魔法少女まどか☆マギカが幾ら感動大作だと言っても、なんだかんだで私からいちばん涙を搾り取ったのは宇多田ヒカルのPrisoner Of Love EPとUtaDAのSanctuaryである。この事実は揺るぎない。しかし、物語と違って音楽に対して泣くほど感動する機会や人というのは驚くほど少ない。いや、少し違うな、居るには居るのだが、ある音楽に対して大きく反応する人の割合が非常に小さいというべきか。皆、"心の1曲"はあるにはあるものの、それが随分とひとりひとり違うのである。
特にPopsの場合、誰かを死ぬ程感動させるより、多くの人々に広く浅く愛してもらった方がいい。この曲だったらCD買ってもいいかな、ダウンロードしてもいいかな、と思わせるラインに達する人が一定以上になってくると何となく「この曲くらいは知っておかないと」という圧力が生まれてくる。誰も激烈に押していたりしなくても、だ。そしてそうやって生まれたステイタスが今度はアーティストの社会的価値を押し上げる。面白いもんである。
ヒカルの場合、倉木麻衣がデビューして300万枚を売った時に「私じゃなくてもいいんじゃん」という感じにはなったと思う。具体的なコメントはなかったけど。宇多田ヒカルというブランドは当時余りにも強すぎで"代替品"に対しての需要すら喚起してしまった。倉木麻衣がどこまで何を似せていたかは知らないが、音楽的には全くではないにしろかなり別エリアのアーティストである。フォロワーというのとも違う。しかし、パクリ騒動を巻き起こせた時点で勝ちであった。ヒカルの当時持っていた社会的圧力を見事に利用した。話はそこまで広がるのである。
しかし勿論、その"空気"を醸成したのは業界側の確信にあった。識者全員が(ほぼ、ではない。本当に全員である。)ヒカルを高く評価したのだからそんな空気が作れない訳がない。「凄いね。自分で作ってるんだったらね。」と言った人が居たとか居ないとか。まぁそれ位に鉄板で盛り上がった。
しかし。はたと立ち止まる。当時ヒカルの歌を聴いて"心から感動した人"って実際どれ位居たの? 「欧米人並の発音と歌唱力」「バラードのFirst Love、これは売れる」―みんなそう言っていた。で、そう言っていた"あなた自身"はどうなのさ。今どこで何してるの? ヒカルはそこから12年間、楽曲のクォリティーを上げ続けた。余り"売れる曲"にばかりこだわった作風にはならなかったが、真性にして神聖な集中力の結晶が数々生まれ落ちてきた。最初にハシャいでた人たちは、「米国人に伍する歌唱」とか人と較べる事ばかり言っていた気がする。12年のうち後半の素晴らしさには、余り興味がなかったのかな。
ヒカルはそういう風には考えていないだろう。寧ろ、ジュースやお菓子を買うような感覚で曲を気軽に聴いて欲しいと思っているハズだ。ただ、ちょっとそちら側に寄りすぎて、今残っているファンたちの心を甘く見ていた節があった。2年前の今ごろ公開されたGoodbye HappinessのPVの感想を耳にした時のヒカルの反応を思い出そう。感動されるなんて思ってもみなかったと。不思議な事を言うな、と思ったがそれだけ残っているのはコアなファンばかりになっていたという事だ。あれから2年、更に今残っているのは相当にコアな奴らばかりである。いつになるかわからないが、次に作る歌は心を真っ直ぐ込めて作っても大丈夫なんでないかな。
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