1983年というのがどんな年だったのか?
wikiで調べてみると、日本海中部地震があった年で、この時の津波で100人が犠牲になっている。
当時はまだ津波の危険も一般化しておらず、被害も止むを得なかったとも言えるけど10m超の津波が来ていた事実は今日の被害に生かされなかったのだろうか?
そのほか、印象的な事件と言えば三宅島の大噴火、ロッキード事件で田中角栄被告に実刑判決、中学生によるホームレス襲撃殺人事件、戸塚ヨットスクール事件、愛人バンク「夕ぐれ族」事件…
当時の世相と言えば、ワープロ・パソコンが普及し始めた頃で、インターネットはまだ無く、NHKドラマ「おしん」が大人気、東京ディズニーランドが開園、写真週刊誌「フォーカス」「フライデー」が注目を集めた年。
懐かしくもあり、そんな昔だったのか、って事もあり。私も年を取りました。
なんたって四半世紀以上昔の話ですもの。
ここに、一冊の雑誌があります。
「しゃらく」ではなく、「しゃがく」と読みます。
当時ブームだった写真雑誌のひとつとして1980年ごろに創刊されましたが、単なるスキャンダルやスクープ写真を扱うのでなく、かと言ってマニア向けの難しい写真技術の雑誌でもなく、ポップカルチャーとしての写真の可能性や、社会の断面を切り取る写真の役割を考えた雑誌だったと記憶しています。
巻頭のグラビアこそ篠山紀信による有名女優のヌードなどを売りにしていましたが、ほかには戦争を扱った記事があったり、時代を先取るアーティストを取り上げたりと、当時としては骨のある雑誌だったと思います。私もたびたび購読していました。
この、1983年9月号をパラパラとめくってみると、「日本初の3Dテレビ放送」だとか、「マイケル・ジャクソンが近ごろヒットを飛ばして鼻息が荒い」だとか、「音楽CDが年内に1000タイトルに充実」だとか、いや、まあ時代が分かって面白いすな。
もしタイムマシンでこの頃に戻れたら、「マイケル、色々あって死んじゃったよ。」とか、「CDなんて最近みんな買わなくなったよ。」とか、余計なおせっかい言いたくなるかもですねー。
でも、3D放送だけは四半世紀経っても同じことやって商売につなげようとしてるおバカさんが今もいるのが笑える。
売り物のグラビアは、売り出し中の17歳・村上里佳子クン。
(アイドルの女の子をクン付けで呼ぶのも、80年代w)
いやー、当時の17歳は大胆だったんすなー
ふざけてる場合じゃないすね。
見たかったのはこの記事。
いやもう、あまりにも資料画像が少なくてジレンマだったので、ネットを駆使して古本を探して買っちゃいましたよ。
当時420円の雑誌が1000円orz
でもまあ、5年ほどで休刊になってしまったこの雑誌を集めてるマニアの方もいるようで、まあ妥当な価格なんだと思います。キレイな状態だったしね。
残念ながら、資料といえるほどの画像は掲載されてなかったんですが…
で、でたー!
リアカウルにスリットがない状態の実戦画像!
やったね!スリットなしバージョンはちゃんと本戦で走ってます!
さらに記事を読み進めると
(面倒なので、記事画像)
(ちなみに、レースレポートは今宮純氏です)
由良拓也ボディー・デザイナーがスペア・カウルで手当てする…
そうか、スペアにスリット付きのカウルがなかったんだねー
で、急きょ予選用?のカウルで…ウンウン
会場の拍手は61に集中した…
うう、泣ける…すごいね61号車!
最初はクラス優勝した60号車を作ろうと思ってたけど、こりゃ61号車も捨てがたいじゃないですか!
(どうせスリット埋めちゃってるしw)
しかし、その後ほかの資料画像などと見比べて見ると新たな事実が…
これとか、
これ…
スリット付き。ですが、リアカウル、フェンダー付近に青いテープ?かなにかでツギハギした跡が…
これは想像するに、夜のあいだはスリット無しのカウルで走っていたけれども、エンジンの発熱でオーバーヒートの危険が出てきて、夜が明けて気温が上昇するにつれ深刻な状態に…
そこでずたずたに壊れたリアカウルを急きょテープやら何やらでつなぎ合わせて、それを装着、これで無事ゴールまで辿り着いた…
うーん、ますます泣ける!
いやー、これは半分私の想像で書いてますけどね、でも当時の記事と、いくつかの画像から推測するに間違ってないでしょ?
もちろん、こんなことはまだ当時現場にいた人も生きてるだろうし、記憶の確かな人に確かめれば事実は分かるんでしょうけど、今の私に分かるのはここまで。
やがて人々の記憶も薄れていくだろうし、歴史というのはこうやってどうにか残されて行くのでしょう。
そして、その歴史を模型に結実させられる幸せ!
よし、61号車で行くぞ!
ガーン!!
61号車のロゴが、一個足りない…
ドアのところの「JUN」…左右2個いるんだよ…トホホ
というわけで、素直な私はあっさり60号車に決定するわけなのです。
だって、クラス優勝ですよ?日本車初のルマン・タイトルですよ?しかも日本人兄弟ドライバーでの優勝!
どう考えたって60号車作るのが普通っしょ。
61号車?ふーん頑張ったけど2位じゃん?2位じゃいけないんですか?いけないんですよ…
83年すかぁ、高校1年生でした・・・。
え、てことは里佳子とは大して歳かわんねぇんだ。初めて知った。すげーオネーさんな感じがしてたんですけどねぇ。まぁ、いつの時代も男の方が成熟度じゃ遅くてガキなんでしょうけど。
そんでもってJUNMENのデカールが足りないとw
しかし何でまた足りないんだろ?プロヴァンスってこんなの不思議でも珍しくもないんですかね?
いやー、落とすつもりはなかったんすけどね、
作りたかったんですよマジで61号車。
デカールないんだからさ、しかたないじゃんw
当時高一ですか、若いっすね。私はもうオトナになってましたよムフフ
RIKAKO、すっかりお姉さんキャラで定着しちゃってますからね、大体みんなもっと歳だと思ってるみたい。まあバブル時代はずいぶん派手に遊んでたらしいし、普通の子よりはずっと早熟だったでしょうねえ。
>新米パパさん
私も、トラップ用の画像探してたらヌード見つけちゃいましたけど、残念ながらあんまりそそられない画像でしたな…当時のセミヌードのがよっぽど(ロリ←殴
デカールのエラーは、まあどこのメーカーでもありますけどねえ、デカールシートのレイアウト見ても60号車(兼・富士1000kmの16号車)メインで、JUNバージョンはオマケみたいな扱いだから、ドアのところのロゴのことなんて忘れられてたんでしょうねえ、一個だけ仕切られたとこからはみ出して申し訳程度に付け足してあるしw
しかも、小さいロゴもJUNMENてなってる筈なのに、小さいのはMEN省略されてるんですよ、これはもうスルーしましたけど。
デカールなんてそんなもんですよ。
掴みはグラビアでしたけど写真誌として結構支持者が多いようです。古本も高いですねぇ。私も欲しくなってしまいました。
プロバンスのデカールは文字列が適当で間違えていたり、足りなかったり、正確性よりは雰囲気重視なので、大人としてスルーが楽なのかなあと思います。
当時、写楽とか月刊プレイボーイとかはグラビア目的半分の背伸びして大人文化知りたいの半分みたいな気分で読んでた気がします。
GOROやらスコラが等身大だったかもw
プロバンスのデカールはホント、牧歌的w
ただし、今回のこれはカルトグラフなんですよ、だから結構しっかりしてるので品質以前のミスは無くして欲しかったなーと…。
ビラージュ・クオリティーなら手書きしてでも間違い正すんですけどねえ。
村上里佳子っつったら11PMですな。あの業界も今や大胆通り越して品性下劣というか何というか。
この雑誌のせいで今回思いがけず28年前を振り返ってみましたが、何だかまだ振り返っちゃいけなかったような気分。
何も変わってないんですよね、自分的には…。
確かに、マイケルはいなくなったしCDの時代は過ぎてダウンロードの時代になったし、3Dも赤青メガネから偏光メガネやらシャッター方式に変わったけれど、そんなハイテクに引っ張られても時代の空気というか、人の価値観の大きな変革が感じられないんです。
あと10年遡ると、確かに何か違っていたと思うのだけど…。
もしバブルがはじけなかったら、世の中相当変わっていただろうけど、結局祭りのあとにまた同じ時間がやってきたような感じ。
あの頃のまま、時が流れていても世の中は悪くなかったんじゃないかと感じます。むしろ、ハイテクやバブルに踊らされて失くしたものが多い28年だったように感じます。
私の身の回りは28年前とそんなに変わらず、古い物と縁を切れずに今日も過ごしていますよ。
フジミのエンスーが発売されたのもちょうどこの頃じゃなかったかな?
あえて言うならインターネットと携帯だけが、大きく変わった点かな、この28年で。