ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

ワイロ

2010年12月13日 | 思想・学問

 私の職場にいるオランダ人の日本史研究者が興味深いことを言っていました。
 
 東京の地下鉄でかなりの金額が入った財布を紛失した、もう出てくるわけがないとあきらめていたら、誰かが拾って警察に届けた、名刺を入れていたので警察から連絡があり、無事手元に戻った、日本人の倫理感は素晴らしい、というわけです。
 世界中の大都会で、東京でしかこんな奇跡は起こり得ない、とまで。
 ところが不思議なことがある、と続けます。
 日本人の倫理意識はこんなに高いのに、なぜエリートの高級官僚や政治家が収賄事件をこんなに頻繁におこすのだろうか、と言うのです。

 一つ考えられるのは、政治家や高級官僚を目指すようなやつは、高い確率で悪いやつが多い。
 または、悪いやつがいる確率は他の社会と同じだが、政治家や高級官僚を何年もやっていると、誘惑が多く、悪いことに手を染めてしまう確率が高い。

 どっちかなんじゃないかと思います。
 それを防ぐにはどうしたらいいか?
 教育するといっても、日本で最高の教育を受けてきたであろうエリートをこれ以上どうやって教育するのかわかりません。
 厳罰化したら、犯罪が巧妙になるだけでしょう。

 しかし、もっと身もふたもないことを言っている人がいます。
 山本夏彦です。

 ワイロは浮世の潤滑油。

 汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。

 文化は腐敗の時代に生まれた。

 
どれも言い得て妙ですねぇ。
 役人の収賄が発覚すれば当然逮捕起訴するとしても、人間なんてあんなものだ、自分だってその地位に就けば収賄してただろう、と達観していれば大したことではないのでしょう。

 むしろ正義を掲げたときこそ危ないですね。
 民主主義では多数派が正義になってしまいますから、天皇陛下万歳や大東亜共栄圏や非武装中立や核兵器廃絶など、正義になってはいけないものが多数の支持を得て正義になってしまう危険は常にあります。
 お隣、中国が行った文化大革命など、その最たるものでしょう。

 山本夏彦によれば、そういう危険を感じたとき、必ず大新聞がそれを煽るから、大新聞が書くことと逆のことをやればうまくいくそうです。

座右の山本夏彦 (中公新書ラクレ)
嶋中 労
中央公論新社
浮き世のことは笑うよりほかなし
山本 夏彦
講談社
茶の間の正義 (中公文庫)
山本 夏彦
中央公論新社
とかくこの世はダメとムダ
山本 夏彦
講談社


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欧州貴族と武士

2010年12月13日 | 思想・学問

 昨夜某大学の紀要を読んでいて、面白い記事がありました。
 ヨーロッパの貴族の教養と日本の武士道を比較して、ヨーロッパ貴族の教養は債権債務主義で、日本の武士道は債務至上主義だというのです。

 債権債務主義というのは、貴族は特権と富を手にするが、代わりに高い倫理観と重い義務を負うということです。
 莫大な債権を持っているけど、負っている債務も重い、従って両者は相殺されて、貧乏な庶民と同じになる、ということでしょう。
 第一次世界大戦後、英国ではイートン校の庭の勝利、と言われたそうです。
 エリート貴族が集まるイートン校出身の将校が一番戦死率が高かった、とのことで、ヨーロッパでは敵の前で伏せる場合、将校は最後に伏せ、立ちあがる場合最初に立ちあがるのが当然と考えられていたということですから、うなづける話です。

 武士道では、債権を投げ出して滅私奉公せよ、という債務だけがある、ということです。
 この影響は現在の日本にも及んでいて、犯罪であるはずのサービス残業が横行したり、欧米では100%取得が当然の有給休暇が、日本では50%程度しか消化されていないなど、債権よりも債務を優先させる癖がついてしまっているように思います。
 サービス残業(債務)はするけど、超過勤務手当(債権)は放棄する、まさに債務至上主義ですね。
 当然の権利である育児休暇を取得した市長や知事に批判が寄せられるのも、高い地位に就いた者は債権を放棄せよ、という理屈であろうかと思います。
 竹原前阿久根市長のように、市議や市職員の給料を下げることに執念を燃やすおかしな行動は、武士道の滅私奉公を市議や市職員に強いるもので、誠に前近代的であると言わざるを得ません。
 また、総理大臣の給料は明治時代に定められてから、第二次大戦後まで一円も上がらなかったそうです。
 官僚の給料が上がり続けたにも関わらず。
 これも、一国の総理は債権を求めず、債務履行に命をかけろ、ということでしょう。
 武士は食わねど高楊枝、と言うとおり、やせ我慢と見栄が求められているようです。

 しかし不思議に思うのは、本来武士は一所懸命と言う如く、一所、つまり土地を守り増やすために戦う集団で、主人に忠誠を誓うのも一所を与えてくれるからだと思うのですが、いつから債務至上主義になったのでしょうね。
 多分山本常朝やら山鹿素行やら、当時危険思想とされていた勝つことだけが目的ではない武士道という概念が平和な江戸時代に育ったものと思われます。
 戦国時代までは、卑怯な真似をしてでも勝たなければならない、というのが武士の考えだったはずですから、江戸時代に至るまで武術はあっても武士道は無かったのではないでしょうか。
 要するに士農工商の一番上に選ばれて生まれてきたのだから、強い倫理観をもって債務を果たせ、ということでしょう。

 武士という職業に道をつけて思想とすることには少々無理があります。
 しかし江戸期、町人には町人道、農民には農民道とでも呼ぶべき倫理規範があったものと思われます。
 
 それなら現代日本は、新たにサラリーマン道とでも呼ぶ他ない倫理規範を確立しなければなりません。
 それは高度成長期のようなモーレツ社員でも、バブル期の金持ち社員でもない、債権債務が平等な倫理規範でなければなりません。

武士道 (岩波文庫)
矢内原 忠雄
岩波書店
武士道の倫理―山鹿素行の場合
多田 顕,永安 幸正
麗澤大学出版会
葉隠 上 (岩波文庫 青 8-1)
和辻 哲郎,古川 哲史
岩波書店

 

葉隠 下 (岩波文庫 青 8-3)
和辻 哲郎,古川 哲史
岩波書店

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