「龍馬伝」やら「坂の上の雲」やら、最近幕末から明治にかけてのドラマがよく放送されます。
やることなすことうまく行ったあの時代を懐かしんでいるかのようです。
しかし一歩間違えれば列強の食い物にされ、植民地としてばらばらに統治されていたかもしれません。
細い綱を渡るように、慎重に前に進んだことでしょう。
私が子どもの頃から不思議に思っていたことがあります。
京都に東を付けると東京都。
本家が京都なのは論を待たないところです。
しかも平城遷都や平安遷都と異なり、江戸に都を移し、東京と名称変更する、という宣旨なり法律なりがないのですよね。
明治元年に明治大帝が東京に行幸され、一度京に還幸された後、翌明治2年にふたたび東京に行幸、それ以来、京へ行くのは還幸ではなく、行幸と呼ぶようになりました。
京都御所はうっちゃって、江戸城跡を皇居にして、各種省庁、国会、軍司令部などを東京に固めて、いつの間にやら東京が首都になっちゃった、という状況が、今日にいたるも続いています。
しかも和歌を詠んだり蹴鞠をしたり、寺を作ったり、といった日本文化の中心であった天皇が、東京移住とともに大元帥陛下におなりあそばし、武人のトップに立ってしまいました。
しかも明治大帝の御姿はいつも洋装。
ざんばら髪に立派なひげをたくわえて、欧米を真似た猿にしか見えません。
わが国には欧米列強に負けない歴史と伝統、文化があったのに。
ちょっとばかし軍事力で負けていたからと言って、欧米列強の真似をして、日本文化の中心であらせられる明治大帝を軍の最高司令官にするなんて、狂気の沙汰です。
明治4年には、二卿事件というクーデター未遂が起きます。
公卿の愛宕通旭(おたきみちてる)と侍従の外山光輔(とやまみつすけ)という二人が中心となって、東京に火を放ち、どさくさにまぎれて陛下を拉致して軍艦で京都に還幸願い、新しい政府を作って行きすぎた欧化政策を改めよう、という主旨です。
この陰謀は事前に露見し、首謀者の二人は自刃を命ぜられ、明治維新はご存知のとおり断行されたのです。
結果論からいえば、明治維新は成功したことになっていますし、二卿事件は未遂に終わって良かったのでしょうが、支配に都合がよいからといって、宣旨も出さずに天皇が東京に遷ってきたり、軍の最高司令官にするというのは、わが国と皇室の伝統から考えて、いかにも乱暴です。
当然、それに対する反対運動が起きてしかるべきで、この事件は首謀者が意識していたか否かはともかく、わが国の伝統文化を守ろうとした重要な意味があったものと思われます。
三島由紀夫は自刃する前、戦後の日本を嘆いて、無機的なからっぽなニュートラルな中間色の富裕な抜け目がない経済大国が極東の一角に残るだろう、と予言しました。
しかしそれは、明治大帝が京都を捨て、軍人になったときからはじまっていたのではありますまいか?
私としては今からでも今上陛下に京都御所に還幸いただき、各種国事行為などはせず、宮中の祀りと伝統文化の継承にのみ御励みいただけないものか、と思っています。
そうじゃないと、明治大帝や昭和陛下みたいに、時の権力者にいいように利用されちゃいますよ。
立石正介とその周辺―明治四年、二卿事件始末 (1984年) | |
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