無意識日記
宇多田光 word:i_
 



LIVE出演者以外の固有名詞は使わないつもりだったのに抗い難く出してしまったのが英国のロックバンド、ピンクフロイドの名前だった。他界者が居る為最早再始動も望めぬ20世紀人類文化を代表するこの男4人組と光を比較したくなったのは、その圧倒的な包容力、赦しの力に通ずるものをみたからだ。死すら万物の風景として許容する深い懐。ヲタクの集まりに過ぎない彼らから何故か立ち昇った幻想の母性は、幻想であるが故に生身の女性にない神秘性を醸していたのだが、光の身体性感覚を鑑みれば彼女なら同様の神秘性を音楽に宿せるのではと期待してしまう私だった。

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ばかりしてる当欄だが、ホンネを素直に書けば"そんな事はどうでもイイ"のだ。宇多田光が社会にとってどんな意義があるかだなんて愚問も甚だしく、本来は社会の方が如何に光を楽しませる、喜ばせる、幸せに出来るかを考えるべきなのだ。光は、然し、そういう受身な他力頼みに与せず何より自分が生み出したい人なのでこの私の"真っ当な主張"は行き場を失って迷子となる。かといって、光が社会や会社に貢献しようという態度を(明示的に)とる事も又ない。両者が共に共鳴する場所を自然に見いだしていくしかないかな。我慢強く待つ事も勇気の1ッなのかもしれない。

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