無意識日記
宇多田光 word:i_
 



芸風は、その誤読のなさ故に世代間対立も継承も薄い。体よくいえばココは"最後の楽園"であって、音楽的に軽蔑される心配も薄く、感性の赴くママ楽しめて、然も光の場合抜群の実績と知名度があるから社会的居場所も確保されている(「誰のファン? アー宇多田ね」)。イイ事尽くめとしかいえないのだが、僕らはすぐにソレを忘れて新曲はメッセはと騒ぎ立てる。手前勝手なものだナ、と思ってきたが寧ろコレはファンの側の"献身の精神を満たせない苛立ち"の顕れかと思う様になった。欲張りな話だが、人には対立や継承を通して帰属への貢献を感じたい心が不可避的にあるんだろうな。

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レニークラビッツだと光は何度か言ってた気がするが、ココら辺のチョイスに自分の立ち位置を(無意識的にではあれ)よく理解している事が見て取れる。決して彼は後世に多大な影響を与える様な革新的な音楽をしている訳ではないが、歌もギターも総じて質が高く、然も彼独自の個性を確立していてどのジャンルの人からも等距離に尊敬されている。ヲタク的1歩手前に過去の音楽への造詣も深くカバーセンスも白眉で非の打ち所のない音楽家だが所謂"レニクラ派"や"レニクラキッズを余り生み出さない点はジミヘンやVanHalenとは大きく異なっていて、歴史的にも光同様一匹狼的な立ち位置なのである。

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