無意識日記
宇多田光 word:i_
 



UTUBEの再生回数カウントが故障中だが、それとは関係なくこの間滞りなくPrisoner Of Loveが400万回を達成した。新しめの曲、特にUH5として発売されていない曲は開設序盤に再生回数を稼いだ感があり、PoLもその例に漏れないがデイリーでもFirst Love、Goodbye Happiessと常に1位を争っている。いや別に曲同士は争ってないけど。数字の話ですね。

UTUBE1日10万回再生のうちFL,GBH,PoLの3曲で大体3万回位再生されている計算だ。次に続くのがFoL,桜,トラベ。更にはCOLORSオートマキャンシー光と続く感じである。

この様子を鵜呑みにすれば、現在のヒカルの代表曲はFL,GBH,PoLの3曲となるが、Hステ発売当時あれだけPoLを推していた私も流石にこの評価は意外である。視聴率13%台から始まり結果的に20%を超えた人気ドラマラストフレンズでフィーチャされていたとはいえ、それをいうなら全回30%超えの化け物ドラマ「HERO」の主題歌キャンシーの立場はどうなるんだ、となる。つまり恐らく純粋に曲の評価なのだUTUBEの再生回数は。(だとしたら)凄い。

何がこんなにウケたのだろう。一歩間違えれば演歌になるコテコテのメロディーライン、友情とも恋愛感情ともとれる微妙な機微を歌った激しい歌詞、宇多田ヒカルのトレードマークともいえる絞り出すように切ないエモーショナルな歌唱。美点は幾らでもある。ヒカルが自身にとって最も得意とする楽曲を出してきた事に素直に感動した。ここにもそう書いた。皆の期待する宇多田ヒカルがここに在る、と。本当に皆そう思っててくれたって事なんだろうかなぁ。

何故懐疑的になっているかといえば、自分でもよくわからないのだが例えばTwitterを見ててもPoLの人気はそんなでもない。やはりFLがいちばん人気、GBHも新奇さが薄れて評価が定まってきた、意外に誰かの願いが叶うころが取り上げられる回数が多いのは、歌詞が使いやすいからだろうかな、とかとかとかとかあるんだけど、PoLはそんなに目立っている訳でもない。あと、「宇多田ヒカルでいちばん好きな曲は光」というのも目立つ。この曲が一番人気という訳ではなく、私と同様"そう訊かれた時の答えとなりやすい曲"なんだろうな。まぁそれはさておき。

となると、あれだ、PoLって1人で密かに楽しむタイプの曲だという認知なのだろうか。Tweetに乗せて好き好きアピールとかはしたくならないけど、ひとりで部屋でむっちむちのヒカルの作業姿を眺めながら浸りたくなるような、そういう風なのだろうか。For Youがそういうのの代表格だと思っていたが、UTUBEの再生回数はそんなに伸びていない。うーん、判断が難しい。

支持している年齢層も気になる所だ。一歩間違えれば演歌になるメロディーを指して私は「この曲は40代50代にアピールする」と盛んに喧伝したが、果たしてこの予想は当たっていたのだろうか。AMから流れてくるこの曲のメロディーの、ノイズに打ち勝つ力強さに、世の中年のおばさんおじさんたちは励まされたのだろうか。わからない。

GBHがヒカルの代表曲になるのには何ら抵抗はないのに、PoLだと何かがどうも引っ掛かる。いったいこれは何なのだろう。誰よりも(いやヒカル以外で)この曲を高く評価してる私のこの逡巡。解決するにはまだまだ時間がかかりそうだ。


なお、タイトルと本文はまるっきり関係ありません。(てのを一度やってみたかっただけ(笑)) 

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昨日の2つのエントリーは要は「リア充しっかりしろ。ヲタクをやってる甲斐がない」という話だ。昨今のCD/DVD市場で目立つのはやはりアニメ関連なのだ。順位もそうだが、金額ベースだと更に驚異的。なぜアニソンという偏狭な筈のジャンルにここまで押されるのか。チャート最上位陣は悉くアイドルで、結局市場は2次元ヲタと3次元ヲタが買い支えているという感じ。

何より致命的なのは、楽曲の質でアニメソングやアイドルソングに太刀打ちできない事だ。要はヲタク相手の方が儲かるから数少ない才能もアニメとアイドルに流れている。ここ5年くらいこの潮流は変わってない。

昔は、音楽をやっているとなればもうちょっとイケてた筈だ。(いや言い回しから単語の選択から死語臭がプンプン漂うなぁ) 今音楽をやっているといっても余りにも"なんとなく感"が強すぎてかっこよくない。この10年で着実にフェスが定着している事だけは救いだが、目立った才能は生まれていない。ボーカロイドやバーチャルアイドルといった無機質なコンセプトを苦労人の幼なじみ3人組という生々しいにもほどがある"人間らしさ"で料理したPerfumeの存在は、秀逸であったと共に"ここまで煮詰まっちゃったんだなぁ"と思わずにいられない。それはそれでよいんだけども。

宇多田ヒカルも、泰然自若としながらもこの潮流にうまく対処してきている。実際、デビュー当時より完全に「あのコ(重度の)ヲタクだよね」感が増量されている。テトリステクの話を横耳に聞き流してた頃とは、確実に時代が変わってしまったのである。

人間活動の実践や"Wild Life"という名称から「今のヒカルはリア充度をアゲにかかっている」と読み取る事は可能である。しかし、音楽家として、本当にそれでいいのかどうか。もしかしたら、ねえさんとして大御所感を漂わせつつ、時代を二歩位先回りしているのだろうか。リア充な音楽に才能が集まる時期がいつかやってくるのだろうか。

真性のヲタクとしては、まぁ結構どっちでもいい。新しかろうが古かろうが、いい曲、いいLIVEに接せればそれで十分至高である。70年代中期のプログレや80年代初期のNWOBHMを聞きながらやっぱこの時代の音は肌に合うなぁ、とか日々抜かしている時代遅れですらない人間にとっては、光の曲はただただひたすら"いい曲"に過ぎない。そこさえハズさなければ、ヲタクに近づこうがリア充な感じになろうが相変わらず好きである。

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