

図書館で調べものをした経験のある人なら御存知だろう、知りたい事を突き止める為には延々と参考文献を辿っていかなくてはならない。ひとつまたひとつと本と本を繋げていくうちに、やっと知りたい事の全貌が見えてくる。参考文献というのはほぼ必ず今読んでいる本より前に書かれたものなので、参考文献を辿る旅は過去を順々に巡る旅でもある。一本道とは限らないが、やはりひとつひとつ過去を手繰り寄せていくという作業は知識の"流れ"を自らの中に生み出す作業であった。

今は違う。知りたい事を突き止める為にいちばん必要な能力は、如何に適切な検索ワードの組み合わせを見いだせるか、なのである。膨大な情報の海を一瞥に展望してその中のどこらへんに欲するものがあるかを見極める。そこにおいては、あらゆる過去の時点もいつの時代のいつの地域も当価値、当距離、フラットなのだ。勿論、リンクをひとつひとつ辿っていけばそれは参考文献の旅と同様過去への旅となるのだが、それは今の時代"うまいやり方"ではない。全体を一幅の絵画のように見渡してポイントを見極める方法が王道なのである。

…という話だったのだが時間が来てしまったので続きはまた今度。

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50年前の今日、1962年10月5日、The BeatlesがイギリスでLove Me Doをリリースしたんだそうな。即ちデビュー50周年。極論すればロックの歴史が半世紀に及んだ事になる。

"Rock & Roll"という括りで言うのならスタートは1955年と考えるべきだろうし、チャック・ベリーがまだご健在な事を考えると何をどう捉えればいいのやらわからなくなってくるし、ジャンルの名前なんて看板の付け替えの如くコロコロ変わっていくものなのでどうでもいいっちゃどうでもいいのだが、それにしてもThe Beatlesから50年である。この間に登場した商業音楽の多彩さは彼らの存在を抜きにしては考えられない。質・量ともに玉石混淆ながら実に楽しい半世紀であった。

気がついたらポール・マッカートニー御大も70歳、ロンドン五輪でもまだまだ元気な所を見せてくれたが、少しずつ第一線から退いていくかもしれない。尤も、超のつく才能の持ち主って時に何歳になっても元気極まりなかったりするのでそう簡単にはいかないかもしれないが。

The Beatlesの時代に音楽の購入メディアはEPからLPメインになり、ポータブルカセットプレイヤーが登場し、MTVがスタートしてLPがCDになったりMDにならなかったり、iPodの登場で劇的に環境が変わったりインターネットの普及でダウンロードが隆盛になり今日本では違法ファイルをローカル保存すれば云々という時代にまで入ってきた。

音楽自体の方も、ありとあらゆる可能性が出尽くしたようなまだまだなような。歴史を顧みれば、The Beatlesが齎した最高の功績はその"自由"だったのではないか。アイドルバンドだろうと何だろうとアルバム主体の曲作りをしていいし、思いっ切りヘヴィになったりサイケデリックになったりアヴァンギャルドになったりしてもいい、商業音楽のフィールドでも自由にやれるんだと示した事が後進の百花繚乱を誘発したように思う。

とはいえその時代々々のアーティストたちはそんな歴史的文脈の話なんて実際にはそんなに意識していないだろう。今はiPhone/iPodとYoutubeさえあればあらゆる土地あらゆる時代の音楽に等距離にアクセスできる。The Beatlesの示した「自由」は、歴史の大きな大河のような流れの続きに過去から受け取るものではなく、まるで一枚の大きな大きな絵の中から好きな場所を見つけるようにして受け取っていく時代となった。そういう意味においては"時代"という概念そのものが変化しつつあるのかもしれない。

そう捉えると、「流れ」を表す3rdアルバムDEEP RIVERから「大きな広がり」を表す4thアルバムULTRA BLUEへと繋がっていった宇多田ヒカル00年代中期の推移も、何かしら類似した必然性のようなものがあったのではないか…という話からまた次回。

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