無意識日記
宇多田光 word:i_
 



トラベ10周年の時に青く堅い果実に喩えたDeep Riverアルバムだが、実際全アルバム中最もテンションの張り詰めた作風だと思う。このあとのULTRA BLUEとHEART STATIONの主眼はアルバム全体のダイナミズムに移る為曲毎の、曲中での弛緩・抑揚がどんどん大胆になってゆくが、Deep Riverはいうなれば"とことん必死"であり、全パートを最高のものに仕上げようという気迫、執念のようなものを感じる。前2作に気合いが入ってなかった訳では全くないのだが、このアルバムは「これが最後になるかもしれない」と思いながら作ったのではないか。兎に角兎に角全力につぐ全力である。

そんな張り詰め切った作風を象徴してる楽曲が、A.S.A.P.だと思う。ある意味このアルバムのイメージソングと言えるかもしれない。

なにしろ、タイトルがA.S.A.P .、As Soon As Possibleである。出来るだけ早く、という意味だが特に"As Possible"、出来る限りという所がこのアルバムに相応しいフレーズだ。

サウンド的にはサンプリングされたコントラバス~チェロの音域のストリングスと冷たい(エレクトリック)ピアノの響きを効かせたユーロ・エレクトリック・ゴシックな音作りだが、光の個性が発揮された、この曲を最も特徴づけるパートが打ち込みのリズムセクションだ。

とにかく、この曲の打ち込みリズムはまるで床にタイルを敷き詰めるようにひたすら音符を途切れずに並べてある。その為、ダークで妖艶ですらあるSEやオブリガードを纏いながら異様に曲全体の印象が硬質である。リズムを敷き詰める事で張り詰めた空気を作り出し、メロディーの切迫感を増強する。決してテンポは早くはないのにこの楽曲が醸す焦燥感は尋常ではない。『緊急時以外は掛けないと約束するわ』という言葉が逆に緊張を喚起するかのように響くのもこの、落ち着いたテンポと忙しいボトムの組み合わせが齎すマジックなのだ。

ある意味、このアルバムの出発点となったFINAL DISTANCEとは対極の方法論である。FDが悠久の流れのような、永遠に触れるような荘厳で神聖な感覚を、DISTANCEからリズムをごっそり抜き取る事で達成しているのに対し、A.S.A.P.では『今すぐに聴かせて』という刹那的な圧迫感をリズムを敷き詰める事で表現している。とても同じ人の作詞作曲だとは思えない。

この曲で歌われているのは、女の業とでもいえる側面であるが、細かい話はまたの機会に譲るとして、その"狼少女"な光の性格・感情は、FDや、後のぼくはくまのように裸のサウンドで表現されたピュアネスと比較するとますます恐ろしくなる。

が、『時にはそれが魅力的なのさ』ですか。確かに、そうです。先に貴女に言われては、返す言葉もございません。

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「言葉にならない気持ち」は当欄ではあまり取り上げてこなかった。理由は単純で、言葉だけで構成されているテキストブログでこのタイトルを掲げると何も書けなくなってしまうからだ。

歌という体裁をとる事によってその難点は幾分か解消される。当然ながら歌は言葉だけではないからだ。勿論メロディーだけでもないんだが。

これの先駆者といえば小田和正だ。『La la la La la la 言葉に できない』というのを初めて聴いた時のしてやられた感といったらもう。別に彼が最初にやったという事でもないんだろうがこの歌がやっぱり有名だろう。言葉にできない、言葉にならない気持ちをここまで的確に、少しのユーモラスさを隠しながら表現した例は少ないだろう。

ヒカルはといえば、もっとオーソドックスに、こういう場合の戸惑いを素直に書き綴る線で歌を構成している。元々は1stアルバムのInterludeから発展した曲で、恐らく当初は『喜び悲しみ感動切なさ』と言い切ってしまった以上この後に別に何も続かないなと思ったのかもしれないが、「そうだ、じゃあもう後に何も続かないって唄っちゃえばいいじゃん」と気がついたんじゃないかな。ミュージシャンが曲を書けなくてスランプに陥った時「そうか、じゃあ曲が書けない苦しみについて唄おう」と思い立つパターンがあるが、大体それと同じだろう。

その、何とも曰く言い難い、言葉にならない気持ちを村上春樹よろしく夕日やマニキュアを使って喩えてみたり、思い出せないのに忘れたくない、とかとにかくこう何とももどかしい、という気分をそのまま歌詞にして歌っている。ラララと歌詞ナシで唄ってみたりスランプそのものを唄ったりしたのと同じように、伝わらないもどかしさを今私は感じています、という感覚は確かに伝わってくる訳で、表現としては成功している。

しかしそこで気がつくのは『いつか伝えたい』の一節だ。Eternallyでも光でもBeMyLastでも一貫して"今"を唄った光が"いつか"という"夢"を語っている所がこの曲の特異な所で、だからこそヒカルにしてみれば力が入りきらなかった所があるのかもしれない、とも考えたりした。ヒカルは、"今"にフォーカスすればするほどメロディーが際立つのだろうなぁ。

書いてみて思った。やっぱりこの曲はテキストブログに向いてないや。でも、終盤のフェイクも含めて、疲れてる時とかふと聴きたくなるんだよね。こういう、シングルとして売り出すにはどうもという曲でも世に出せるアルバムという形態は、やっぱり必要かな。配信でのバラ売りが一般的になった今だからこそ、10年以上前のこの曲を聴いてそんな事を感じてみるのもいいかもしれない。

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