オーストラリアのフレミントン競馬場で争われたホッサムハンデキャップ(レクサスステークス)GⅢ芝2500m。
ソールインパクトは最内枠からの発馬。押していき逃げることを選択。2番手の馬に2馬身ほどの差を取り,隊列も縦長でしたが,残り1000mまで12秒台後半のラップを続けるようなスローペースの競馬でした。3コーナーを回ってから2番手の馬と雁行になりましたが,先頭で直線に。すぐに騎手の手が動き,残り300m付近までは先頭争いに加わりましたが,そこからはずるずると後退。最下位での入線になりました。
レースの内容でいうと,ラップは自分で刻んだのだけれどもペースアップにまったく対応できなかったという形。この馬が逃げなければさらにペースが落ちた可能性があり,やはりペースアップしたところで脱落という結果になった可能性が高いと推測されます。ということは逃げの手に出たのは悪くない判断だったのではないかと思うのですが,どうせならもっと早いラップで逃げてしまった方が,持ち味はよく生かすことができたのかもしれません。
7月22日,日曜日。この日は伯母が午前中にひとりで見舞いに行き,僕は妹と午後から見舞いに行きました。
妹は29日に,グループホームがある地区の盆踊りがあり,これにグループホームの利用者が参加するため,この週末は家に帰らず,グループホームで過ごす予定になっていました。したがって次に家に帰ってくるのは8月3日の予定になっていました。前日の段階で僕は母はもういつ何があってもおかしくないという状況に入ったと判断していましたので,もしかしたら妹と母が会うのはこの日で最後になってしまうかもしれないと思っていました。帰り際に妹は母に対して「また会いましょう」と言ったのですが,もしかしたら妹も何か感じるところがあったかもしれません。
父も緩和ケア病棟に入院していました。最後は血圧が低下しているので病院に来て下さいという電話が入り,その日のうちに死にました。特別養護老人ホームに入所していた祖母も,同じように血圧低下の電話が入り,その日のうちに死にました。これらの経験から,僕は母も同じように,血圧が低下したという連絡が入るだろうと予想していました。父も祖母も母も,大腸癌という点では同じ病気を患っていたからです。
その電話が入ったとき,妹が家にいれば妹と一緒に病院に行き,妹が通所施設なりグループホームなりにいるなら妹には連絡をせず,僕がひとりで病院に行く心積もりでいました。これは妹を母の死に目に会わせるのか会わせないのかということについて,明確な結論を出していないことになります。そのときの状況によって病院に行かれるか行かれないかが異なるからです。そしてこのような決定の仕方は,僕が一般に物事を決断する場合のひとつの特徴だと考えて下さい。いい換えれば,会わせてもいいし会わせなくてもいいというような,どの選択肢でも構わないということについての選択に関しては,自分では決定せず,何かほかのことに判断を委ねます。この場合でいえば,もし母が妹に会いたいなら妹が家にいるときに危篤状態になるだろうし,妹には自分の死に目を見せたくないなら,そうでないときに危篤になるだろうと思うようにするのです。
ソールインパクトは最内枠からの発馬。押していき逃げることを選択。2番手の馬に2馬身ほどの差を取り,隊列も縦長でしたが,残り1000mまで12秒台後半のラップを続けるようなスローペースの競馬でした。3コーナーを回ってから2番手の馬と雁行になりましたが,先頭で直線に。すぐに騎手の手が動き,残り300m付近までは先頭争いに加わりましたが,そこからはずるずると後退。最下位での入線になりました。
レースの内容でいうと,ラップは自分で刻んだのだけれどもペースアップにまったく対応できなかったという形。この馬が逃げなければさらにペースが落ちた可能性があり,やはりペースアップしたところで脱落という結果になった可能性が高いと推測されます。ということは逃げの手に出たのは悪くない判断だったのではないかと思うのですが,どうせならもっと早いラップで逃げてしまった方が,持ち味はよく生かすことができたのかもしれません。
7月22日,日曜日。この日は伯母が午前中にひとりで見舞いに行き,僕は妹と午後から見舞いに行きました。
妹は29日に,グループホームがある地区の盆踊りがあり,これにグループホームの利用者が参加するため,この週末は家に帰らず,グループホームで過ごす予定になっていました。したがって次に家に帰ってくるのは8月3日の予定になっていました。前日の段階で僕は母はもういつ何があってもおかしくないという状況に入ったと判断していましたので,もしかしたら妹と母が会うのはこの日で最後になってしまうかもしれないと思っていました。帰り際に妹は母に対して「また会いましょう」と言ったのですが,もしかしたら妹も何か感じるところがあったかもしれません。
父も緩和ケア病棟に入院していました。最後は血圧が低下しているので病院に来て下さいという電話が入り,その日のうちに死にました。特別養護老人ホームに入所していた祖母も,同じように血圧低下の電話が入り,その日のうちに死にました。これらの経験から,僕は母も同じように,血圧が低下したという連絡が入るだろうと予想していました。父も祖母も母も,大腸癌という点では同じ病気を患っていたからです。
その電話が入ったとき,妹が家にいれば妹と一緒に病院に行き,妹が通所施設なりグループホームなりにいるなら妹には連絡をせず,僕がひとりで病院に行く心積もりでいました。これは妹を母の死に目に会わせるのか会わせないのかということについて,明確な結論を出していないことになります。そのときの状況によって病院に行かれるか行かれないかが異なるからです。そしてこのような決定の仕方は,僕が一般に物事を決断する場合のひとつの特徴だと考えて下さい。いい換えれば,会わせてもいいし会わせなくてもいいというような,どの選択肢でも構わないということについての選択に関しては,自分では決定せず,何かほかのことに判断を委ねます。この場合でいえば,もし母が妹に会いたいなら妹が家にいるときに危篤状態になるだろうし,妹には自分の死に目を見せたくないなら,そうでないときに危篤になるだろうと思うようにするのです。