別れたあとの時間は辛く苦しいものだが、八神純子は「思い出は美しすぎて」の中で、「やさしく時は流れすぎて」と歌う。
「今でもあなたの微笑みを感じることがあるのよ」・・・この歌詞を軽く聴き流してはいけない。「感じて」いるのは、あなたの「腕」や「ぬくもり」ではなく、「微笑み」なのだ。彼女はその「微笑み」を「観て」いたのではなく「感じて」いたのである。感覚を磨いた人間には、「あなたの微笑み」が空気を震わせ、伝わるのがわかる。
美しいままに「保存」された「思い出」以上に、現在・未来を生きるのに「足かせ」となるものはない。「もう二度と手の届かない」恋だったことを知り、将来にそれ以上の恋がないことも知り、今という現実を生きなければならないのだから。
夢が違っていたから別れたのか、別れてから違う夢を追いかけたのか・・・いづれにしても「思い出は美しい」そして「それは悲しいほどに・・・」
付
先日、八神純子のコンサートに行ってきた。透明感があって伸びやかな歌声は、時に力強く、時に優しく包み込む。CDやレコードよりも美しい声を出せる人は、そうはいないだろう。
「水色の雨」で「あー崩れてしまえ」と命令調で歌えるのはやはり八神純子しかいない。渡辺真知子でも、高橋真梨子でも五輪真弓でもない。水の様に透明な八神純子の声でしか「愛の形」を「崩す」ことはできないのだ。