哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

人間に内面はあるか

2007年12月20日 | x3存在はなぜ存在するのか

けれども、言葉でうまく説明することができないからといって、他の人間が自分と同じように感じるはずはない、と考える必要もないでしょう。自分と同じように感じているように見える人間は、そう感じているのだろうな、と想像してよいのです。それが(拙稿の用語を使えば)うまく憑依できている、ということです。人間は皆、私と同じような内面を持っているのだろうなと感じられるから、私と同じように感じている、という考え方でもよい。直感でそう感じればそれでよい。その直感が正しいか正しくないか、という質問は、つきつめれば、意味がありません。何を根拠に正しいと言うか、という話になる。その根拠は、直感でそう感じる、と言う以外にない。それは無意識の直感です。いつの間にか、そう感じている。

意識的に想像する以前に、無意識のうちに人間の脳は、シミュレーション機構を働かせて他人の内部を自分の脳内に作り出す。拙稿の用語では、それを憑依と呼ぶことにしています。私たちは、他人に注意を向ける瞬間に、その人に憑依し、その人に乗り移って世界を感じる。それで作られる他人の内部から見た世界というものは、もちろん錯覚の世界です。じゃあ、錯覚でない、本当の他人の内部はどんな感じなのか。人間は、それを知ることができません。それを知ることができないとしても、何も問題はない。

そういうものを知る、ということはどういう意味か?その意味は実ははっきりしないのです。他人の内面。あるいは、自分自身の内面。そういうものを知る、あるいは、そういうものがある、あるかないか。そういうことは全部、意味が不明です。永久に意味不明のままで、まったく問題はない。私たちの脳が、そういうものがあるかのように感じるように作られている、という事実があるだけです。私たち人間にとっては、この世は直感でこう感じられる、というだけが確かなことなのです。

拝読サイト:日本の無関心が人類滅亡呼ぶ…あの矢追純一氏が警鐘 

拝読サイト:人間の内にある神性 ~レンブラント「復活のキリスト」 序章~

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