また、明日の生活が不安であるとか、もっとがんばらなければ落ちこぼれて不幸になるに違いないと思っている人には、がんばりどころがなくてひまだけがあると不安になるでしょう。明日の不安というものがない、あるいは、明日を心配しない人々がいるとすれば、その人たちにとっては、ひまであってもつらくはない。ひまが気持ちよいでしょう。しかし現実には、明日を思わない人間はまず存在できません(拙稿28章「私はなぜ明日を語るのか?」)。
拝読ブログ:紋次郎気質 - 第17話 「無縁仏に明日をみた」(前編)
拝読ブログ:思考するゆえに面倒くさい存在でもある: 大験セミナー わくわく日記