無意識日記
宇多田光 word:i_
 



は創造(という過程)の結果に過ぎない』と云う時、さて作品はいつその"作品性"を獲得するのだろうか。決して自明でないこの概念は流通性とも自立性とも換言できるが即ち人はいつ"作品が完成した"と感じれるのか、だ。締切のない創作に光が突入した時その過程をいつ終わらせ作品を"棚に飾る"のか、逆に締切迄にその内面基準に達しなかった時どうしてきたのか、或いは過去1度もそうなった事がないのか。テクニカルでもスピリチュアルでもあるこの問題、単なるプロセスに過ぎない創造行為を締切という枷で目的的行為に変えてきた光に、松浦サン今度1度訊いてみて下さいw

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が、光が行きたいと思う頃に果たして大学という形態は生き残っているのだろうか。兎に角今はITを中心とした変革の時代であって、企業と国家が火花を散らす漫画的な展開すら現実味を帯びている。もしかしたら音楽家という選択は、普遍性、即ちコレから数十年を表舞台で生き残る上で最良の選択だったのではないか。体のイイ解釈かもしれないが、科学や漫画が職業として機能し始めたのはココ数百年単位の話で、音楽家は数千或いは数万年単位でコレを生業としてきた筈だ。歴史の分厚さが光のモチベーションの後押しをしてくれるのなら、こんな有り難い事は希有なのだが。

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