「立つ」ことを指導することは難しい。なぜなら「立つ」ことは数値化することができず、感覚で理解するものだからである。上手く立てているのかどうかは、本人の、或いは観ている人の感覚で判断される。
感覚は一定の物ではなく、練習を繰り返していくことで磨かれるものだ。生活の中で感覚に耳を傾ける(謙虚にからだの声を聴く)時間を持てば、感覚は育っていく。
野口整体の金井省蒼先生は「整体とは感受性を高度ならしむること」であると言われたが、「立つ」ことでも感覚(感受性)を高めることができる。立つことで感覚を磨き、その磨かれた感覚で「立つ」ことを良いものだと自ら認められるようになる。
感覚は一定の物ではなく、練習を繰り返していくことで磨かれるものだ。生活の中で感覚に耳を傾ける(謙虚にからだの声を聴く)時間を持てば、感覚は育っていく。
野口整体の金井省蒼先生は「整体とは感受性を高度ならしむること」であると言われたが、「立つ」ことでも感覚(感受性)を高めることができる。立つことで感覚を磨き、その磨かれた感覚で「立つ」ことを良いものだと自ら認められるようになる。