無意識日記
宇多田光 word:i_
 



なんだかんだでヒカルはメディアごとに記録を打ち立ててきている。CDアルバムFirst Loveは言わずもがな、iTunes Storeでは2005年にBe MyLastが年間2位、2006年にKeep Tryingが年間1位を記録している。そして2007年にはFoLが800万以上のダウンロードを記録した。よくもまぁ、である。

メディアの寿命は短い。CD市場のピークは98年だった。First Loveは99年である。iTunes Store日本開始は2005年8月でBMLは2005年9月発売だ。そして今はもう携帯電話は(電話なのだろうか)ガラケーからスマートフォンへと軸足を移し始めていて、着うたのビジネスモデルはいつまで続くかわからない。2007年に着うたを売りまくったヒカルはCDの時と同様ここでも特大ヒットを飛ばした訳である。ある意味これはとっても抜け目ない。

これは別にヒカルが進取に富んでいるとかいう話でもない。新しいものに抵抗がないだけである。彼女自身は案外保守的というか、「新しいものが大好きな私たち」と歌っている割にそういう飛びつき方はしない。やってみる事に躊躇いがないだけである。

となると、次はどうなるのだろう。DVDはLIVE、シングルともにかなり売ったが、Blurayでは目立った成績を残していない。そろそろヒカルもメディア開拓の役割を終えるのだろうか。

思うに、ヒカルが次に新しいメディアで何か目立った活躍をするとすれば、電子書籍なのではないかと思う。

私見だが、そもそも"電子書籍"という発想自体Webに要らない。別に文章を書籍の体裁で見せる必要は全くない。文章だけの雑誌なら有料メルマガで十分だ。長編の書籍ならやっぱり本で読んでしまえばいい。というか、電子書籍に要求されているのはアクセスするメディアとしての役割ではなく、持ってる本が"かさばらない"事だ。所有という欲求を日本のうさぎ小屋な住宅事情で満たしてみたい、という発想なのである。だから、どういうリーダーがいいか未だに定まらないし、結局携帯電話やPCのブラウザーで文を読んでりゃ今は事足りてるのだ。

こういうややこしい、というかはっきりしない世界だからこそ、ヒカルのネームバリューは面白い。09年には世がすわ電子書籍の時代到来かと浮き足立っている所に重厚な(重いってだけか)装丁の点線を発売した。片方はWebの文章を書籍化した代物だ。こういう展開を見せれた人間だからこそ、電子書籍が混乱しているタイミングで逆に侵入して大きな売上を見せてみてほしい。多分、痛快だろう。

で、具体的に何をリリースするかの話になるが…今日は時間がきてしまったのでこの辺で。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




【久しぶりの大事なおしらせ】によると、今は『「休養」でも「充電期間」でも無い』という。どうにもここが引っかかったままである。

直後に書いてある、『新しいことを勉強したり、この広い世界の知らないものごとを見て知って感じ』る時間とは、まさに世間でいう「充電期間」である。13年間ずっと音楽で放電、即ちアウトプットを続けてきたのだからここらで充電、インプットをしよう、と。極めて普通の話であって、お馴染みの"人間活動"というキーワードを持ち出してくる必然性に欠ける。

電気は放電するか充電するか蓄電するかしかない。これが"「充電期間」ではない"というのなら、蓄電か放電である。

蓄電、つまり電池の意義は、電圧を時間と空間を超えて利用できる事にある。勿論最初に電圧(電位差)を作り出さねばならないが、そうやって作り出した電圧を化学的に隔離して携帯しいつでもどこでも電気を利用しようというものだ。ポータブルなのである。

光はもしかしたら、何かの才能なりアイデアなりを、時間と空間を超えてポートしたいのかもしれない。インポートでもエクスポートでもトランスポートでもいいが、今まで築き上げてきた何か、それは音楽的業績でもいいし知名度でもいいし市場の評価でも資産でも人間関係でもいいが、ありていにいえば何かやりたい事の為の"時間稼ぎ"、或いは"空間的移動"が人間活動(のうちのひとつ)なのではないか。充電でも放電でもないのなら蓄電なのだ。

放電、というからには電位差のある所同士が繋がって電流が流れなければならない。ただ電子を吸収しようとしても、どこか電子のある所が必要だ。放電には必ず相手が要るのである。今の所、公表される形で光の人間活動中の"放電"を知れた例は殆どない。目立つものといえば100万$の寄付行為くらいだが、いちおうこれは後から起こった事態に対するリアクションであり、昨年8月時点の考慮の対象ではなかった筈だ。

光が今何か放電を行っているとして、日本でそれを知られないのは無理である。ちょっとお店に入っただけでツイッターで呟かれ拡散される時代である。とするとやはり、光の名を知らぬ国のどこかで活動してるのかなぁ、というありきたりの結論にしかならない。光は今何してるんだろう。別に今は報告してくれなくてもいいから、時間が経ったあとに何かきければいいな。人間活動の成果こそ、時間方向にポータブルであって欲しいものである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )