16日のサマーチャンピオンはラインシュナイダーが勝ちました。この馬の父はヴァーミリアンです。
ヴァーミリアンは2002年産まれ。父はエルコンドルパサー。3代母がスカーレットインク。半兄に2005年の東海ステークスとブリーダーズゴールドカップと日本テレビ盃,2008年のマーキュリーカップを勝ったサカラート,3歳下の半弟に2010年のシリウスステークスを勝ったキングスエンブレム,5歳下の半弟に2012年の東海ステークスと日本テレビ盃,2013年のマーキュリーカップを勝ったソリタリーキングがいます。Vermilionは朱色。
2歳10月に芝の新馬でデビュー。これを勝つとオープンを2戦続けて2着した後,暮れのラジオたんぱ杯2歳ステークスで重賞制覇を達成。この成績ですから翌春はクラシックを目指したもののスプリングステークスは大敗,皐月賞もディープインパクトの12着。京都新聞杯も大敗に終わりました。
秋は神戸新聞杯で復帰するもディープインパクトの10着。次にダートのオープンに出走すると僅差で勝利。浦和記念に向かって重賞2勝目をあげました。
4歳初戦の平安ステークスを2着。フェブラリーステークスはカネヒキリの5着でしたが続くダイオライト記念で重賞3勝目。東海ステークスは大敗してしまいました。
秋はジャパンカップダートで復帰して4着。暮れの名古屋グランプリを制して重賞4勝目。
5歳初戦の川崎記念で大レース初制覇を達成するとドバイワールドカップに遠征して4着。
帰国初戦は秋のJBCクラシック。大レース2勝目をあげるとジャパンカップダートをレコードで制し,東京大賞典も優勝と大レースを3連勝。この年のJRA賞の最優秀ダートホースとNARグランプリの特別表彰馬に選出されました。
連覇を狙った川崎記念は取消。しかしフェブラリーステークスを勝って大レース5勝目。この年もドバイワールドカップに挑戦しましたが12着。
この年も帰国初戦はJBCクラシックでこれをレコードで勝って大レース6勝目。しかしジャパンカップダートは3着,東京大賞典は2着と,いずれもカネヒキリの後塵を拝しました。
6歳初戦はフェブラリーステークスで6着。休養して出走した帝王賞は勝って大レース7勝目。
秋はJBCクラシックからの復帰で三連覇となる大レース8勝目。ですがジャパンカップダートは8着,東京大賞典は2着でした。
7歳初戦の川崎記念をレコードで勝って大レース9勝目。休養して帝王賞に出走するも9着,また休養して挑んだジャパンカップダートで14着となり,現役を引退しました。
成績から分かるように,絶対能力ではカネヒキリには劣っていたと思います。ただ丈夫さでは上回っていたといえるでしょう。大レース初制覇となった5歳の川崎記念以降は大レースだけに出走したという稀有な馬です。
種牡馬としては一昨年のフェアリーステークスを勝っている現役のノットフォーマルがいて,ラインシュナイダーが2頭目の重賞勝ちの産駒になります。
個物res singularisの現実的本性actualis essentiaについて考える場合には,それを個物の本性と切り離し,単独の現実性として考えなければならない理由はお分かりいただけたと思います。そして第三部定理七は,個物の現実的本性と個物の現実的存在が一致するという意味を含み得るのですから,個物の現実的存在について考える場合にも,単に個物の存在existentiaについて考えるだけでは十分ではないということは同様です。
『概念と個別性』においては,一般的あるいは普遍的なものからいかにして個別的なものあるいは特殊的なものが帰結するかということが論点のひとつになっていました。この考察もそういう論点のひとつであると考えることができると僕は思っています。河井が朝倉のような問題意識を有しているとは僕は思いませんが,僕はそういう観点から『スピノザ哲学論攷』の言及に関心を示します。ただ,河井はとくに現実性ということについて多大な関心を抱いているのは間違いなく,そして僕もそのことについて詳しく考察したことがありませんでした。ですからここでは一般的なこと,いい換えれば個物が神Deusの属性attributumに包容されて存在している場合のことは考察の対象から外します。外すけれども,僕の関心は実際にはそのような点にあるということは踏まえておいてください。
次に,現実性の原因causaについて考察する前提として,考えておかなければならないことがあります。これを僕は,現実性の個別化の問題といいます。というのは,現実性とりわけ個物の現実的本性は,どこまで細分化することが可能なのかということについては,僕はスピノザの哲学の中では決着をつけることができない問題だと考えているからです。個物の現実的本性というのは,すべての個物の現実的本性というように,きわめて一般的に考えることもできます。実際,第三部定理七で示されているような個物の現実的本性というのは,個物が現実的に存在するという場合には必ず共通するような現実的本性であるといえ,それはどの個物が現実的に存在したとしても同様であるといえるでしょう。
しかしこれとは逆に,個物の現実的本性は,細分化しようと思えばいくらでもできるように僕は思うのです。
ヴァーミリアンは2002年産まれ。父はエルコンドルパサー。3代母がスカーレットインク。半兄に2005年の東海ステークスとブリーダーズゴールドカップと日本テレビ盃,2008年のマーキュリーカップを勝ったサカラート,3歳下の半弟に2010年のシリウスステークスを勝ったキングスエンブレム,5歳下の半弟に2012年の東海ステークスと日本テレビ盃,2013年のマーキュリーカップを勝ったソリタリーキングがいます。Vermilionは朱色。
2歳10月に芝の新馬でデビュー。これを勝つとオープンを2戦続けて2着した後,暮れのラジオたんぱ杯2歳ステークスで重賞制覇を達成。この成績ですから翌春はクラシックを目指したもののスプリングステークスは大敗,皐月賞もディープインパクトの12着。京都新聞杯も大敗に終わりました。
秋は神戸新聞杯で復帰するもディープインパクトの10着。次にダートのオープンに出走すると僅差で勝利。浦和記念に向かって重賞2勝目をあげました。
4歳初戦の平安ステークスを2着。フェブラリーステークスはカネヒキリの5着でしたが続くダイオライト記念で重賞3勝目。東海ステークスは大敗してしまいました。
秋はジャパンカップダートで復帰して4着。暮れの名古屋グランプリを制して重賞4勝目。
5歳初戦の川崎記念で大レース初制覇を達成するとドバイワールドカップに遠征して4着。
帰国初戦は秋のJBCクラシック。大レース2勝目をあげるとジャパンカップダートをレコードで制し,東京大賞典も優勝と大レースを3連勝。この年のJRA賞の最優秀ダートホースとNARグランプリの特別表彰馬に選出されました。
連覇を狙った川崎記念は取消。しかしフェブラリーステークスを勝って大レース5勝目。この年もドバイワールドカップに挑戦しましたが12着。
この年も帰国初戦はJBCクラシックでこれをレコードで勝って大レース6勝目。しかしジャパンカップダートは3着,東京大賞典は2着と,いずれもカネヒキリの後塵を拝しました。
6歳初戦はフェブラリーステークスで6着。休養して出走した帝王賞は勝って大レース7勝目。
秋はJBCクラシックからの復帰で三連覇となる大レース8勝目。ですがジャパンカップダートは8着,東京大賞典は2着でした。
7歳初戦の川崎記念をレコードで勝って大レース9勝目。休養して帝王賞に出走するも9着,また休養して挑んだジャパンカップダートで14着となり,現役を引退しました。
成績から分かるように,絶対能力ではカネヒキリには劣っていたと思います。ただ丈夫さでは上回っていたといえるでしょう。大レース初制覇となった5歳の川崎記念以降は大レースだけに出走したという稀有な馬です。
種牡馬としては一昨年のフェアリーステークスを勝っている現役のノットフォーマルがいて,ラインシュナイダーが2頭目の重賞勝ちの産駒になります。
個物res singularisの現実的本性actualis essentiaについて考える場合には,それを個物の本性と切り離し,単独の現実性として考えなければならない理由はお分かりいただけたと思います。そして第三部定理七は,個物の現実的本性と個物の現実的存在が一致するという意味を含み得るのですから,個物の現実的存在について考える場合にも,単に個物の存在existentiaについて考えるだけでは十分ではないということは同様です。
『概念と個別性』においては,一般的あるいは普遍的なものからいかにして個別的なものあるいは特殊的なものが帰結するかということが論点のひとつになっていました。この考察もそういう論点のひとつであると考えることができると僕は思っています。河井が朝倉のような問題意識を有しているとは僕は思いませんが,僕はそういう観点から『スピノザ哲学論攷』の言及に関心を示します。ただ,河井はとくに現実性ということについて多大な関心を抱いているのは間違いなく,そして僕もそのことについて詳しく考察したことがありませんでした。ですからここでは一般的なこと,いい換えれば個物が神Deusの属性attributumに包容されて存在している場合のことは考察の対象から外します。外すけれども,僕の関心は実際にはそのような点にあるということは踏まえておいてください。
次に,現実性の原因causaについて考察する前提として,考えておかなければならないことがあります。これを僕は,現実性の個別化の問題といいます。というのは,現実性とりわけ個物の現実的本性は,どこまで細分化することが可能なのかということについては,僕はスピノザの哲学の中では決着をつけることができない問題だと考えているからです。個物の現実的本性というのは,すべての個物の現実的本性というように,きわめて一般的に考えることもできます。実際,第三部定理七で示されているような個物の現実的本性というのは,個物が現実的に存在するという場合には必ず共通するような現実的本性であるといえ,それはどの個物が現実的に存在したとしても同様であるといえるでしょう。
しかしこれとは逆に,個物の現実的本性は,細分化しようと思えばいくらでもできるように僕は思うのです。