ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

憲法

2016年05月03日 | 社会・政治

 今日は憲法記念日ですね。
 護憲派も改憲派も集って気勢を挙げていることでしょう。

 私は憲法論議に関しては、すっかり白けています。

 事実上、憲法は解釈の変更によって、成立当初とはかけ離れたものになっています。
 軍事力は持たないと言いながら、軍隊以外の何者でもない自衛隊を保持していますし、政府は核武装すら、必要最小限であれば憲法違反ではない、という立場です。

 それならいっそ、憲法を変えたほうがすっきりするだろうとは思いますが、面倒な手続きを経なくても解釈の変更でいくらでも変えられるなら、憲法を改正しようという意欲も失せることでしょう。

 立憲主義および法治という観点から言って、国の最高法規を、解釈だけでいかようにも出来るというのは、はなはだ危険だと思います。

 解釈を変えるなら、条文そのものを変えるべきでしょうに。

 この事態、明治維新まで形の上だけは存在したという養老律令に似ています。
 要するに形骸化しているのですね。

 憲法に関しては、いつも9条ばかりが問題視されます。
 9条が国際情勢に対応不可になってしまったことは火を見るより明らかだと思いますが、昔懐かしい冷戦期の左右対立の影響からか、今でも9条をうっとりと感傷的に語る人を見かけます。

 気色悪いったらありゃしない。

 昔社会党の議員が、殺すくらいなら殺されたほうが良い、と発言しているのを聞いたことがあります。

 個人の思想信条としては立派だと思いますが、それを国民に強要するならば、政治家として最も重要な仕事である国民の生命財産を守るという責務を放棄したことになりますから、さっさと政治家を辞めて評論家なり、反核平和教の伝道師なりを目指すべきでしょう。

 魑魅魍魎が渦巻く現実世界をまともに見れば、武装しないという選択肢などありはしないことは自明です。

 浪漫で安全保障を語る気色悪いことはやめて、まともに世界を見たいものです。

 


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