デカルト以来、科学者や哲学者は客観的物質世界(現実1)の中に自己中心感覚(現実2)を埋め込もうと努力したが、いまだにうまくいっていない。科学の言葉で自分の内面を語ることはできません。その意味で、科学者があまり疑いを持たずに安心して毎日、科学を実行している科学的唯物論の世界(現実1)は、実は完結していない。
現代の脳神経科学も、もちろん科学の基本を守って、客観的な物質現象としての世界(現実1)を記述していく。脳神経科学者は、客観的物質としての脳の機構を解明して、そこで起きる物質現象としてあらゆる感覚と感情を表現したいと願っている。私たちが自己中心感覚による現実(現実2)として捉えている主観や自我意識についても、それらを科学的物質世界(現実1)の現象として説明しようとする。研究室での実験観察によって、自己中心感覚(現実2)を科学の言葉で記述しようと努力している。たとえば、五感による外界の感知とは別に、主観的な感情や自我意識は、自律神経系や平滑筋や体性感覚の活動信号から大脳前頭葉内側皮質や島皮質に投影される神経活動パターンで表現される、とする理論(一九九九年 アントニオ・ダマシオ『何が起きたかの感情〔無意識の脳 自己意識の脳〕』既出)がある。人間の主観というものを客観的に記述すれば、たしかにそうでしょう。拙稿もそれには同意します。(拙稿の見解では)私たちが主観的に感じる自分の意志や感情や思考や欲望や自我意識は、筋肉による身体運動を形成する神経活動と基本的には同じ仕組みで起こる。身体運動が筋肉を動かして外部から観察できるのに対して、主観的な感情や思考に対応する脳内の神経活動は外部から観察できないので、(拙稿では)仮想運動と呼ぶ。
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