哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

自我がない両極

2009年01月28日 | x9私はここにいる

Barbiergeorges01

昼子の世界には物質としての身体があるだけで自分はなく、自分の存在とは何か、などという謎もなく、したがって生もなく死もない。夜子の世界には外から自分を見る視点がなく、したがって客観的な自分はなく、自分の謎もなく、生もなく死もない。どちらにも自我の存在はないが、二つの世界は一つにならない、まったく別々の世界です。

そこへ突然、助手のマリーから電話がかかってくる。「先生、明日、大阪の会議でお使いになる資料、間違っていました。修正しましたので、今からお宅にお届けしてもよろしいでしょうか?」まもなくマリーが現れる。「ごくろうさま。ビール飲む?」夜子は昼子の顔になっていう。「私、お酒だめなんです」「あら、じゃあ、コーヒーいれるわね」おかまいなく、というマリーのためにコーヒーを入れていっしょに飲む。ああ、私はもう一杯ビール飲みたかったのに、でも酒を飲まない部下の前で一人だけがぶがぶ飲んで横暴な上司みたいに見られるのもいやだし、と夜子=昼子は思う。

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