無意識日記
宇多田光 word:i_
 



は同じ心理の両面である。多分に、子供の言葉遊びに過ぎなく見えるものの中には真理が隠れる。書評の素材として"仮面の解釈学"を選んだ今朝の池田信夫blog。ノブログと勝手に呼んでる。ココに鮮烈な一節があった。取り出してみる-「オモテトハ オモミトオモヒトシテ カタドラレ カタリイデルハザマソノモノ」。誰の言葉なのかは(まさに)問う気もなく、ただ「思い」「重い」「面(おもて)」が同じ語「主(おも)」を根に持つと知り閃きを感じた。今朝のこの言葉、ひたすらに自らの面(おもて)をアルバムジャケットに使い続けてきた光に贈るに相応しいと感じ入る。"ヲモヒ"と古文風に書くのも悪くないな。

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という、前回と同じく異曲同旋律の2ッを比較するのがスジだろう。例のメロディは、ホテロビではほぼ楽曲の主旋律として機能していて、その特徴は既述の通りSheとMeの人称をサビと対比して使い分ける点にあった。微妙に、この区別はキスクラに当て嵌らない様に見える。けれど、2番で家族の風景を見る俯瞰以上に、1番の"曲のサウンド自体について唄う"一節はメタ的視点という意味で俯瞰以上に対象からの距離が調整されているとみるべきだろう。してみるとこのメロディには、ナレーター/語り部としての気分が載っていると解釈するのが妥当か。適用基準が光の中で明快なんだと思うよ。

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