無意識日記
宇多田光 word:i_
 



親友への想いから母への恋慕に行き着いたのが嵐の女神なら、一方で自らに母性が存在する事を気付かせたのはBeautiful Worldだ。ここからStay Goldを経て嵐の女神の『私を迎えに行こう おかえりなさい』へと結実するのだ。この物語は美しい。

そもそも何故この構造が顕現したのか。BWがEVAの主題歌として運命づけられていた事を想起。光が力説した「古びれないダシの部分」とは何であったのか。

それは、碇シンジ、碇ゲンドウ、碇ユイ、そして綾波レイの関係性であり、そして物語の重要な"仕掛け"としてのエヴァンゲリオンそのものだ。母へと向けられてきた愛情が、母から向けられてきた愛情が、息子の成長と共に、一体どこに向かうか。碇ユイと綾波レイの2人が、ゲンドウにとって、シンジにとってどういう存在なのか。そして、シンジとレイを繋ぐエヴァンゲリオンとは何なのか。そもそも人を慕う心とは、どこから来てどう変化してどう向かうのか。エヴァンゲリオンという"仕掛け"を使う事で、フィクションとしての世界観を強固に保ちつつ、親と子の関係性を炙り出す。確かに、これは文学そのものである。ネタバレ(といってももう何年前の作品だろう)をギリギリで回避しようとして歯切れの悪い言い方で誠に申し訳ないが。

恐らく、私もまだまだ理解出来ていないのだろう、しかし、BWで暴かれた少年を優しく見守る目線は、Stay Goldで自覚的に明示され、嵐の女神にまで行き着くそのプロセスにおいて、ずっとそこに居る「"自分の美しさまだ知らない"無垢な少年」とは誰なのだろう。こちらの終着点はGoodbye Happinessだ。

端的に『恋の歌くちずさんで あなたの瞳に映る私は笑っているわ』に描かれている通り、無垢な少年を見つめる眼差しはどこまでもどこまでも慈しみに溢れ、優しく美しい。彼のinnocenceにもここで別れが告げられる。母性に満ちた眼差しを受けながら愛の意味に気づいていく少年。BWの時に彼の傍で眠ろうとしていたのは誰なのだろう。小さなベッドでおやすみ、と迎えられた私を寝かしつける私は一体誰なのだろう。

このストーリーを概観すると、やはりEVAの最終局には嵐の女神が相応し過ぎる。もしかしたら、EVAはQで完結しないのかもしれない。また更に10年の時を経て三度び甦るのかもしれない。嵐の女神で母への想いを暴露するまでのプロセスと、その出発点であるBeautiful Worldと。恐らく、EVAでは殆どそのまんまの物語が展開される筈である。ダシのダシたる所以だ。

一見すると、複雑過ぎて難しい。しかし、結論は単純で美しい筈である。「お母さんに会いたい」、必ずEVAの登場人物の誰かがそう口にするはずだ、と最後にひとつだけ明確な予想を書いて今回は稿に一息吐くとしよう。

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嵐の女神は元々親友か誰かを想い書き始めた歌だったが、途中から話が変わり母を想う歌になっていった、と光がインタビューで答えていたと記憶している。

一聴すると、何か違和感というか「それでいいの?」という気持ちも湧いてこなくはない。

2つ捉え方があって、ひとつは楽曲が自らの手垢を離れ独立した一個の存在として確立する為には、私情はそのキッカケや素材に過ぎないという事。即ち曲の中で語られている物語は現実を基盤にしているとしてもちゃんと虚構として着地している、という解釈。これなら光にとって対象が誰であったかは一次的な重要性をもたなくてもよい。

もうひとつの捉え方は。光にとって、曲作りは精神的な探訪のプロセスである、という事。つまり、当初は自分でもその感情は親友に向けてのものだと考えていたのだが、自らの心を掘り下げていくうちにそれが母に向けた感情であった事に気がついた、という解釈だ。作詞作曲を通したセラピーの一種だといえるかもしれない。そこまでドラスティックに捉えなくても、自らの感情の"起源"が母への想いであった、という見方もできる。ここまで抽象化されると、人間にとっての恋愛感情の起源とは、という普遍的な問いにまで辿り着いてしまう。光ならそこまで行っているのではないかと思わせる。

しかし、取り敢えずはここで一歩引いてみよう。もし光が、嵐の女神に至るまで自らの"お母さんに会いたい"という本音に気付かなかった、或いは薄々感づいていても相対しようという所まで行かなかったというのなら、それ以前に光が書いてきた詞の中で、実際は母への想いが根底にあるのにもかかわらず、別の人への感情として表現されているものがありはしないか、そう考えるのも理にかなっているように思えてくる。

例えばPrisoner Of Loveだ。ラストフレンズが若者同士の恋愛を取り上げたドラマであった事から、これは親友か恋人同士か或いは、といった解釈になりがちだし、実際に光もそのつもりで書いたのだと思われるが、この中に母へのメッセージが隠れているとしたらどうだろう。

後半は、相手との"出会い"から運命が変わった描写が主体となっているがその前段、

『ないものねだりブルース 皆安らぎを求めている 満ち足りてるのに奪い合う 愛の影を追っている』

の一節は、元々母に満たされていた感情が欠落した、というプロセスが内包されているとも見て取れるのである。ここから"出会い"を通じて"傍に居る人"に満たされていく過程がPoLに、そのまま代替ではなく母に直接向かったのが嵐の女神だという解釈の仕方も可能になるだろう。

まだまだこの手法で読み解ける歌がありそうだ。今後の課題としておくかな。

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