無意識日記
宇多田光 word:i_
 



間もなく29歳になる宇多田光氏の何が不可思議かって、若い頃と変わらず宇宙壊滅的にかわいい事である。漢字で書いた方がいいか。可愛い? いやカタカナかな。カワイイ? まぁ、どれでもいいや。

10代の頃の可愛さはまだわかる。若さ溢れるキャピキャピさ加減、光の名の通りキラキラしている。それはいい。それはまだいいさ。今はもうアラサーなのだ。いや今っつっても一年前で止まってるんだけどね。随分と大人になって落ち着いてきて、あのハイテンションではなくなってきてるのに、動いているのを見るだけでなんだか脳が溶け出しているのを感じる。これが麻薬要らずというヤツか。

私は結構そういう所は冷静な筈なのだ。なにしろWild Lifeの当日、横浜アリーナのDブロックで光が『私がおばさんになってもHikkiって呼んでくれるーっ!?』と茶目っ気タップリに観客に話し掛けた時に「27ってもうたいがいおばはんやで」と口に出して悪態をついた男なのである。今全国の27歳以上女子全員を敵に回したのを感じた。あ~モノを投げないでください。

それだけ冷めた人間なのだが、動画を観ると(いやナマが勿論いちばんだよ)居ても立ってもいられなくなる。昔から静止画は特に好みでもない。仕草や表情、喋り方の総合力で私をノックアウトするのである。

昔はきゅーんとするだけだったが、最近は余りのかわいさに腹が立ってくる事が多い。文字通りムカついてくるのである。「なんでそんなにかわいいんだふざけるなっ!」と画面に呟く事もある。結構本気で怒っている。意味不明にもほどがある。

また、モーレツに悲しくなってくる事も多い。「なんでそんなにかわいいんだよぉ~」という感じだ。勿論傍に居ない事を嘆いてもいるのだが、一言でいうと可愛さが"慈悲深い"のだ。その為、その優しさに触れて悲しくなってくるというか。

泣きたくなる事もある。あまりのかわいさに感動してしまって感極まる。福原愛がオリンピックでメダルをとったら私はまず間違いなく感動して貰い泣きすると思うが、宇多田光氏はただそこに居るだけで同等の感動を私に与える。思わず呟く「よかったねぇ」。いったい何がよかったのか見当もつかない。

思うに、あの可愛さに巡り会った時の私の感情の振れ幅が(いや"気の触れ幅"かもしれんな…)、喜びや嬉しさや楽しさだけでは追い付かないのである。喜怒哀楽を総動員しないとあのかわいさに対処できないのだ。繰り返すが、もう来月で29になる大人の女性である。お肌の曲がり角なんてとうの昔に過ぎている。それでもあの宇宙を破壊し尽くすようなかわいさは変わらない。

いや、変わらないというのは確かに違うか。上述のようにもう昔みたいにはしゃいだりしないもんな。くま絡みだと別ですが。じんわりとくるような、しかし確実に心を捉えて溶かし尽くすこの感じ。伝わるものは同じだが伝わり方、伝え方が違うというか。ひと呼吸ごとに好きになるあの感じ。ホント大丈夫か俺。このエントリー、宇多田光氏の誕生日用だった筈なのだがまぁいいか。宇多田ヒカルの誕生日に掲載になってしまった。

氏とつけてみたのはなんとか距離をとって冷静になろうとしたからなのだが、無駄だった。カワイイは正義、可愛いは力、かわいいは天の声なのだ。神様も女神様も恋をする28歳11ヶ月。おばあちゃんになってもこの可愛さなのだろうか。あらゆる意味で恐ろしい。

そうか、恐怖だ。その感情がいちばん、光のかわいさを受け止めれる。私ももっと怖がろう。

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そうか~、デビュー13周年か~。だからといって特に書く事もないな。光の曲聴いてたら毎日が記念日みたいなもんだ。

ただ、やっぱりLIVEとなると特別だ。実際に目の前に居たんだから。これはある種裏切り行為ともいえる。

有名人とそのファンの関係は思いっ切り非対称だ。こちらがメールを送っても、向こうが返信する義務はない。こちらも当然そのつもりでメールを書いている。これは通常の人間関係とはいえない。メディアを通して、有名人が一旦"商品化"されて初めて成り立つ関係性なのだ。有名人はその点において、ファンにしてみれば生身の人間ではない。だからこそ道端で見かけてもこちらはおいそれとは声をかけない。知ってる人がそばを通ったら普通挨拶くらいはするだろう。有名人はこちらの事を知らないのだから。一方通行のメディアが形作る非対称の関係が基本なのだ。

然るに、LIVEはこの非対称をほんの少し破る。多対一である事に変わりはないし、向こうは相変わらずこちらの名前を知らないが、こちらからのはたらきかけに応えてくれたりするようになる。"I love you, too."と返された彼女はその時大丈夫だったのだろうか。非対称は残るにしても、LIVEは有名人とファンの間に生身の関係性を持ち込む。これは普段歪な一方通行を遵守している我々に対する素敵な裏切り行為に他ならないだろう。

そこに目をつけたのが秋元康で、見事に成功したのがAKB48、という話は私より読者の方が詳しいだろうから置くとして、ネット世代は"実際に会う"事の意義を前の世代より的確に把握している感がある。普段、書き文字や声(スカイプとかね)を駆使してコミュニケーションをはかっているお陰で、実際に会った時に言葉以外で伝わる事は何かを把握する事が出来るのだ。言葉じゃ半分も伝わらない、という嘆きは、チャンネルが増えた今何がどこで伝わって何がどう伝わらないかを確実に把握する事を約束する。ネット世代は、前の世代より確実にLIVEの意義を把握可能なのだ。

そういう意味では、記念日としてはデビュー13周年よりWild Life最終日一周年の方が感慨深い、ともいえる。

しかし、やっぱり《宇多田ヒカルの誕生日》という解釈をすればこの日が如何に尊いかという事も思い知らされる。いずれにせよ、12月9日は私にとって自分の誕生日以外では最も重要な、"生まれてきたことを祝福する日"なのは、間違いない。ですよねー。

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