無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ハトステ&TiTOという日米各々の前作達からの流れの合流地点にくる訳で、即ち曲の方向性もそのセンから予想するのが穏当だ。中でもタイアップ作品が何かは気になる所。想像に過ぎないが、恐らくヒカルは実現した企画の何倍ものオファーを受けている筈で、その中から取捨選択して曲を提供してきたのなら今迄のタイアップ曲も結局光のアーティストシップの流れの中にあると考えるべきだろう。ウルブルの口火を切った"前回の合流地点"BMLは日本製小説の映画化とのタイアップだった。予断は禁物だが、次曲も同じく日本映画とのタイアップ曲ならば、この長いお蔵入り期間も説明がつくかもしれない。

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何をして過ごせばいいのかと問われたら取り敢えず「歌でも唄って暮らせばいいじゃない」と答えるつもりでいるのだが(そもそもそんな事誰も訊いてこないけど)、光はどう答えるのか興味がある。つまり裏を返せば、今の世には常に何か諍いがあり、歌はその癒しと成り得る事が光の(原動力か否かは兎も角)大きなモチベーションの1ッになってきた気がする。ところが、Hステに至る迄の詞のテーマは大局観も擁していたのにTiTOはライブソングと失恋歌で構成されていて、有体にいえば"諦観の向こう側"な感覚が強かったので次の曲の詞の方向性がちょっと気掛かりなのですよ。

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