哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

圧縮変換された錯覚の記憶=世界像

2007年02月04日 | 2言葉は錯覚からできている

Hatena24_1 要するに人間の脳は、五感で感知した感覚データ(哲学用語にもなっているが、筆者の用法では単に感覚器官から中枢神経系へ送信される信号のこと。data=ラテン語で「与えられたもの」)の入力情報を、記憶してあるシミュレーションなど脳の内部情報と組み合わせて現実にうまく対応する錯覚を作り出し、それを目の前の物質世界の存在感として感じ取っています。同時に錯覚の組み合わせによって、物質に対応しない錯覚も作ってしまいます。さらに、それを仲間どうしで共感し、運動や表情や発声を使って共鳴し、その記憶を共有することで、錯覚を言葉として固定させていきます。

それらの過程を繰り返して、脳では次々と抽象的な錯覚が製造され、それは再生できるようにデータ圧縮を受けて記憶に定着されます。記憶から再生された信号は、外界から受けた直接の感覚データとは違う、圧縮された錯覚情報に変換されています。逆に言えば、錯覚を使うことでデータ圧縮と再生の効率がよくなります。この仕組みによって、進化した現生人類の脳では、それら圧縮変換された蓄積データ、つまり錯覚の記憶でできている脳内の世界像、に直接得た感覚データを埋めこんで使うことで、直接の感覚データを断片的に逐次リアルタイムで処理するよりもはるかに能率よく、(実用の観点から)再現性のよい、使いやすく実用的な世界の法則を獲得できるのです。つまり人間は、遺伝と学習によって形成した脳神経系の錯覚発生機構の回路構造として、生活空間である世界の法則(の断片を実用的に変換したもの)を身体の内部に取り込んでいる、といえます。

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