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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

名曲を勝手に解釈する⑦

2013-11-08 15:42:36 | 音楽

 山口百恵の「横須賀ストーリー(作詞/阿木燿子)には、自分勝手に生きる男と、それに揺れる女心が描かれている。

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 「街の灯りが映し出す あなたの中の見知らぬ人」。男が初めて見せる顔や言葉、仕草に、彼女は戸惑い、「少し遅れながら あなたの後ろ 歩いていました」。

 「話しかけても気づかずに ちいさなアクビ重ねる人」「一緒にいても心だけ ひとり勝手に 旅立つ人」。男は、眼の前に居る彼女よりも大事な何かをもっている。それは他の女ではなく、趣味のような具体的な「何か」でもない。彼女に合わせることができないのは、自分のペースを崩せない、生き方そのものだからだ。

 それなりに長い時間付き合っては来た二人だが、彼女はまだ男のことを信じてもいいのかどうかわからない。だから確認したかった。

 「あなたの心 横切ったなら 汐の香りまだするでしょうか」。五感の中で、「匂い(香り)」程正直なものはない。見かけや声(言葉)は作ることができても香りは作れない。あなたが今でも変わらないモノ(香り)を持っていたら、それを信じたいと思った。

 「これっきり これっきり もう 」、会えなくなってしまうのではないかという不安に怯えながらも、「今日も私は 波のように抱かれるのでしょう」。心と身体は、行ったり来たり、すれ違う。

 ところで2番のサビの後半「これっきり これっきり もう これっきりですか」の「か」が、「かあー」と切れずに伸びて、次の「あなたの心・・・」の「あ」に繋がっている。それから3番の「私はいつも置いてきぼり あなたに今日は聞きたいのです」の「あなた」は他所の「あなた」とは違い「覚悟」を決めた声音で歌われる。山口百恵の情感のこもった歌い方は、強過ぎず、弱過ぎず、品格を失わない。それは「ささやかな欲望」「夢先案内人」でも発揮される。

中学生の頃買ったテープと、後に買ったCD 

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消えたストーンズのCD、そしてトム・ウエイツ

2013-10-31 19:36:44 | 音楽

 ローリングストーンズのCDを紛失した。久しぶりに聴こうと思いケースを開けたら、中身(CD盤)が無かった。CDプレーヤーには残っていないので、外で無くしたのかも知れない。

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 私は太極拳の教室等でBGMとしてクラッシックをかけているが、教室の始まる前にはロックも流したりすることがある。しかしこのCDを持参したのかどうかは記憶にない。現在、いくつかの教室で関係者に訊いているところだ。このCDには「YOU BETTER MOVE ON」「AS TEARS GO BY」など有名な曲が入っているが、私は「THE SINGER NOT THE SONG」「BLUE TURNS TO GREY」が好きである。聴けないと思うと、尚更聴きたくなる。

 

 トム・ウエイツは大体レコードかCDで保有しているのだが、この2枚のアルバムだけはカセットテープである。

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 カセットデッキが壊れてから、この2本のアルバムとも疎遠になってしまった。これは20年以上も前に香港で買ったもので、引越し先にも常に同行していたから思い入れが強い。音のコモってしまうラジカセで「RAIN DOGS」をかけてみた。跳ねたようなイントロの「HANG DOWN YOUR HEAD」にワクワクし、「TIME」に20年の哀愁を感じ「DOWNTOWN TRAIN」の歌い出しにゾクゾクした。CDを買おうかなと思っていたが、もうしばらくこのテープの中のトムと付き合うことにした。

 このブログを書きながらBGMとしてかけていた「SWORDFISHTROMBONES(トム・ウエイツ)」のA面が終わったので、ひっくり返さなくては。

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 B面の5曲目「SOLDIER'S THINGS」は、ピアノの粒が一つづつ輝き、うっとりとしてしまうほど美しいバラードだ。もう一度針を落とす。


名曲を勝手に解釈する⑥

2013-08-08 15:13:38 | 音楽

 役所では、生まれた子供の名前が戸籍に登録されてはじめて、その子が国民になる(存在する)。子供の家族からみれば、名前など付ける前から明らかに存在しているのだが・・・。

 ゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」が流行った頃、私は子供で、全ての子供に名前が有るのは当たり前だと思っていた。その子の名前を叫べば、誰もが答えていたからだ。

 それから数年経って、中国には「黒孩子」と呼ばれる名前の無い(戸籍に載らない)子供が沢山いることを知った。「一人っ子政策」の下、労働力等のために、こっそりと生まれた子供である。彼らは正式に国民として認められてはいないから、学校にも行けず、国の保護は受けられない。

 老子は、名前の付く前の「混沌」とした世界を「無名」と呼んだ。名前は「存在」に付いた記号に過ぎず、記号が無い「無名」もまた存在しているのである。現に「黒孩子」が存在しているように・・・

 名前が有ろうと無かろうと、子供(存在)は「燃える生命」であり、「どの子にも一つの生命が光っている」。

 この歌の作詞家は、名前そのものにこだわった訳ではなく、個々の「存在」を大事にしようという願いを込めて書いたのだろう。また、個々の存在は、それぞれ別々に在るのではなく、他者ともまた通じ合う。だから

 「ひとりの子供のかなしみも 仲間の名前に溶ける」

 もともと「一つ」だったものが、名前を付けることで分かれた。しかし「存在」のレベルでは分かれていないから、何時でも元の「一つ」に戻れるのだ。名前、それは一つであって一つでない。


名曲を勝手に解釈する⑤

2013-08-02 10:19:03 | 音楽

 いわゆる「まちがい」とは、常識や決まり事にてらすと「間違っている」ということで、個人的な価値(善悪)で観れば、そうでないことも多々ある。

 吉田拓郎は「流星」の冒頭で「たとえば僕が まちがっていても 正直だった悲しさがあるから」と歌う。自分のココロに対しては正直でいたいと。

 「静けさにまさる 強さは無くて」・・・拓郎は静と動を対立させて、静は動よりも強いと言う。 静とは言葉にならないもので、それは動である言葉を超える(言葉以上の存在だ)。では「言葉の中では何を 待てばいい」のか・・・言葉は言葉だけを待てばいいのか。

 そもそも言葉は、人の作り物(動)なのだから、「たしかな事など 何も無く」である。そして言葉にできない処(静)で、「ただひたすらに君が好き」なのだ。

 繰り返される「流れていく・・・」は、静の世界への誘ないである。

 「流れる星は かすかに消える 」・・・静の世界は、いつでも(人の思いに同調することなく)淡々と進んでいく。「思い出なんか 残さないで」。

 人はココロを持ち、欲を持ち、言葉を使いながら「動の世界」を作っていくが、一方で、「静の世界」へのあこがれがある。しかし、完全に「静」の世界へ行ってしまうことが理想ではない(静に入り込んでしまえば、人間的な悩みが無くなり、楽になるかも知れないが・・・)。

 時に静の冷たさに打ちのめされたり、安らいだりしながら、人としての生きる力=情熱(欲)を発揮して生きていこう!と拓郎は言っている。それが、1番、2番の最後の歌詞に現われている。「君の欲しいものは何ですか」。

 私たちの一日のほとんどは動の積み重ねだが、静を忘れて動だけを追いかけていくような人生には味がない。

 何も残さずに流れていく星(静)があるから、流れない「思い出(動)」が光るのだ。

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(当時のベスト盤。「元気です」「明日へ向かって走れ」など名曲多し)


名曲を勝手に解釈する④

2013-07-25 14:20:01 | 音楽

 高校生の時にラジオで中島みゆきの「夏土産」を聴いて、ファンになった(と言っても5、6枚のアルバムを聴き、深夜のD.Jを聴いていたくらいであるが)。シングルにもなっていない「夏土産」を偶然聴いたことが、中島みゆきを聴くきっかけになった。ヒットした「悪女」や「ひとり上手」・「時代」が流れても、「きっかけ」にはならなかっただろう。

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 さて、当時は高価なLPレコードはなかなか買えず、「貸しレコード屋」に通った。そこでレコードを借りてきて、カセットテープに録音して聴くのである。「夏土産」は「予感」というアルバムに入っていて、聴いているうちに他の曲も好きになっていった。最初に「誰のせいでもない雨が」「この世に二人だけ」などを気に入り、最後に(数年経ってから)好きになったのが「テキーラを飲みほして」である。ロック調のこの曲は、ギターで弾き語ると湿っぽい歌詞が、カラッとなるから不思議だ。テキーラは昔飲んだことがあるが、味は憶えていない(旨ければ憶えているだろう)。何故「テキーラ」なのだろう?試しにサビの処にバーボンや、ブランデー、ワイン・ジン・ウォッカ・ラムなど入れて、歌ってみれば「テキーラ」が一番音符に乗ることが分かる。

 男に心底惚れている女は、強い。その男が自分のことを見てくれないことくらい、どうってことないし、自分が選ばれないことくらいで諦めたりはしない。

 「おまえの惚れた あの女を真似て」髪型を変えるくらい簡単なこと。本当は最新の自分を出したいのだが、それは男の好みでないから「使い古しの女っぽさ」を演じることだってできる。プライドなんか何時でも捨てられるのだ。

 「待てと言われもせず」追いかけて6年目、「風の噂」で聞いた。「身を固めるんだってね」。男が結婚を一番に考えるような男に成り下がったとき、それは女にとってたった一つの価値=「惚れるほど魅力的な男」が、そうで無くなった時であり、そうなればもう「こちらから Say good bye」するしかない。

 18歳の頃、留学先で知り合った20代半ばのお姉さん2人が、「中島みゆきは振られる人ではなく、振る人だよね」と言っていたが、この歌を聴いて、そうかも知れないと思った。