無意識日記
宇多田光 word:i_
 



昨夜ツイートしあってて判明した、というか教えて貰った事実なんだが、どうやら光は高校に4年間通っていた事になるらしい。NYのヒューイットスクールの小学校に通っていた頃、1年生の時点で3年に飛び級しないかといわれて一回は断ったが2年に上がった時もう一度奨められて今度は同意したんだと。つまり7歳の夏に小学生4年生になり10歳の夏には小学校を卒業、中学を出たのはそうすると13歳の夏になる。高校を卒業したのはメッセにある通り17歳の夏だから、確かにこの計算だと高校に4年間通っていた事になる。

何でも、高校が飛び級を認めなかったらしい。ほんまかいな。何の為に飛び級したんかわからへんがな。

で、もう少し整理しておくと光は13歳の時点でEMIUSAと契約を結びアルバムをレコーディングしていたがEMIUSAが消滅しておリリースが立ち消えになった、と。この話は私もインタビューを翻訳した覚えがあるし、何よりも点に載っている(んだよね?)。で、この後14歳の夏に三宅さんの目に止まり、15歳の冬にはCubic Uを日本でリリース、16歳直前の冬に宇多田ヒカルとしてAutomatic/time will tellをリリースした、っていうスンポーだ。

で、三宅さんは光と出会った時彼女は制服を着ていたと証言していた筈だからこれは高校を転校する前の話になるのかな。転校した後の学校って制服なしの私服じゃなかったっけ? そこらへんが不明確だが、点には"14歳の夏"と書いてあるのでこの後デビューに合わせて学校を変えた事になる。

しかし、だとするとこの人のミュージシャンとしての稼働年数ってえらい長いのだ。13歳の夏から、つまり中学卒業時点から数えるのが正しいらしい。ここから28歳の誕生日前までずっとミュージシャンやってたのだ。それ以前のU3とかあるけどね。つまり、まるまる14年、15年近く、少なくとも13歳の時からプロフェッショナルなミュージシャンとして活動を続けてきていたのか。いやある程度わかってたんだけどこうやって明確に数字にするとなんか大変さの実感が少しばかり重くなる気がする。そら休止もしたなるわ。丸1年近くになったけど。まぁまだまだ心置きなく人間活動に励んでくださいませませ。

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土曜日は光がツイッターに登場して祭りになった。「ありがとうごぜぇくまぼんずーーーる」ってもういろんなものの原形を留めていないが、相変わらずのノリで皆平常な反応を示していた。光が夏休み明け的にモデルチェンジしてたりしなかったという事だ。まぁここで捻っても仕方ないしな。

これでやっと@utadahikaruのページトップが山吹色スーツ&へっぴり餅つき画像からリニューアルされてげげんちょと歯医者画像に…前の方がよかったかな(汗)。げげんちょは極道一直線というビッグコミックスピリッツ連載漫画登場人物の組長さんのセリフらしい。ビッグコミックなら光も読んでただろうからまぁ忘れてはいても脳内のどこいらかに残ってたという事は有り得るわな。あの水着を着込んで撮影に臨んだ雑誌である。購読者層が比較的高めなのでげげんちょは響き自体、若い子たちにはおっさん臭く響いたのかもしれない。

各種ツイートの中に「宇多田もねーさんと呼ばれるようになったんだなぁ」というのがあったが、どれだけ若くにデビューしても13年も立てば大御所感が出てきてしまうものだ。アインシュタインは自分が有名になって「嘗て自分が最も忌避していた権威(authority)というものに、今や自分自身がなってしまった」と嘆いたというが、光もこれから似たような苦悩に苛まれるかもしれない。まぁ大丈夫だと思うけど。

ツイートが1日遅れの土曜日になったのは何か意味があるんだろうか。前日の梶さんの口調からして9日当日は光からのツイートは無理と知られてたと読めるが、翌土曜日ならOKだったと。案外、平日は身動き取れない活動でもしてるんじゃないかと余計な勘ぐりをしてみたり。ミュージシャンやってると曜日感覚がなくなっていくようだから、今は学生時代以来の曜日のある感覚を堪能しているのかもしれない。

それにしても@utadahikaru宛てのメンションの数は凄まじかった。あれ全部Webで読むのだろうか。書き込むのは公平を期してWebからでもよいと思うけれど閲覧は何らかのツイッタークライアントを使った方がいいような気がするWeb公式はどうしても一覧性にかけるからね。

まぁこのタイミングで登場するなら、前日夜のラピュタ放送でどさくさに紛れて「バルス!」って叫んだらウケただろうにな、なんて思ったがそれこそ後の祭りだな、なんて考える祭りの後の月曜日の朝でありました。

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